第3話

「邪魔が入ったようだ」


 女武者は鋭く口笛を鳴らす。仮面の中で音は反響しないのだろうか? という疑問はさておき、音は鋭く響く。


 木立の中から一頭の馬が現れる。彼女は鎧の重装備を纏っていないかのような身のこなしで、軽やかにまたがる。


「京の都へ来るといい。そこに玉藻御前はいらっしゃる」


 彼岸花模様の『狐憑き』が言う。

 馬はずるいぞ! と思いながら、俺たちは俺たちで退路を確認する。


「玉藻御前にまみえたければ、そこでわたしがお相手しよう。それまでに死ななければ、の話だが」


 あの女武者をもってしても、狐憑き二人と牛鬼を一度に相手するのは骨が折れるとの判断だろう。


 馬は華麗に塀を越え、『彼岸花』は出雲街道を畿内の方へ向けて駆けて行った。


「奴の後を追いたいが」

「今は無理そうだな」


 牛鬼は寺の入り口で俺たちに睨みをきかせている。入ってきたときと同様に塀を乗り越え外に出ることはできるかもしれないし、ギリギリできないかもしれない。微妙な距離感だ。


「先に行け」

「わかった。その期待に応えよう」


 促したのは俺で、期待に応えると言ったのは洛だ。


「こっちだ!」


 俺は手近な石ころを牛鬼に向かって投げつける。俺は野球部でも何でもないが、ずいぶん上手いこと投擲ができて、石ころは鬼の牛頭に命中した。


 ブフォオオオオン!


 闘牛のごとく、興奮したご様子。そこまでするつもりはなかったのだが、俺は慌てて走りだす。いったん洛から距離を取る。牛鬼が俺に夢中になっている間に、洛は入ってきたときと同じ手順で塀を登る。


「うわッ」


 牛鬼の突進をかわす。俺が串刺しにならずに済んだのは、牛鬼の傷がまだ完全には癒えていなかったからだろう。すれ違いざま、昨日洛が放った矢の切り傷が見えた。


「今だ!」


 洛の声がする方向へ、とにかく走る。背後で牛鬼が方向転換しているのがわかる。でも振り返っている暇はない!


 ホップ、ステップ、ジャンプ。


 塀の上から伸ばされた洛の腕に飛びつく。腕力というよりは、飛びついた時の遠心力を利用して、俺の身体は塀の向こう側へ。


「いってぇ」


 着地失敗。しりもちをつく。


「急げ! すぐに来るぞ」


 洛にせかされ、走る。振り返りざまに見えたのは、塀を乗り越えようとする巨大な蜘蛛の足。門の方に回れよ、という我々の気持ちを裏切って、奴は最短距離で追ってくる。


「一度やつの視界から逃れて、どこかの民家に隠れよう」

「その家の人はどうなる?」

「んなこと心配してる場合か?」


 そりゃそうだ。それに、ここに来た時の感覚からすると、早朝とはいえ民家に人の気配はなかった。『彼岸花』が、あるいは『獺』の側が、戦いに先駆けて人払いをしていたのかもしれない。


 通りに出る。

 

 一二の三で、手近な扉を開く。錠はかかっていない。飛び込む。息を殺す。


 ブフォ、ブシュゥゥ!


 窓の格子の向こうから、牛鬼の鼻息が聞こえる。牛の嗅覚や聴覚はどうなんだっけ? 赤い色に興奮するというのは聞いたことがあるが……。視界から消えただけで、上手く撒くことができるだろうか。


「……洛!」


 小さな声を絞り出す。

 気が付いた時には遅かった。俺の手足はすでにしびれて満足に動かなくなっていた。


「しっ……黙ってろ」


 ダメだ。洛はまだ気が付いていない。

 俺の方がより牛鬼に接近していたから、まわりが早いのだ。


 牛鬼の吐く息には毒が含まれている。奴自身に俺たちの姿が見えていなくとも、ブシュゥゥと吐き出された息はこの家の中にも入り込んでくる。


 ああ、ダメだ。気が遠くなる。


 この世界で、誰に正体を暴かれるでもなく、ただ野垂れ死んだ場合はどうなる?

 都合よく、もとの世界で目を覚ますことができるのか? それとも……

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