第3話
飛騨の国からまた一つ二つ山を越え、
槍のように尖った山の山頂に立ち、西尾は遥か遠くを見つめる。尾瀬から受け継いだ妖術を使って、次の目的地を選定している。
残る狐憑きは、『
「先に『
「どうせ、居場所はわかっているんだろう?」
俺と洛が、西尾に声をかける。
「居場所がわかるからこそ、後回しなの。まだ騙しておきたい」
玉藻御前の懐刀『彼岸花』と玉藻御前の影武者『実芰答里斯』はどちらも共通の目的によって動いていた。
「『実芰答里斯』はわたしとちがって、尾又玉藻の『妖狐』の部分に強く惹かれすぎている。彼女は危険よ」
「あんまり戦闘向きじゃない、みたいなことを奴は言っていたぞ?」
「そうね。それはそう。だけれど、彼女が危険なのは妖術でも武器でもなく『知識』……」
「ちしき……?」
何の? と聞きたかったが、西尾は集中するから話しかけないでとジェスチャー。
「やれやれ」
俺と洛は肩をすくめる。
山上に強風が吹く。雲の上の標高だから、季節は夏っぽいのだが、普通に寒い。
「見えた。
俺たちは山を駆け降り、松本盆地に降り立つ。そこで小休止を入れてから、もうひと踏ん張り山を越えて、長野盆地へ。ここには、その名の通り何度も蛇行する
「ここで一泊しよう」
日も暮れかけてきたので、俺はそう提案した。
「もう少し行けば、村がありそうだけど」
西尾が言う。まぁそりゃそうなんだけど。
「あまり関係のない人を巻き込みたくない」
「また甘っちょろいことを……」
「まぁまぁ、俺はタイガーの気持ちもわかるぜ」
俺の手には、首を失った村長さんを斬った感触がいまだ残っている。甘い……のだろう。サバイバルに向いていない。
「この異世界は、おそらく妖狐の記憶を基に再現されたもの。ここに住む人々も、記憶に過ぎない……というのが、あなたたちより早くここに来たわたしの考え。あまり気にする必要はない」
「そりゃそうだが、前回のように敵の
洛が俺の意見を補強する。
「別に、一人で村に泊まるなら止めはしないぜ。お前も一応女子だし、風呂にも入りたいだろう」
「『一応』は余計。別に女の子扱いしてほしいわけじゃないけど」
西尾は足を止め、乾いた流木を集め始めた。瞬きの間に焚火が出来上がる。彼女のアビリティだろうか。
「おお、便利な人間着火剤だ」
「あんた、いちいち突っかかってくるわね」
洛は相変わらず西尾を信用していないようだった。
「ここで一泊しましょう。別に風呂は必要ない。川もあるし」
「ありがとう」
「何が? わたしの見ていないところであなたに死なれると、また同じことを繰り返さなくっちゃならない。それは勘弁してほしいからね」
「副会長が感謝の意を伝えてるんだから、素直になれよな」
俺がこのあたりで怪異にでも襲われて死ぬと、我々は此岸回廊からやり直しになる。西尾だけはしっかりその記憶を持ったまま。一周目よりはちょっとくらい効率がよくなるかもしれないが、また死霊退治をしなくてはいけなくなる。
「なんかこの世界に来てから、体力は向上した気がするんだが、やっぱり夜は寝た方がいいよな」
俺と洛は、ありがたく焚火の近くに腰を下ろす。
「痛みも疲れもあるよ。現実世界のそれとは、少し種類が異なるようだけれど」
西尾はそう言いながら、身につけていた甲冑をドサッと下ろし、一つに結んでいた髪をほどいた。急に無防備になるものだから、ドキッとしてしまう。
「おいおい、水浴びするなら言ってくれよ。俺たちはそっぽ向いとくから」
「なんで? べつに裸にはならないわよ」
西尾はそのまま川辺に歩いて行って、髪を水で丁寧に洗った。狐面は付けたままだし、鎧は脱いだものの帯刀したままである。しかしそのアンバランスさがかえって妙な色気を演出している。
「俺は、ちょっと離れて釣りでもしてくるかな」
洛は気まずそうに腰を上げた。彼の忍び刀『
「そっか、俺の『
俺の宝刀『狐假虎威丸』は、鞘と刀身がそろうことでそのスキルを発動する。虎の威を借り、周囲の
「その効果適用範囲も探ってみよう。いい機会だ」
洛はそう言って、川の上流の方へ歩いて行った。
「あまり離れすぎるなよ」
「ああ」
そうして洛の姿は見えなくなり、焚火のそばに俺、少し離れた川辺に
「西尾と会長は、幼馴染だったか」
「そうね。幼稚園のときから」
川音にかき消されない程度のボリュームで、話しかける。
「だから、救いたいと?」
「べつに、付き合っている年数は問題じゃない。玉藻ちゃんが玉藻ちゃんだからよ」
髪を洗い終えた西尾が、焚火の反対側に座る。俺には女きょうだいがいないから、風呂上がりの女子は新鮮で刺激が強い。
「あなたは、どうして玉藻ちゃんのことが好きなの?」
「ちょ、おま、すすす好きとか……」
「どうして今更慌てる? ほぼ公然の事実でしょ?」
そういえばそうだった。俺の玉藻に対する好意は隠しきれない。隠そうともしていないのでダダ漏れだ。ダダ漏れなのだが、玉藻本人だけは気が付かないフリなのか何なのか、のらりくらり。そこもまた愛おしいわけだが。
「俺にとっての尾又玉藻は、生きる目標であり憧れだ。そう言うと、もはや好きとかいう俗な表現を使うことが躊躇われるわけだが……」
「あ、ごめん。聞いといてなんだけど、それ長くなる?」
「俺が玉藻と出会ったのは、
「あ、はじめるのね」
九折中学へ続く
「だから、結局見た目なのね」
「まぁそれも否めないけど、続きを聞きたまえ」
当然のように彼女は新入生代表として、入学式の挨拶を任されていた。見た目があまりに完璧なので、当然中身もそうなのだろうと俺は見抜いていたから、何の違和感もなくその挨拶を聞いていた。当たり障りのない、ネットで拾ってきた例文みたいなスピーチをスラスラとこなした後、彼女は言った。
「来年、ボクは生徒会長になります。信頼できる役員を従えて、この中学校をしは……よりよくしていくことをお約束します!」
パーフェクトな美少女ビジュアルでありながら、一人称「ボク」というギャップもまた良い。
「それは、わたしたちの学年は全員知っているエピソードじゃない?」
「いや、俺から見た視点をご紹介しようかと思ってな」
「事実はいっしょでしょ」
「事実はいっしょでも、真実が違うのだよ」
「ふーん……。でもその話だといまのところ、玉藻ちゃんとあんたの間に、個人的なかかわりはないわよ」
「問題はそこだったんだ」
チンピラに絡まれているところを助けるとか、そういうわかりやすいエピソードがあればよかったのだが、現実にそういうことはなかなか起こらない。というかチンピラを倒せる気がしない。そこで俺は、彼女のスピーチにおける「信頼できる役員」というところに目を付けた。
「俺は凡人なりに努力を重ね、彼女の隣に立てる男となったのだ」
「めでたしめでたし。終わり?」
「終わりどころか、はじまりだ」
俺と玉藻は、一年生のときも別々のクラスだった。認知されるためには、常にトップを狙わなければならない。各種定期テスト、運動会、文化祭……なんなら絵画コンクール、作文コンクールも。中学一年生で行われるありとあらゆるイベントで俺はトップを狙った。しかし頂点は常に尾又玉藻。俺も常にトップ5には入れるようになったが、一人の人間が発揮できる才能には限界がある。
「俺が最も玉藻に肉薄したのは、作文コンクールだった。夏休みの宿題として書かされたアレだ」
「そんなのもあったね」
西尾は髪が乾いたのか、結いなおした。同じ生徒会役員でありながら、こうして二人で話したのははじめてだった。俺たちの中心は常に玉藻会長だったからだ。
「俺たちの書いた作文の中で、特に優秀なものが学校を通じて全国中学生作文コンクールに応募される。玉藻会長が最優秀賞で、俺が佳作だった」
「そういえば、二学期の終業式で表彰されてたね」
「そう、まさにその時だった――」
作文のテーマは「環境問題」だった。中学一年生の俺は、慣れない猛勉強のせいか少しばかりひねくれてしまっていた。昨今騒がれている地球温暖化が、実は起こっていないのだという論を作文内で展開した。人間の排出する温室効果ガスなど地球にとっては微々たるものに過ぎず、人間のせいで地球環境に影響が出ているなどと考えるのはむしろ傲慢である……みたいな。
「――体育館の舞台袖で、一瞬俺たちは二人きりになった。俺は当然玉藻の書いた作文を暗唱できるくらい読んでいたから、その感想でも口にしようと思ったんだ」
しかし俺が口を開くより先に、玉藻から口を開いたのだ。
「君の作文、読んだよ。実に挑戦的で挑発的。本来は君の方が最優秀賞をもらうべきだった」
「え……そんな、ことは……」
「そんなことはあるよ。ボクの作文は大人ウケを狙いすぎた優等生作文だ。刺激が足りないね」
教頭によって、俺たちの名が呼ばれる。舞台に出なければ。
「
尾又玉藻が表彰状をかかげた校長に向かって堂々と歩いていく。呆けていた俺は慌てて後に続く。
「またその話か」
釣りに出ていた洛が戻ってくる。なかなか立派な川魚を数匹、木の枝に括り付けている。俺も回想を終えて現実に戻ってくる。
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