第20話

「まさにつばめの巣だな」

「名前がカラスじゃなくてよかったね」

 若葉をみっしりと携えた桜並木。大ホールへの道を急ぎ気味に歩いていたら、ふと陣とモモに笑われた。つばめはその日の湿度によって髪の毛のコンディションが変化する。ふわふわと立ち上がった髪の毛を撫でつけていると、モモが思い出したように二人に聞いた。

「そういえば、仮屋の元恋人とやらは無事なわけ? なにかに巻き込まれてるって言ってたわよね」

 佐久間はまったくもって無事ではない。モモには「仮屋さんと付き合っていた人が大変なことに巻き込まれている」としか伝えていなかった。

「もう、悪くなる一方で。少しでも早く、仮屋さんから話を聞きたいんです」

「ふーん。花村はどうしたのよ」

「花村さんとは話を聞けたんですけど、仮屋さんには繋げてくれなくて」

「カフェでは会えなかったの?」

「はい。去年の五月に、アルバイトを辞めていました」

 去年の五月ねえ。モモがつぶやく。

「改めて聞きたいんだけどさ。あんたたち、玲香に会ってなにを聞きたいわけ?」

 モモがとうとう、核心をついた。もうごまかす段階ではないと思ったのか、つばめとアイコンタクトを取ってから陣が口を開いた

「おれたちのバイト先で、そいつが万引きをした。話を聞いていくと、どうやらその裏には黒幕がいることが分かった」

「……それが、玲香だってこと?」

「わからない。だが、関わりがある可能性はとても高い。万引き自体はうちの店に限らず、去年の五月から継続的に行われていた。だがそれは、そいつが誰かから万引きするよう脅迫されていたからなんだ」

「脅迫う⁉」

 モモが声を抑えて、しかし切れ長の目を大きく見開いた。

「……すべては仮屋玲香のためにそいつがアクセサリーを万引きしたことから始まった。またその時期に仮屋はバイトを辞め、花村とも別れ、そいつとも連絡がつかなくなった。その後、例の脅迫のメッセージが届くようになる。いう通りにしないと、万引の件をばらすってな」

「そんなの、」

「それが全部、去年の五月に起こったことだ。……ここになにか因果関係があるんじゃないかと思って、俺たちは仮屋玲香を探している」

「それやばいじゃん。玲香がそいつを脅迫してるってこと? 金でもとられてるの? 学校には報告しないの?」

 モモが畳みかけるように聞いた。

「うちの店主が、『見逃す』っていうんだ」

 だが陣は大きくため息をついた。

「だから、ことを大きくできない。それに学校に伝えたところで、解決できるとは思わないしな。真犯人はうやむやになって、そいつが謹慎食らっておしまいだ」

「なるほどねえ……」

 モモは考え込むように俯いた。ここ一か月、探しても探しても掴めない、仮屋玲香の影。ミスコンの運営委員会も、元恋人の花村も、佐久間からもたどり着かない。その姿をとらえても、残像のように実体がない。本当にそんな人間がいるのかと、つばめは薄気味悪ささえ覚えていた。だからモモからもらった一枚のチラシで、つばめはようやく仮屋の存在を実感したのだった。

「花村にも話を聞いたが、彼女は犯罪に手を染めるような人間ではないと言われた」

「そう……まあ、かなりべたぼれみたいだったしね」

「その、少し気になっていたんですが」

 そこまで聞いて、つばめは思わず口をはさむ。

それからずっと気になっていた疑問を口にした。

「仮屋さんって、どんな人だったんでしょう」

「どう、って?」

「花村さんは、嘘をついているようには見えませんでした。本当に、そんなことをする人なのか、いまいちつかめないというか……」

 モモは黙って、空を見上げた。どっかりと居座る雲のせいで、昨日よりも空が低い。二人がモモの言葉を待っていると、ぽつりぽつりとモモが言葉を紡いだ。

「人並みには欠点はあるわよ。ミスコンの時は明らかに敵意を持たれてたし、態度もよそよそしいし、打ち上げはハブられたし」

「なるほど……」

「ただ……人を脅して犯罪を犯させるような人間かっていうと、即答はできないって感じかな」

 それが正直なモモの感想なのだろうと、つばめは思った。

話しているうちに、三人は大ホールに到着していた。時刻は午後五時十分。第一部の学生がぽつぽつと入口から出てくるところだった。脳に焼き付けた仮屋の面影を基に、出てきた女子生徒の顔を一人一人照らし合わせていると、モモが恨めしげにつぶやく。

「早く話してくれれば、もっと協力したのに」

「す、すいません」

「……玲香と一度、話をした方がいいわ。あたしも探してみる。見つけたら連絡するから、連絡先教えてよ」

 三人は連絡先を交換することにした。まず、モモとつばめ、そのあとに陣とモモがお互いのアカウントを登録する。だが陣のアカウント名を見た瞬間、モモの表情が曇った。

「モモさん?」

「……近衛?」

 そして目の前の陣を、探るように見やる。

「陣は理事長の孫なんですよ」

 勝手にばらすな、と小突かれる。だがモモはそんなやり取りには反応せず、動揺したように目を泳がし、最終的に目を伏せた。

「どうかしました?」

「ううん。……じゃあ、また連絡するね」

 そう言って、モモはホールに小走りで駆けて行った。

「どうしたんだろう?」

「さあな。それより」

 陣がホールの入口の方へ足を向ける。

「入り口で仮屋玲香を張るぞ。出入口はひとつなんだから、確実にあそこを通るはずだ」

 二人は二手に分かれ、入口の左右から出入りする人を観察した。一方でホールを出る人と入ろうとする人で周辺はごった返していた。ロビーでは資料を渡しているのか、長い行列が外まで続いていた。満員電車に乗ろうと、ホームに並ぶ通勤客のような行列だ。たまにチラシに目を落とし、女子生徒の顔を見比べる。特に陣は目立つのか、三年生からちらちらと視線を送られていた。

 だが、お目当ての顔と合致するものはなかなか現れなかった。捜査は足で――いつかテレビで見た、難事件を追う刑事のセリフが頭をよぎる。雑音が集中力を切れさせたそのとき、手元のチラシを、背後から大きな腕が取り上げた。

「え……」

 突然のことに、つばめは固まった。つばめがふりむく前に、その人物がつばめの首に手を回し、あごを掴んで固定した。陣、ではない。だって、十数メートル先にオレンジ頭が見えているのだから。ではこれは誰の腕だ?――つばめが考えられたのは、そこまでだった。

「おいたが過ぎるよ、小鳥ちゃん」

 耳元で声を吹き込まれて、つばめは叫ぶ代わりに体を震わせた。

「あ、え……?」

 だが、振り向くことは許されなかった。顎を掴んだ右手がそのまま左頬をなでて、左手が体を固定するようにつばめの体に巻き付き、絡み付くようにつばめの右指の間に入り込む。かと思えばその手はだんだんと上っていき、先日転んで痛めた右ひじをぎゅっと掴まれた。

 つばめがうめき声を漏らす。つばめはその鈍い痛みで、自分が背後から抱きつかれていることに気づいた。

「なんてね」

 最後にわざと息を吹きかけられ、つばめは全身に鳥肌を立てた。拘束していた両手が緩み、やっとの思いで抜け出すと、その人物に上目づかいで抗議した。

「こ、このえさん……」

「涙目になっちゃうの? 可愛いね」

「か、からかわないでください」

「だから冗談だって」

 いつかのやり取りと同じような流れだ。あの時はポスターを見ていた。つばめは一歩、距離を取ってその人物――恭介と向かい合った。

「なんでだろうな、この学校はこんなに広いのに、どうしてきみと、こうもばったりと出会うんだろうね」

 それはこっちのセリフだと、つばめは思う。だが彼はつばめを見てはいなかった。つばめの肩越しに向かって、すっと目を細める。

「どう思う、陣」

 そう言った恭介の口角が、心底楽し気に上がった。

「……」

 陣はいつの間にか持ち場を離れ、つばめたちの二、三メートル先にいた。

 ただならぬ空気に、つばめは息をのんだ。通り過ぎの数人の女子が、「恭介~」と声をかける。そんな彼女たちを、軽く手を上げあしらう恭介。そんな何気ないやり取りも、この三人の空間だけが外界から切り離されてしまったように遠く感じる。つばめの前でこの二人が顔を合わせたのは、いまが初めてだ。それが感動の再会には程遠いことに、つばめはこの数秒で痛いほど思い知っていた。

 陣はなにも言わない。鼓動がすこしずつ大きくなる。大股でつばめと恭介に近づくと、つばめの肩をぐいっと引き寄せて、負けじと恭介の前に立ちはだかる。まるで群れからはぐれたライオンが、群れのボスライオンに立ち向かうように。

「なあ、陣」

 だが陣の行動などまったく意に介さない風で、恭介は笑顔を崩さないまま口を開いた。

「そろそろ海開きの時期だな」

「!」

 なぜそんなことを言うのだろう――そう疑問を抱く余地もないほど、つばめは陣の顔を見て驚愕した。彼の顔は、つばめの見たことのないほどこわばっていた。

「陣……?」

 肩に置かれた手に力が入る。だがそれはつばめを抱き寄せるのではなく、逆につばめにすがっているようだった。つばめは思わずそこに自分の手を重ねる。陣の手は冷たい。髪は燃えるように熱い色をしているのに、陣は意外と体温が低かった。今はそれ以上に、寒い時期に長時間プールに浸かって体温が奪われたように顔面蒼白だった。

「小鳥ちゃんを連れて、二人で海水浴でもしたらどうだ?」

 だめだ。

 これ以上、恭介と話をさせてはいけない。

 つばめは根拠なく悟った。なにが恭介の神経に触ったのかわからないが、いますぐ彼らを引き離さなければいけないと思った。

「陣、今日の日替わりメニュー、ハンバーグだよ。売り切れにならないうちに帰ろう」

 つばめは努めて明るい声を出した。恭介は最後まで笑みを崩さず、くちびるをぺろりと舐める。何気ないセリフに、何気ない提案。そこに込められた意味をつばめは知らないが、陣を傷つけようという意思があるのは明らかだった。どんなにオブラートに包んでいても、中身の毒が透けて見えている。いや、隠そうともしていないのか。

 つばめにはそんな適当さすら、自分たちへの挑発のように思えてならない。

「きみは幸せだね、小鳥ちゃん」

「……どういうことですか?」

「無知は幸せだってことさ」

 傍らの陣が、ビクリと大きく反応した。恭介の挑発に反応してしまった自分を恨む。そんな二人に勝ち誇ったような笑みを向け、恭介はホールの中へ入って行った。

「陣、帰ろう。仮屋さんなら、また探せばいいよ。明日でも、明後日でも」

いつの間にかクシャクシャに丸められたチラシを風がさらう。つばめは恭介の感触を上書きするかのように、右手を握り返してはくれない手のひらに絡めた。

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