episode4.5 おぼこ娘の恋
「あら、書記ちゃん。おつかれ」
「おつかれ、しーちゃん」
しーちゃんは少し驚いた表情で私に挨拶する。無理もない。金曜日は生徒会にとって定休日。ヒデくんは剣道部に行ってるし、私たち二人もすぐに帰宅する。通常ならこの生徒会室はがら空きになるはずなのだ。しーちゃんは読んでいた文庫本を見せて、ここに来たわけを説明する。
「実は図書館が閉まってて、ここで読書してたの。書記ちゃんは?」
「私はコーヒー飲みながら宿題やろうかなって」
不思議なもので、宿題というものは家でやると恐ろしくやる気が起きないが、別の場所でやるとそれなりにはかどってしまう。静かな生徒会室で宿題を済ませようという算段だったのだが、まさか先客がいるとは思わなかった。するとしーちゃんは突然、「うふふ」と嬉しそうに笑う。
「どうしたの、しーちゃん?」
「ううん。ただ、今日は書記ちゃんと二人きりなら、『なんだか女子会みたいだな』って思って、嬉しくなっちゃったの」
女子会。私には無縁のワードだ。いったい何をする会なんだろう? タピオカ片手にダンスでもするのだろうか? キョトンとする私をよそに、女子会モードのしーちゃんはある提案をする。
「書記ちゃん、せっかくだから、恋バナしない?」
恋バナ。私にとってはもはや異国の言語である。とはいえ、ことさらに断る理由もない。私はとりあえず肯いた。するとしーちゃんは目を輝かせて恋バナを開始する。
「ねえ。書記ちゃんはさ、好きな人とかいるの?」
「いないけど」
「じゃあ、どんな人がタイプ?」
「うーん、とりあえず優しい人がいいかな」
「ええっと、優しい以外には何かないの?」
「うーん、特に注文はないかな」
「容姿の好みは?」
「こだわりなし」
「じゃあ、好きな俳優やアイドルは?」
「そもそも名前が一人も思いつかない」
八方塞がりである。頭を抱えるしーちゃん。私から恋バナを引き出すのは校内一の天才をもってしても難しいらしい。それもそのはず。私は生まれてこの方、男に熱を上げたことが一度もない。浮いた話が一つもなく、接着剤の使用を疑うほどに地に足がつきすぎている。それでも女子会を諦めたくないしーちゃんは、私の恋愛事情から離れ、今度は友人の恋愛事情に話を移す。
「そういえば知ってる? アイナがケントと付き合い始めたんだって」
「ええっと、どちら様ですか?」
「福島愛菜と石垣健人だけど……」
「なんか名前だけ聞いたことがあるような、ないような……」
「ほら、森晴也たちとよく一緒にいる……」
「ごめん、その人も知らない」
なす術なしである。項垂れるしーちゃん。悲しい哉、私の交友関係の広さは、ほとんど、この生徒会室の広さに等しい。しーちゃんが知人の話を振ったところで話が弾むどころか泥沼にはまってしまう。しかし、なおも諦めがつかないしーちゃんは、いよいよ自らの身を切り出した。
「そうだ、聞いてよ。シュンったら薄情でね、私が今週の土曜日にデートに誘ったら、『ごめん、友達と遊ぶ約束してて。別の日にできないかな?』って言うの。彼氏なら、友達の約束より、彼女の誘いを優先すべきだと思わない?」
「ちなみに、別の日は空いてなかったの?」
「まあ、来週の日曜日はお互い空いてたんだけど」
「ならいいじゃん」
「いいんだけど! いいんだけどさ! そういうことじゃなくて、もっと私を大事にしてほしいっていうか……」
「じゃあ、彼氏さんが先約を断ればよかったの? それは彼氏さんの友達に失礼じゃない?」
「それはたしかにそうなんだけど。でも、その、なんていうか……ああもう、なんで分かってくれないの!」
水掛け論である。デートを何よりも大切にしたい乙女とデートをただの用事としか見なしていない女の終わりなき議論である。私と恋バナをすることが不可能だと悟ったしーちゃんは、机に突っ伏して灰になってしまった。やれやれ、しかたない。私は例のごとく、コーヒーを用意し始めたのだ。
ケトルに水を入れてスイッチON。背伸びをしながら棚から豆を選ぶ。そういえば、このトラジャは久しく飲んでなかったな。スプーンで豆をすくってミルに一杯、二杯、三杯。ググッと力を込めて豆を挽く。そして粉をドリッパーに入れて、ケトルのお湯で少し粉を蒸らす。よし、二十秒。ぐるりと円を描きながらお湯を注ぐ。完成。書記ちゃん特製、トラジャコーヒーだ。
「しーちゃん、はいどうぞ」
コーヒーの香りでぬくっと顔を上げるしーちゃん。そっとマグカップを持って一口飲むと、口元に少し笑みが溢れた。
「やっぱり、恋バナよりコーヒーのほうがおいしいわ」
その通り。花より団子。恋バナよりコーヒーである。私は満足げにコーヒーを一口飲む。舌でじっくりとその味を愉しんでいると、ふと視界がぱっと明るくなるような感覚を覚えた。
あれ、トラジャってこんなにおいしかったっけ。昔飲んだときは「あんまりパッとしないなぁ」なんて思っていたはずなんだが。私はもう一度トラジャコーヒーを口に含んでみる。うん、やっぱりおいしい。私が目を輝かせていると、しーちゃんがクスッと笑う声が聞こえた。
「なんだかコーヒーに恋してるみたいね」
恋。なるほど、これが恋なのか。舌先にじんわりと味が広がって、少しずつそのおいしさに気づかされて、ずっとこのおいしさが残ってくれればなぁ、なんて思って。きっとそんな恋を、私もいつかするんだろうなぁ。
恋バナが苦手な少女は、そんなことを思いながら、コーヒーに恋していた。
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