第12話 神々の恐ろしさを知らないから

 ストラトス家の庭は素敵だった。客人に見せるための前庭はもちろん、裏庭だって広く面積が取られているし、立派な噴水が設けられ手入れが良く行き届いている。芸術性では女神の神殿の庭も素晴らしいが、あちらはどことなく近寄りがたくて背伸びしなければならない気持ちに駆られるから、親しみやすさのあるストラトスは好ましい。植栽も孤児院と同じものがあって、早くも懐かしさを感じられる。月夜の散歩とあって鼻歌でも歌いたい気分だったが、生憎同行者のおかげでそこまでの気分にはなれない。

 アレッシアは無言。

 ルドも無言。

 お互い喋れる話題がなく、アレッシアは度々後ろを歩く男に気を取られる。


「並んで歩かないの」

「並んでいては守るのに不向きだ。後ろの方がお前の全体像を把握しやすい」

「じゃあ並んで」


 言えば並び歩いてくれるが、命じられたからなのは一目瞭然だ。


「えーと……あなたは私の従者になるんだよね。どうしてあなたが選ばれたのかはわかる?」

「俺では不服か」

「違う。そうじゃなくて……巫女長様から私が必要な事を知らないとか、そういうの聞いてないのかなって思ったの。基本的な知識が足りてないから、少しでも情報を仕入れたい。そういう意味での質問!」


 なんと短絡的な人なのか。人狼族にあったのは初めてだったが、彼の種族はこんなに話しにくい相手なのと頭痛を堪えきれない。アレッシアの精神性に大人が混じっていなかったら、今頃癇癪を起こして怒っていたはずだ。

 アレッシアは「私は大人」と自分に言いきかせる。


「たしかに女神の候補者は大抵は好きにしていいって言われたけど、だからってちょっと嫌な感じって思ったくらいでクビにはしませんけど!」

「そうか」


 そうか、ではなかった。アレッシアとしてはもう少し続く言葉があっても良いのだが、四の五の言っても仕方ない。痙攣する頬を押さえきれずに聞いていた。


「ルドは人狼族なんでしょ。人狼族は狩人の神を信奉する人が多いって聞いたけど、女神の戦士なの?」


 そういう意味では候補者の中に人狼族の女性が混じっていたのが気になるが、ふたつみっつを同時に追うのはよろしくない。「女神の試練」だって疑問だらけなのだから、まずは目の前の疑問から片付けることにしている。

 

「それは俺の素性と身の上を話せと言っているか」

「そうだよ。さっきからそうしたいって言ってるつもりだった」

「ならば言葉不足だ。俺は察してはやれんのだから、物事を知りたいならば声に出して聞け」

「いまそれをすっっっっごく実感してるところ」


 アレッシアもここにきて、もしや”向こう側の人”だった感覚で接していては駄目なのでは、と気づき始めた。孤児院生活は察しの良く気遣い屋の神官長やカリトンがいたし、仲間の女の子たちはアレッシアのことなどお見通しのように行動していた。そのためここでやっと思い至ったのだが、だとしても問題は相当難関だった。正味な話、アレッシアは他人とのコミュニケーションが上手な人間ではない。

 神様を否定する話題がタブーなのだけはわかっているが、頭を悩ませていると、ため息を吐いた男が語り出す。


「巫女長から世間知らずとは聞いていたが、よもやここまでとはな」


 いまの会話でなにが世間知らずに該当するのか不明だ。しかしながらひとつの事実が判明した。

 

「あ、なんだやっぱり私のこと聞いてたんだ」

「最低限、必要な知識だけだ。はじめから巫女長の手を煩わせるなど褒められたものではないが、今回は特例だとな」

「それ! 神官長さまにも特例だとか色々言われたけど、どういうところがお目こぼしをもらえてるの」

「聞いていないのか」


 聞いていなかった。教わったのは五人がそれぞれ与えられた試練に挑むこと、これらに挑むための心構え。他の神々に謁見した際に無礼を働かぬよう知識を授けられたことで、肝心なことは『協力者たち』から教われと言うばかりだった。

 もちろん神官長たちが役に立たなかったわけではない。彼らの教えは外に出たアレッシアにとって役立っているし、この人狼ルドに対しても「言葉を喋れるんだね」などと“人”に分類しない質問を投げなかったのは彼らのおかげだ。アレッシアが本で得た知識以上にこの世界は様々な“人間”と“神”で溢れかえっている。下手をすれば異端者扱いで殺されかねない状況、生きるための術を与えてくれた神官長には感謝している。

 

「あとは……この試練が数千年ぶりに行われる大事な儀式ってことくらい。運命の女神の代替わりは神々の中でも異例で、基本変わるはずのない神が入れ替わる重要な儀式だってこと」

「そうだ。運命の試練に際しては、主神のご命令により他の神々も必ず協力するよう申し伝えられている」

「……ふーん。そこが気になったんだけど、私が神殿で会ったのは女神様だったんだよね。主神にご報告とか……聞いた気もするけど、主神はどのくらいこの試練に関わってるのか知ってたりする? 試練の主導は運命の女神さまっぽいから、やっぱり後からご報告する形なのかな」


 純粋な疑問を投げたつもりだが、ルドにはいたく驚愕された。耳をピンと立て目を大きく見開くと、これが人狼族の「驚き」なのだと知ったのだが、感心するより先に忠告された。


「いいかアレッシア。此度の試練は運命の女神の取り決めによって行われるものだ。軽々にそのようなことを口にするものではない」

「ごめん、いまの発言がなんで……ちょっと意味がわからない」

「運命の女神が独自に試練を執り行われると主神もお認めになっているということだ。そもそもこういった神々の行いを主神が知らぬわけがないのだから、彼の方をないがしろにすると受け取れる発言は慎め」

「そんな変な発言をしたつもりはないんだけど……ああ、うん、わかったごめん」


 ここには誰もいないのに、ルドは何かに怯えている。アレッシアは一応返事をするが、いまいち状況を理解していないのは丸わかりだ。

 ルドは膝をつくとアレッシアに視線を合わせ、耳元に口を寄せた。頬に人狼の毛があたってくすぐったいし、想像以上に牙が鋭いが、笑っている状況ではなさそうだ。

 ルドはアレッシアにしか聞こえないように小声で喋った。


「無礼を許せよ」

「え、な、なに?」

「主神に対し疑問を口にするのはよせ。我らが神は万物を知り、世界を管理される唯一の統治者。聴こうと思えば遙か果ての町民の噂すら耳にお入れになる方だ。気紛れな御方ゆえ、どのようなお言葉がお心に触れるかわからない」


 アレッシアにしてみれば会ったこともない主神より、いまのルドの方がよほど迫力があるのだが、あまりに焦りを帯びていたから、今度こそ真剣に頷き返事を示した。


「……わかったのならいいが、ああ、なるほどな。お前のことが少しわかった気がする。次からそういった疑問を声にする前には、必ずストラトスか俺たちに話してからにしろ」


 たった少しの会話なのに、すでにぐったり疲れているではないか。

 結局ルドの身の上話を聞くことはできず部屋に戻る羽目になったのだが、布団に潜り込んでからアレッシアは思った。


 ――やはりこの世界、アレッシアの性にまったく合わない。


 そもそも絶対的な神を信奉する世界に違和感しかないのだ。人々にしてみれば他宗教を取り込む文化を知り、それらを受け入れるアレッシアの方が異常者なのではあるが、異端にだって異端なりの理由がある。

 好きでこの世界に生まれ変わりを果たしたのではない。

“前の自分”は被害者で、殺されたのだって戦神ロア、さらに言ってしまえば彼に命令した主神や、アレッシアを召喚した運命の女神の責任ではないか。


「あーやだ、思いだしたらむかむかする……」


“前の自分”が受けた仕打ちを思い出すほど眠れなくなるのだ。理不尽すぎる現実にイライラしてしまうから深く考えず、アレッシアに撤しようとしているが、受けた恨みはまだ胸に燻っていた。戦神を殴ったときにも思っていたが、彼女は人生を諦めていたわけではないし、人を人と思わず殺されて悔しくないはずがない。

 じわりと浮かんだ涙を拭い、強気に「くそぅ」と呟いた。


「試練に勝ったら、あいつら全員にごめんなさいって土下座させてやる」


 そうだ、神を信じ切れないのはここにも理由がある。アレッシアは女神に孤児院の子達の解放を望むときもこんなことを思っていた。心の内の恨み節は隠しもせずにいたのに、あの女神は揚々と頷いて、とうとう女神の候補者になってしまった。あんな女神を信奉する人々の思想や神々の節穴っぷりには呆れずにいられないのだ。

 アレッシアに喜び、存在を歓迎してくれた人たちには悪いと思うが、彼らを恨むことは悪いとは思わない。というよりそうでもしないとやっていけない。

 いつか女神の座についたときは、さてどうしてくれようか。予行演習を心の中で行う間に眠りについたが、意識が落ちる寸前“前の自分”が老婆と話をしていたのを思いだした。 そういえばあれは誰だったのだろう。いま思えば運命の女神の神殿にはまるで似つかわしくない人だったけれど、あの人はどこに行ってしまったのだろうか。

 気になりはしたけれど答えは返ってこない。

 なにもかもわからないだらけで、これから上手くやっていけるのか不安を抱えながらも、アレッシアの始まりの日は無事終わった。

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