第三章
第11話 片瀬山
藤沢駅付近から片瀬海岸まで、少し前までは境側があふれると地下が水没するなどの不安があった。最近では境川の各所に親水池などが作られて改善されてきたきたものの、一部ではいまだに大雨の際には防水壁で対策するなどの対応をしている。少し掘っただけで砂の地層が出てくる場所も多いのだ。その証明となる状況が眼前に広がっている。
「海っすね。」
「海だな。」
「小田急江ノ島線がこんな感じで通っているはずだよね。」
指で藤沢駅と思しき場所から江ノ島までを指し示す。
「江の水はあのへんだったか……」
江の水とは、江ノ島水族館のことである。
「そういえば、江ノ島に住んでいる友達が、台風の時は橋を渡れなくて学校に来られないって言ってました……」
「いや、その情報、今関係なくね?」
「いえ、江ノ島っていうとそいつのこと思い出すっすよ。」
「俺は、江ノ島っつうとサザンだな。」
「稲村ケ崎や江ノ電は山の向こう側だよ。俺はなんといっても岩屋だね。」
「苦労してあんなとこまで行くのはよっぽどの物好きっすよ。」
「あー、シラス丼喰いてー!」
「生のヤツか!」
「それ邪道っすよ。正統派は釜茹でっす。あの白い感じ……」
「いや、透明感溢れる生に生姜醤油が大道だろ。」
「そういえば、子供のころ家族で地引網いったっす。そん時に踊り食いさせられて……あの口の中で飛び跳ねて、それを噛む感触、もうトラウマっすよ。」
「ああ、俺もいやだね。なんていうかさ、命をかみ砕いているって感じだよね。」
「さすがに俺も嫌だな。いただきますって言えねえもん。」
「そういえばさ、この時代って家畜ってまだいないよね。」
「ああ、豚とかも見てねえし、ニワトリもいねえな。」
「何かあるんすか?」
「創世記の中でさ、神は動物とは別に人間のために家畜を作ったって記述があるらしいんだよね。まあ、家畜って広い意味があって、犬も入れてるらしいんだけど。」
「ふうん、まあ犬がいるから否定はできねえってことか。」
「それって、6000年前ってことでしたよね。」
「うん。で、一番極端な例でいうと、ニワトリが家畜化されるのはちょうど今くらいの時代だとされているんだ。」
「じゃ、ニワトリは神様の作った家畜じゃないってことか。」
「そうなると、神から与えられたもの以外っすね。それなのに、タマゴや鶏肉食べてもいいんっすかね?」
「そこまでは知らないけどね。少なくとも最古の縄文式土器は16,500年前のものだから、聖書の神様は日本民族は作っていないってことだね。」
「間違いないっすね。」
「まあ、いつまで現実逃避してても仕方ないから、集落を探そう。」
「一番現実逃避してたのは委員長だと思うんっすけどね。」
集落は簡単に見つかった。丸木舟があったからだ。その横で、塩を煮だしている感じの土器が火にかけられている。
「ここも3軒、小規模の里っすね。」
「そうだね。下の海が陸地だったら変わっていたかも知れないけどね。」
「これだと、やっぱ漁業中心なんだろうな。」
「あとは、貝が採れそうだよね。」
「江の島っていえばサザエだな。」
「でも、醤油がないっすよ。」
日没まではまだ時間があり、みんな中央の広場で網や漁具の手入れをしていた。畑はごく小さい。植物は海藻に頼っているのだろうか。俺たちは挨拶してトラの里から来たと伝えた。
「おお、トラは元気にしてるかね。」
「はい。元気ですよ。娘のシャラにも子供が産まれました。」
「それはめでたい。それで、今日はどうした。それに、見たことのない顔だな。」
俺たちは半年の間世話になっていたと伝え、新しい産物ができたのでそれを紹介しにきたと告げた。
「新しい産物だと?」
「はい。これが、薬といって、具合が悪くなった時に飲むものです。」
「薬?」
「ええ。これが熱を下げるもので、こっちは咳を抑えるもの。これは腹痛を治すもので、これが傷の治りを早くするものです。」
「そんなことができるのか!」
「主に草の葉や根などから作ってあります。」
「そんなものが本当に効くのかね?」
「まあ、実際に試してみないとわかりませんよね。これは見本として差し上げますので症状が出たときに試してみてください。」
俺は長の娘であるアミさんに使用方法を教えた。薬によってお茶のようにして飲むものや、そのまま湯に溶いて服用するものがあるためだ。アミさんは20歳くらいだろうか、カナよりも大人の女性という感じだ。髪は短い。
「それから、こっちはモリ頭です。アラで作ってあります。」
試作してきた三つ又の銛頭を見せた。もちろん返しをつけてある。
「こ、これがアラだと……。信じられん、どうやってアラを加工したんだ。」
「ちょっと特殊な加工方法を使っています。これはアラで作ったナタです。細い木なら簡単に切れますよ。これも見本で差し上げます。丸太をくり抜く時にも使えますよ。」
「し、信じられん。本当にもらっていいのか……」
「その代わり、一つだけお願いがあります。」
「なんだ?」
「ネの島へ渡りたいんです。」
「ネの島か……だが、龍が出るぞ。」
「出たんですか、龍が。」
「ああ、この間までネの島に住んでいた家族が逃げ出してきた。だから今あの島は誰も住んでいない。」
「その人たちは?」
「舟で東に向かった。」
「龍のことは何か言ってましたか?」
「威嚇されたらしい。直接の被害はなかったようだが、こんなところにいられないと言っておったよ。」
「この里の人は見たことないんですか?」
「うちの者は見ておらん。舟で近くを通ってもそんなことはない。」
「舟でしか行けないんですか?」
「いや、潮が引いていれば、歩いて渡れるぞ。そうだな、膝くらいまでの深さだよ。」
「そうですか、じゃあ条件の良いときに行ってみますので、二・三日泊めてもらえますか?」
「ああ、これだけのものを譲って貰ったんだ。好きなだけいるといい。」
実は釣り針も作ってあるのだが、それは最後に礼として渡そうと思っている。この里は総勢15人で男7人、女8人の構成だ。貫頭衣ではなく前開きのベストのような衣装にふんどし姿である。女性は短めの貫頭衣に短パンであり、みな生成りの色あいであった。
翌朝、引き潮であるというので俺たちはナイフと軽食・LEDライトだけ手にしてネの島に渡った。距離200mほどであろうか、砂地に水の抵抗もあり、思っていたよりも重労働だった。
「上、登るんっすか?」
「いや、住居跡を見に来たんじゃないから、直接岩屋に向かおうと思ってるんだ。」
「まあ、灯台もねえしな。」
たかが頂上まで60mほどの高さだが、急な階段ばかりできつい。ましてや、階段なんて整備されていないだろう。俺たちは右回りを選んだ。道なんてない磯をゆっくり進んでいく。崖の部分は迂回し、時には水に浸かりながらの行軍は体力も時間も消費していく。ハクとシェンロンにとっても初めての磯だ。時には抱きかかえて移動する。
「あっ!」
俺は足を滑らせて3mほど落下し背中を磯に打ち付けた。痛みに悶絶する俺の視界に白い龍が湧き出た。飛んできたわけではない。いきなり雲のように湧いたのだ。
【あとがき】
藤沢駅近くの事務所に5年ほど務めたことがあり、その時のことを思い出して書いています。引地川は何度も泉の森から河口まで歩きましたし、境川も同様です。聞いた話ですが、境川の氾濫で地下が水没したのも事実で、私の時代でも台風になると境川の水位を確認して危なそうになると防水壁を設置していました。ちなみにネの島というのは完全に妄想から出たものですが、江ノ島に縄文時代の住居跡があったのは事実らしいです。ひょっとしたら、神津島から帰ってくる船のための灯台の役割をしてたんじゃないかと妄想するのも楽しいですよね。
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