第10話 私たちはお前の幸せを祈る
しかし手を取られたからってなんと答えれば良いのだろう。ルドは制止したまま動かないし、かといって手は離してもらえない。アレッシアが挙動不審になっていると、ぼそっとカリトンが呟いた。
「認める、と」
神官長の教えを思い出した。
「み……とめます。私の護役ルド。どうか私の剣となり災いを振り払ってください。あなたの導きが私には必要です」
「命に代えても」
「あなたに女神の恩寵が注がれますように」
これが教わった契約を正式に交わすやりとり。
アレッシアは特に祈りを込めたつもりはなかったが、身につけていた腕輪が光ると一粒の光が飛び出した。たんぽぽの綿毛のようにふわふわ揺れる光は、やがてルドの額に張りつき溶けて消えた。
これを終え立ち上がるルドの身の丈は二メートルを超え、アレッシアが彼の顔を見るには首が痛いくらいに持ち上げねばならなかった。
「さて、次はお前だリベルト」
「私は後にさせてもらおう」
存在感に溢れるルドに対し、リベルトは穏やかさに溢れている。アレッシアの目線に会わせ跪くと、にこりと笑って挨拶を交わした。
「堅苦しいのは苦手みたいだ。お互い慣れてからちゃんとした契約を交わそうじゃないか。……ああ、よろしくアレッシア。私はリベルトだ。貴方の盾となり、影を担う者となる」
「よろしくお願いします。リベルトさん。それにルドさん」
「ああ、いや、それはダメだアレッシア」
苦笑するリベルトは優しく諭した。
「ルドにも言われたね。私たちすべての人間の主は主神であらせられるが、それ以上に貴方は私たちが重んじるべき人であり、鞘である。対等であってはならないんだよ」
「はい?」
「私たちは呼び捨てにしてもらいたい」
「え、いえ。大人の人を呼び捨てにするのはちょっと……」
「大人子供は忘れなさい。いまの貴方は女神の候補者アレッシアだ」
これからアレッシアを守ってくれる人達に礼を尽くして、対等であってはならないと言われたのは初めてだ。目を点にするも、話は長く続かなかった。
ルドがヴァンゲリスを追及しはじめたためである。
人狼と目が合った途端、ヴァンゲリスは縮み上がった。すみません、とわけのない謝罪を叫んだが、ルドは動揺しない。恐れられているのも慣れている風だった。
「遅参したのは詫びるが、使用人が一人もいないとはどういうことだストラトス」
「おぐっ……や、やっぱり見逃してくれない……」
「ここは女神候補者が万事つつがなく動くための中心地となる場所だ。剣となり盾となるのは俺たちの役目だが、補助を担うのはお前の役目となる。そもそもストラトスの家が候補者の後見となるのは知らされていたはずではないか」
「それは……はい、そうなんですが……」
逃げられるならいますぐにでも逃げたい。ヴァンゲリスの顔にはありありとそう書いているのだが、隣には婚約者イリアディス、向かいには護役たちと逃げ場はない。
子供みたく両手で指を弄りながらぼそぼそと呟いた。
「…………が、五人目は……と」
イリアディスが婚約者の尻を叩く。すると青年は意を決して叫んだ。
「ご、五人目の候補者は現れないと聞いていたんです! それでやっぱりうちみたいな落ちこぼれには目をかけてもらえないのかと自棄で羽目を――」
「なんだと?」
ルドの目が光り、人狼特有の牙が剥かれるとヴァンゲリスが「ひっ」と悲鳴を漏らす。これはイリアディスも初耳だったらしく、婚約者の襟元を引っつかんだ。
「ちょ、待ちなさいヴァン!! なによそれ、そんな話あたしは聞いてないわ! アナタやっと運が向いてきた、皆を見返してやれるって張り切ってたのに!!」
「だ、だだだって、だってさぁ!」
「どこの馬鹿にそそのかされたのよこの根性無し!」
イリアディスに怒鳴られ、ヴァンゲリスはぎゅっと目を瞑る。
「マルマーのトリュファイナ様が予知したって知らせに来たんだよぉ!!!」
絶叫が響くと絶句が室内を支配した。唯一意味を飲み込めないのはアレッシアだが、彼女はその名前を反芻する。
「えーと、私以外の候補者の一人だっけ。すべての神々のために存在する特別な神殿の、特別な巫女様」
神官長に聞いた話だと、マルマーの巫女個々が神々に仕えている巫女長の実力に匹敵すると噂されている。その能力は天候を操る者もいれば、戦士を鼓舞するのに長けた者、未来予知を行い神々へ進言するなど様々だ。
そのマルマーの巫女、とりわけ今回の女神の候補者となったトリュファイナがヴァンゲリスに直々に忠告しに来たと告白した。
これにイリアディスは真っ青になり、ルドは沈黙を持って心を語った。リベルトは顎を撫でているが誰も発言をしたがらず、従ってアレッシアも様子見をしている。
ところがこの中で勇気ある発言を行った者がいた。
「重要な話の腰を折ってしまうのだが、良いだろうか」
カリトンだった。褐色肌の青年はなんとも難しい表情で挙手したのだ。
「うむ? 貴様は……」
「アレッシアを送りに来た者だ、ルド殿。貴方がたにお渡しするまではこの娘の保護者の一人だったが……」
聞くんじゃなかった、と顔に描きながら言った。
「僕は運命の女神の戦士であり、女神のために剣を振る者だ。ひいては公平性のために、候補者方どなたにも肩入れはできない。……戦いに纏わる事項は、聞かない方が良いと考える」
たったそれだけで得心した護役たち。カリトンに会釈すると、少年の言を聞き入れた。
「……ああ、そうか。確かにそれは軽々だったな。こちらの配慮が欠けていた」
「いや、貴殿たちにとっては無理からぬ話だろう。ストラトスの家を出たらこの話を忘れるから、僕がいなくなったら続きを話してくれ」
そして踵を返すカリトンにアレッシアが動揺する。
「え、カリトン様もう帰るの?」
「帰るもなにも、引き渡すのが仕事だと言っただろう」
「それはそうだけど……あ、じゃあ玄関まで送ります!!」
「いや、それは……お前はもう女神の候補者アレッシアなのだし……」
「まあ、見送りくらいは良いのではないだろうか」
少年は辞退しようとしたが、賛成の意を示したのはリベルトだ。
「貴方はアレッシアと親しい方なのだろう。それに女神の戦士となれば私たちも敬意に値するだけの方とお見受けするし、どうか彼女の希望を叶えてあげてもらいたい」
目配せすると、少年は渋々納得しアレッシアの見送りを許してくれたのだが、リベルトは気を使って少し離れた場所で見守る。
部屋に残されたヴァンゲリスはルドに事情聴取を行われているが、彼らがなにに慌てているかはアレッシアにはまだ伝わらない。庭を越えたところで足代わりになる狼を呼び出すと、別れを惜しむアレッシアと目線の高さを合わせる。
「カリトン様、ありがとうございました」
「これが僕の役目だから気にするな。それより……ああ、まあ、なると決めたからには頑張るといい」
「はい、やれるだけやってみます。どうかエレンシアたちによろしくとお伝えください。状況が落ち着いたら会いに行くと……」
首を横に振られた。
「すまない。これは言ってなかったが、お前をストラトスに引き渡した以上、試練が完了するまで神殿がお前に門を開くことはない」
確かに聞いていなかった。公平性を保つため帰宅は避けねばならないと教わったが、たまの帰省を禁止だとは言われなかったはずだ。そのことを指摘すれば、カリトンはアレッシアの正しさを認めた。
「従来ならば少しの帰省くらいならば認められるだろう。ましてあそこはただ祈りを捧げる場、何の影響もないから咎められもしないだろうが……」
「だったらなんで!」
「僕たちは女神の候補者アレッシアの邪魔になることを望まない。その方がお前のためになるからだ」
「勝手なこといわないでください。たまに帰りたいだけなのに、それもダメって禁止されるほうが私は嫌です。全然私のためじゃない」
たしかに生き辛い孤児院なのは認める。かといってやっと馴染み過ごしてきた家に出入り禁止、友達と会うのすら許されないと言われると納得できない。
ルール違反は犯さないのに、なんとも荒唐無稽な理由ではないか。カリトンの言い分に納得できずにいるアレッシアだが、少年は深く息を吐くと神官長からの伝言を伝える。
「元のお前の欠片を見出したとき、そのとき私たちは再び門を開くと……そう仰せだった」
「カリトン様も神官長さまに同意してるんですか」
「……僕もその方がいいと思う」
思い詰めた表情でアレッシアの髪に目を移す。少年は、皆は決してアレッシアを拒んでいるのではないと前置きし、手紙のやり取りだけなら可能だと伝え置いた。
「最後に……夢はまだ、見るか?」
「夢?」
「エレンシアが言っていた。お前は子守歌の夢を見るのだと……」
言われて思いだした。アレッシアは時々だが、誰かに子守歌を歌ってもらっている夢を見る。エレンシアには軽く話した程度だったが、まさかカリトンに筒抜けだとは思わなかった。
友人の思わぬ裏切りに頬をほんのり染め上げたが、カリトンに揶揄う気配はない。
「時々」と答えたアレッシアに、カリトンは瞑目した。
「そうか……ならば、やはりお前だけは特別だったのかもしれない」
「あの、夢の中の子守歌に、なんの関係が……私と何の関係があるんですか」
けれどアレッシアの記憶にたくさんの穴があるように、カリトンはやはり何も教えてくれない。否、教えたくても教えられない……そんな顔をしているようにアレッシアは感じる。
「僕はその夢をみたお前がどんな気持ちだったのかを知ることはない。だが、もし少しでも安らぎを得ていたのなら、どうかその時の心を忘れないでほしい」
「そんな言葉じゃわかんないです。もっとハッキリ言ってください」
「馬鹿者。それは僕の役目ではないんだ」
カリトンは苦笑し、半泣きで不平を漏らすアレッシアの目元を拭うと、短い別れを告げてストラトス家を後にする。
待って、と手を伸ばすアレッシアを見下ろし少年は祈りを贈る。
「どうか我らの愛し子に幸運を。神々の風がヴェールとなって包み、愛で満たされた生を送れますように」
カリトンは狼を駆り『孤児院のアレッシア』の物語が終わりを告げた。
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