花ノ宮香恋ルート 第21話 花ノ宮有栖



 茜に正体を打ち明けた―――その後。


 若葉荘に居るアイドル候補生たちと、オレは、夕食の場で顔合わせをした。


「私はアンリエット・チェルチ・シャストラール。フランス人なんだ! 気安くアンリって呼んで良いよ! 楓ちゃん!」


 右隣の席に座る、オレンジ色の髪の少女が、オレにそう声を掛けてくる。


 何となく一度見たような顔だが……思い出せないな。何処かですれ違いでもしただろうか?


 会釈しつつ首を傾げていると、今度は、前方から声が掛けられた。


「如月楓ちゃん、か……フフフ。はくじんのおんにゃのこ……ものすっごくタイプだわ」


 緑色の髪の色気のある少女が、向かいの席から俺にウィンクしてくる。


 いや、待て。好みのタイプっていったい何のことだ……?


 妙に彼女の鼻息荒いのは……いったい何故なんだ……?


 そして何で獲物を狩るような目でオレを見つめているのか……ちょっと怖いぞ、この子。


「ウフッ。私は、霧島菫。17歳。アンリとあずさと同じアイドルグループに所属しているの。よろしくね、楓ちゃん」


「は、はい。私は役者として、一時的にこの寮に来ただけですが……よろしくお願いします」


 一応、握手を交わしておく。


 すると、和装美少女の三木あずさ……こと、花ノ宮なずなが、菫さんの隣の席から微笑を向けてきた。


「気を付けた方がいいで、楓はん。菫は本物のレズ、やからなぁ」


「え゛」


「あずさ。変な風に言わないでくれるかしら? 私はただ、本能の赴くままに美少女を襲っているだけよ」


「尚たち悪いんじゃないかな……まぁ、このアホはまともに相手しない方が良いと思うよ、楓ちゃん。何かされそうになったら、私かあずさにでも言ってね」


「アンリまで! そんなことを言うんだったら……今夜、夜這いにいくわよ!!」


 がやがやと騒ぎ始める若葉荘の寮生たち。


 そんな彼女たちを微笑ましく見つめていると……視線が合った花ノ宮なずなが、俺に声を掛けてきた。


「改めてよろしゅうな、楓はん。うちの寮にはアンリ、菫、今宵、茜はん、そしてうちと、楓はん合わせて6人がいるんよ。今はいないけど、さっき顔合わせした雅美はんが寮母してくれてるんや。これからよろしゅうたのんます」


「はい。よろしくお願いします、あずささん」


 花ノ宮なずなとそう挨拶を交わした後。


 何処からか視線を感じ、俺は、左隣の席へと顔を向ける。


「あの……あ、茜さん?」


 隣に座っている茜が何故か、オレを無言で睨み付けてきていた。


 こいつ……オレが楓馬だって分かってから、何か態度が悪くなってないか……?


 確かに騙していたことは悪かったとは思うが、もうちょっと隠す努力をしてほしい。頼むから。


「……綺麗な女の子に囲まれてデレデレしてんじゃないわよ、この変態男」


 オレにだけ聴こえる声量でそう呟くと、テーブルの下でオレの足を蹴ってくる茜さん。


 あの……茜さん? そういうの止めてもらえるかな? 君、もう高校1年生だよね?


 オレとよく喧嘩をしていた小学生時代じゃもうないよね? 君はもう大人でしょ?


 引き攣った笑みを向け、そう心の中で訴えていると……茜は何故かプイッと顔を横に背けた。


「と、突然こっち見つめてくるんじゃないわよ……」


「じゃあ、どうしろっていうんだよ……頼むから、お前ももう少し協力してくれよ。諸々のことはさっき話しただろ?」


「うっさい。あんたの都合を押し付けてくるんじゃないわよ、ばーか」


 そう口にして、夕飯のコロッケにフォークを打っ刺し、豪快に頬張り始める茜。


 茜の横顔が紅く染まっているのが見えたが……何が、そんなに恥ずかしかったのだろうか?


 こいつの行動は本当に昔から、よく分からないな。









 ……世に名を残した表現者たちは皆、苦しみの中、等しく誰かのために作品を生み出してきた。


 フィンセント・ファン・ゴッホは、売れない画家であった自分を支えてくれた弟とその息子のために、絵を描き続けた。


 フレデリック・フランソワ・ショパンは、恋人に当てた名曲「別れのワルツ」を作曲し、晩年の病床時には、病の中、別れた恋人を想い「幻想ポロネーズ」を作曲した。


 天才的表現者が産み出し、世に評価された多くの作品は、自分のためではなく他者に向けた傾向が強い。


 そして、天才というものは、等しく自分の作品が素晴らしいものであることを疑わないものだ。


 死した後に評価を得るようになった、著名な画家たちや詩人のように。


 皆、誰しもが筆を折らず、自分というものを信じ続けて生きてきた。


「……」


 翌日―――早朝、午前七時。オレは稽古場に立ち、静かに虚空を見つめていた。


 そんなオレの背後にいるのは、花ノ宮有栖の姿。


 彼女は如月楓に扮したオレの背中を見つめると……静かに声を掛けてきた。


「早朝から寮を出て、稽古場に行きたいと聞いたのでついてきてみれば……まるで、別人ですねぇ」


「別人?」


「ロミオとジュリエットの時の貴方とは違う、と言っているんですよぉ」


 背後に視線を向け、オレは、こちらを観察している有栖と視線を交わした。


「まだ、演技も何もしていませんが?」


「私はこれでも、審美眼はあると自負しています。貴方は、以前までの如月楓とは違った雰囲気を漂わせている……それは、まごうことなき事実ですから」


「雰囲気、ですか? 申し訳ございません。私には何のことだかさっぱり……」


「クスクス……実を言うと、その点に関しては柊家の御屋敷で貴方と初めて出会った時から、既に気付いていたんですよぉう。そして、貴方が心から真に私たちの仲間になってはいない、ということも、ですぅ」


 ……驚いたな。


 完全に騙しきれていると思っていたのだが……意外にもこの女、よく人を見ているようだな。


 花ノ宮家の中で一番御しやすそうだと判断していたが、香恋や樹と並ぶ程度の洞察力はありそうだ。


 元からオレを知っていた茜とは違い、まったく関わったことのない有栖がそこに気付くとは、正直驚きだ。


「貴方は、これから何かを成そうとしている。それも、とても大きな何かを。―――如月楓。貴方はいったい何をしでかすおつもりなんですかぁ?」


「……有栖さん。芸術の価値とはいったい、何から産まれると思いますか?」


「これはまた抽象的な質問ですね。芸術の価値、ですか。私は凡人ですから、その答えは分かりませんね。それこそ、天才的な頭脳を持つ香恋や樹の方が、相応しい答えを持っているんじゃないですかねぇ」


「芸術の世界というのは地獄そのものです。そもそもが答えのない世界ですから、正解なんてどこにもない。それが良いものかどうかを判断するのは、産み出した側と観客の判断に委ねられる。ですから……芸術というものには最初から価値なんてないんです。価値を付けるのは、人の感性によるものですから」


「……なるほど。確かに、芸術というものには最初から価値なんてないのかもしれませんね。ですが……それを役者が言っては終わりなのではないですかぁ? 演技という、形のないものを評価すること自体、そもそもが可笑しな世界なのですから。無価値と言ってしまえば、役者の存在意義は無くなってしまう」


「そうですね。ですから役者、表現者は、常に観客を魅せなければならない。自己満足だけの作品には価値はない。誰かに見られてこそ、作品というものには本物の価値が産まれる―――。突き詰めれば、観客の心を揺さぶることこそが、芸術の価値の真理なのだと私は思っています」


「……心を揺さぶる、ですか……。それができるのは、ほんの一握りの天才だけでしょうね……。貴方は自分が天才だと、そう思っているのですかぁ? 誰かの心を揺さぶる演技ができると?」


「いいえ。私は天才ではありません。ですが……誰かのためだけに舞台で舞い踊ることはできます。それを見て、観客が感動するも不快に思うも自由。ですから私は、自己満足の演技しかできません。三流も良いところです」


「……のわりには……敗北者の姿には見えませんがね、今の貴方は」


「……」


 柳沢恭一郎は、役者を詐欺師と称していた。


 観客を騙して楽しませ、舞台の上で幻を見せる。


 本物に近い偽物を産み出すことができるのが、真の役者だと。


 ならば……オレは、あいつのためだけを想って、あいつの物語を彩ってやろう。


 オレが、あいつの望む世界を造りだしてやる。


 虚像を現実に変える……それが、柳沢楓馬という役者の演技だからだ。


「……そうですかぁ。なるほど……大体のことは察しましたよぉ」


 有栖はオレの隣に立つと、ふぅと、大きくため息を吐いた。


 オレはそんな彼女の様子に、思わず首を傾げてしまう。


「察した? すいません、仰っている意味がよく分からないのですが……?」


「本来、私は、貴方を説得するためにこの場に来たんです。柊家を盾に、再び私に忠誠を誓えと、脅す算段を付けていました。ですが……止めにします。これからは貴方の好きになさって結構です。花ノ宮事務所に在籍して、この稽古場を使って本番まで修練に励むも良し、あの子の元に帰ってそこで腕を磨くも良し……好きにしなさい」


「え?」


 一瞬、有栖にオレの正体がバレたのかと思って身構えたが……その様子を見るに、どうやら違うようだ。


「如月楓。先日言った通り、私は、柳沢楓馬を倒したいんですよ。でも、昔の私が香恋を妹のように愛していたのもまた事実……。あの子のことをこんなに想ってくれているのなら、貴方の道を遮るつもりは私にはないです。今のあの子は嫌いだけど……貴方のような存在が傍に居れば、昔のように変わるかもしれませんからね……」


「有栖さんは、その……香恋さんとはどういった関係だったんですか?」


「元は、妹のように可愛がっていました。御家の後継者問題で、両親は犬猿の仲でしたが……私たちには関係がなかった。だけど、樹のせいで、全てが壊された」


「樹さんのせい、で……?」


 オレがそう言葉を返すと、有栖は何処か寂し気な様子で、口を開いた。


「香恋は元々、誰にでも笑顔を振りまく純心な良い子だったんです。だけど、花ノ宮家長男の娘に産まれたせいで、幼い頃から、酷い扱いを受けてしまった……」


「……本人から聞いています。父親から苛烈な教育を受けてきたんですよね……?」


「ええ。……あの子の父親、花ノ宮礼二郎は香恋の自由を奪い、様々な習い事をさせた……。香恋は優秀でしたが、樹には一歩及ばす。父親の期待に沿えなければ、虐待じみた罰を与えられる。雪の中、外で正座させられていた時もありました。三歳の子が、ですよ? 本当に、おかしな家です」


「……」


「あの子が拠り所にしていたのは、就寝時にする、人形を使ったままごと遊びだった。疑似家族を作って、そこで孤独を埋めていた……私はよくあの子の部屋に忍び込んで、一緒に人形遊びをしていた時もありました」


「本当に、仲が良かったんですね、有栖さんと香恋さんは」


「ええ。ですが、あの子は……樹の心のない言葉で、変わってしまったんです……」


「心のない、言葉……?」


「『何かを捨てることのできない人間に、何かを成すことはできない―――』。樹は洗脳のようにこの教えをあの子に刷り込みさせ、幼い香恋が大事にしていた人形を目の前で引き裂き、無理矢理捨てさせた……それ以来香恋は笑顔を見せることはせず、父親の言葉に従い、後継者を目指すために、私と距離を避け始めた……」


 そんなことが……あったのか。


 あいつの心には常に陰のようなものを感じていたが……原因は父親と兄、だったというわけか。


「楓さん。貴方の前でも、香恋は笑顔を見せないでしょう?」


「え……?」


 オレは思わず、驚きの声を上げてしまう。


 何故なら……オレが思い出す香恋の顔は、いつも笑みを浮かべていた光景ばかりだったからだ。


「笑っている……のですか? あの子が……?」


 そう口にして目をパチパチと瞬かせ、驚いた表情を浮かべる有栖。


 その後、彼女は何かに気付いたのか、ハッとした様子を見せる。


「そういえば……香恋が大事にしていた人形の名前は【如月楓】でした。……楓さん、貴方は、まさか―――」


 何かを口にしようとしたが……有栖は首を振り、踵を返す。


「いいえ、何でもありませぇん。それでは……次は12月の舞台でお会いしましょうかぁ。良い演技を期待していますよ、楓さん」


 有栖は再び演技がかった口調に戻り、そう口にすると、その場を去って行った。


 オレは、そんな彼女の背中を……ただ静かに、見送った。

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