第4話 不名誉の血と名
翌朝、空は抜けるように青かった。
狩場のあちこちには鮮やかな色で織られた布を張り巡らされ、陣が敷かれ、そこかしこに色彩豊かな旗がはためいている。王家主催の春の狩猟会にふさわしい好天である。
狩猟ということで飼い主に連れられた猟犬たちもキャンキャンとはしゃいだ声を上げている。人々は皆それぞれに春らしい色合いの狩猟服を身に着け、それを褒め合うことから歓談にいそしんでいた。
「今日は本当に良い天気で。皆さま良いベストですな、花の刺繍が愛らしい」
「そちらも素敵な帽子だわ。そうそう、今日の夕食は魔獣料理だとか。あまり食べ慣れませんが楽しみですね」
「魔王がいた時代の食事ですからなぁ」
「それはそうと、今朝出た官報はご覧になって?」
「慣例に従いこの狩猟会で魔女を決めるとか。しかしヒサール領にわざわざ
「……それはそうと、妙に騒がしくありませんか?」
陣の中心である緩やかな丘陵に集う人々の間には動揺が広がっていた。彼らの視線は一点に集まっている。
空の青からも青葉の緑からも人々の春色の服からも浮いた、黒っぽい出で立ちの中年夫婦がいた。夫婦は周囲の人々に切羽詰まったように青ざめた顔で喋りかけている。
「10年前に行方不明になった当家の息子を探しております!」
「どうかうちの息子を見かけたら当家までご連絡ください!」
「どんな些細な情報でも構いません、似た人の情報でも構いません」
「これが絵師に描かせた人相書きです、輝くような黒い髪に明けの明星のような金の目。今年で22歳になります」
「名前はナーヒヤール、ナーヒヤール・ナナマンです」
「今年の秋までに見つからないとあの子は、私のかわいいナーヒャはもう……」
ナナマン子爵家の夫人が泣き崩れる。しかし彼女が膝をつくよりも前に、その傍に駆け寄る若い男女の姿があった。
「いま、ナーヒャとおっしゃいまして?」
女の方は燃え立つような赤い髪に紅玉のような瞳。
「黒髪に金目の男の子と?」
男の方は雪のような白銀の髪にアイスブルーの瞳。
口々に言って、ナナマン家夫人を支えるというよりむしろ彼女に掴みかかる勢いである。涙目になっていた夫人はそれに気圧されポカンとした顔で首を一つ縦に振る。そして恐る恐る人相書きを差し出した。
「そうです、ナーヒヤール・ナナマン、鴉の濡羽の髪にピカピカ光る金の目の子、可愛い息子、可愛いナーヒャ……」
ついに膝をつこうとしたナナマン家夫人を、若い男女は許さない。女の方に至ってはもはや
「今年の秋までに見つからなかったらどうなるんです?」
「……いや、そうか、10年経っても行方知れずの場合はそのまま死亡扱いだったか」
若い男の言葉に今度こそナナマン夫人は青草の上に崩れ落ち、
その光景を見守っていた人々は己の連れてきた犬を撫でつつ、戸惑いながらも呆れたような声で囁き合う。
「あの若いお2人、傷心の方に対して少々乱暴じゃなくて?」
「仕方ないことよ、見てみなさいあの派手な赤い髪。
「この狩猟会にも参加するって話は本当だったのか」
「その隣の貴公子は“血濡れの氷冷公”と来た、すさまじい組み合わせだ」
「確かにあの髪、ヒサール公だわ」
「……そういえば、ヒサール公といえば亡くなった先代ヒサール公爵はご子息を失ったナナマン家のご夫妻に同情的だったとか」
「確かにそんな話もあったな。……随分親身になっておられたという話だった」
その声でようやく男女は我に返り、涙を流す貴婦人を支え起こす。立ち尽くす夫に彼女を預け、アウレーシャはゆっくりと視線を動かした。
隣に立つ血濡れの氷冷公ことアドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵もまたアウレーシャに視線を向ける。眼差しがぶつかり合ったとたんに双方の瞳孔が僅かに拡大した。
アドラフェルの眉間の皺がほどけ、張り詰めたような表情がわずかに崩れる。
“アドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵は「アディ」である。”
アウレーシャの確信はいま、事実に変わった。
あの日の少女はとっさに口を開き、けれど何を言えばよいのかもわからずくちびるをまごつかせる。アドラフェルもまた眉間にしわを刻んでこらえるような表情になりながら、わずかに開いたくちびるを結局きつく結んでしまう。けれど双方が意を決して口を開いたその瞬間、向こうの方から明朗快活な声が飛んできた。
「おーいアウレーシャ嬢、お待たせー! ごめんね、着替えに戸惑っちゃったよ」
「一人にしてごめんなさいね、アウレーシャ」
「おや、ヒサール公ではありませんか。ご機嫌よう。我ら、旧き家系イダ家のレパーサ・イダ」
「わたくしはカレーナ・イダ。直接ご挨拶できて光栄です、ヒサール領主閣下」
アドラフェルは向こうからやってきた2人にチラと視線をやると、ああ、と思い出したように呟く。
「レパーサ殿は前回の狩猟会で男子の部2位、カレーナ嬢は女子の部で1位だったか。お手柔らかに頼む」
アドラフェルが挨拶代わりにニコリともせず僅かに眉根を寄せてそう言うと、向こうから雑用係が駆けてきて、秘書官ザマンが彼を呼んでいるという。そのまま失礼、と言い残して人相書き片手にその場を後にした。
「そうかぁ、ナナマン家のご子息が失踪してもう10年か」
レパーサはアウレーシャの手にしていた紙をのぞき込む。
「10年前と言ったらいろいろあったなぁ。その前年に東方独立未遂事件があって、それからアウレーシャ嬢の修道院送り、ナナマン家令息の失踪。あのヒサール公が王国府預かりになったのも10年前だ」
その言葉を聞きながら、アウレーシャは唖然と手元の紙を見つめて呟いた。
「……彼が失踪していたなんて、私、知りませんでした。官報に、載っていなくて」
その愕然としたような響きに、カレーナがそっと寄り添って彼女の肩を抱く。子供をあやすようにぽんぽんと肩をたたいてやりながら優しい声で説き伏せる。
「無理ありませんわ。ナナマン家令息の失踪はちょうどあなたの身の振り方が決まるか決まらないかの頃でしたわ。あなた自身そんな余裕はなかったでしょうし、官報に載るのはあくまでも国王府の決定や国政にまつわることですもの」
それでもアウレーシャは駄々をこねるように首を横に振る。手元の人相書きにはあの日の「ナーヒャ」の面影がありありと見えて、懐かしいような苦しいような今すぐ叫びだしたいような走り出したいような衝動に駆られる。けれどそうもできずに紙をぐしゃりと握りしめた拳に、カレーナは優しく触れながら問いかけた。
「お友達だったの?」
ふと顔を上げると昔なじみの年上はほほ笑みながらもどこか熱っぽい目で彼女を見つめていた。
アウレーシャはゆっくりと首を横に振る。
「友人ではありません。ただ……ほんの少し縁があるだけで」
そう返事した。
実際、アディとナーヒャはアウレーシャの友人とは言い難い。18年前の園遊会でたった一度出会っただけなのだから。しかしそう事実以上に、彼女はあの約束とそれに懸ける自身の思いを誰にも聞かせたくはなかった。
「アウレーシャ嬢、あっちに僕らの馬があるらしいから馬具と武器の確認をしに行こう。……大丈夫、ナーヒヤール君なら大丈夫だよ」
レパーサが彼女の背をあやすように軽くたたいて厩舎の方に促す。どこか確信めいた口ぶりだった。眉根を寄せていたアウレーシャは僅かな驚きを伴って顔を上げる。キョトンとしたような表情に少女のころの面影が宿らせながらおずおずと問うた。
「……知り合いなんですか?」
「そういうわけじゃないさ。でも、ナナマン家夫妻がたった1人の子供を溺愛していたのは有名でね。君は修道院にいたからよく知らないと思うけど、一時期はこういう社交の場だけでなくいろんな家や公共の建物を回ってああしてビラを配っていたよ」
「あのヒサール領首府はもちろん、我がイダ家にすら来たのだからご夫妻の心中は察してなお余りあるというものですわ」
「そうなると、息子のナーヒヤール君が生きてるって信じたいじゃないか」
イダ家姉弟の言葉にアウレーシャは首を縦に振る。
「ええ、信じたいです」
噛みしめるように言ったアウレーシャは顔を上げる。厩舎へと向かう彼らを見つめ、当のナナマン子爵夫妻が別の方向に行ったのを痛ましそうに見守っていた人々は互いの顔を見合わせて言った。
「それにしても、本当に
「あの様子ではイダ家の姉弟が手伝ってやっているのだろう。
「まったく、旧き家系など東方独立未遂事件の際に爵位も財産も領地も全て剝奪して根絶やしにおけばよかったのだ」
「あらヤダ、国王陛下のご慈悲を否定するの?」
「いやッそういうつもりではなく……!」
「いいじゃないの、あの事件を首謀した者とその家族は処刑、協力者はすべてを失って牢の中。事件に直接関わっていないイダ家やバルワ家の当主があれ以来社交の場に出てこないのも、自重してるからでしょ」
「それはそうかもしれませんが」
「
「旧き家系らしいと言えばそこまでだが、そんなことで噂になるくらいならいっそ子供に甘いと思われた方がよかろうに……」
「そもそも旧き家系は社交界デビューが早すぎるのよ、今時どれだけ早くても16歳か17歳、普通なら18歳でしょう? それなのに14歳って。そんなだから魔法の扱いもおぼつかないうちに狩猟会に出てあんなことになるのよ」
「何もかも仕方なかろう、名誉と魔術戦闘の技術を第一とする旧き家系。時代遅れの貴族たちなのだから」
***
その旧き家系の子供たちは人の群れを離れてそれぞれ自分の装備の最終確認を行っていた。
「すまないねアウレーシャ嬢。一人にしてしまって」
「嫌な思いはしなかった?」
馬具の具合を確認しながらイダ家の姉弟が問うのに、アウレーシャは平気です、と応える。それでも、向こうの方で主人にじゃれる猟犬たちを眺める彼女の横顔は落胆を滲ませていた。手の中の人相書きを握りつぶす。
「どうしたって独立未遂事件のことがありますわ、本当はわたくしたちがアウレーシャと一緒にいるのも良くないのかもしれませんが……」
カレーナは乗馬ブーツのベルトをいじりながら言って、うち沈んだような顔になる。それを励ますようにイダ家長兄が声を弾ませた。
「まあまあ、今日はせっかくの狩猟会、魔獣を狩って戦果を挙げてこその僕ら旧き家系だ。今回は1位を取ってアドラフェル卿から狩猟王の座を奪還したいね!」
そのまま妹分に飛び切りの笑顔を向けて知っているかい、とはしゃぐように語った。
「前回の狩猟会でのアドラフェル卿の戦いぶりと言ったらすさまじくてね、愛用らしいミスリル
ホラ、とレパーサが指さした先で青毛の馬を引いた“血濡れの氷冷公”が
「……アウレーシャ嬢、もしかしてあの氷冷公に一目ぼれでもしたかい?」
顔を上げたレパーサはニヤニヤ笑うが、妹分の顔を見ると「そういうわけでもなさそうだな」と訳知り顔で言い切る。実際、それは正しかった。
「何せヒサール公は全く笑わない、愛想がないんだからね。ま、ピシャリとつれない男が好みだって乙女も世にはいるけどさ」
歌うようなその声にアウレーシャは苦笑する。
それは今の話だ。あの頃のアドラフェルは、声を上げて目を細めて楽しくて仕方ないとばかりに笑っていた。それを彼女は知っている。
「諸々の確認も終わりましたし、わたくしたちもそろそろあっちにに戻りましょう。狩りを手伝ってくれる猟犬はあいにく連れていませんけれど……アウレーシャ、わたくしたちも頑張って参りましょうね」
カレーナに促され、騎馬を引いて3人で陣の中央に向かう。馬の脚はザカザカと青草を踏み鳴らしながら進み、陣にできた人だかりの一番後ろで足を止めた。
しばらくするとそわそわとしていた人々が静まり、次の瞬間華やかにトランペットが鳴った。
陣の一番奥の幕が開かれ、わっと大歓声が上がる。猟犬たちも一緒になって大合唱し、その凄まじさたるや木々に留まっていた鳥たちが一斉に飛び立つほどである。
「国王陛下だ!」
「王家の皆様方がお揃いだ!」
「国王陛下ばんざーい!」
「シャマル王家に栄光あれ!」
「我らシャマル王国に栄えあれ!」
熱狂的な声に迎えられて、シャマル国王は穏やかな顔で笑っているのがアウレーシャにも見える。その横に立つ王妃や息子や娘たち、さらに孫たちも声に応えて手を振ってやっている。
「……相変わらずすさまじい人気だね、我らが国王陛下は」
アウレーシャの横で旧き家系イダ家の長兄が妙に低い声で言った。
「みんなのお祖父ちゃまだもの」
答える双子の姉の声もまた低い。
「あの見た目ほど甘くはないものな、陛下はさ。独立未遂事件首謀者の家族の処刑だけでなく、事件に関与していない旧き家系の財産や領地まで一部没収するように指示したのは陛下御自身だ」
「わたくしたちの父が王宮図書館司書長の座を追われたのもその一環」
全てを奪われなかっただけマシか、とイダ伯爵家は呟く。そしてバルワ伯爵家令嬢に目を向ける。アウレーシャ・バルワはそれを受けて首を縦に振る。
「さすがに我が家のことですし、官報にも掲載されていましたから知っています。あの措置は国王府から旧き家系全体への牽制であり警告。それを言うなら当時のヒサール領主のご子息が国王府預かりになったのだってつまるところ人質でしょう?」
そう言ってアウレーシャはあの官報の切り抜きを思い出す。あるいはさっき真正面から互いを見つめ合ったときの顔を。その顔に張り付いたあの険しいもの。もうずっと彼は困っているのではないか、と。そんな疑惑がアウレーシャにはある。
「誰も表立っては言いませんけれどね。東方辺境領での反乱騒ぎがあった後に同じ辺境領、それもあのヒサール領に対して何の手も打たないわけがありませんわ」
「国王府時代のアドラフェル卿は孤立していたと聞くよ。魔力も強いし大人たちから色々聞かされてたんだろう、王家の縁者の子供たちも彼にはほとんど近寄らなかったとか」
カレーナとレパーサはそう言って向こうの方に見える青毛の馬のあたりにチラと視線をやる。人々は大戦斧を携えた美丈夫を避けているらしい。けれど本人は変わらず涼しい顔をして……否、眉根を寄せた気難しい顔で人々の歓声を受ける国王を見つめている。
その国王がス、と手を上げた。犬たちですら口を閉ざし、そのまま老貴婦人たる宰相は彼の意図を受けて前に歩み出た。国王の傍に歩む女宰相はその手に持っていた長い棒が乗った布張りの盆を大切そうに掲げた。
盆に置かれたその棒が何であるか理解した者が、こらえきれないとばかりに呟いた。
「あれは魔女の
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