狩人

 キングラングールの長が要求してきたのは、彼らが利用している水源の一つを最近占拠してしまっているというハヤテトラと呼ばれるトラを追い払うこと……もしくは討伐しろ、というものだった。曰く、ティグヌスたちが撃ち、片腕を負傷したというキングラングールはこのハヤテトラとの戦いに臨もうとしていた戦士だったらしいのだ。その代わりを務めろということだった。


 ラーサはハヤテトラを実際に目にしたことはなかった。が、クロウたちは知っているようだった。キングラングールの長の話を聞いた直後に渋い顔をしていたところを見ると、相手にしたくないという様子がありありと伝わってきた。それでも彼らに断るという選択肢は残されていなかった。クロウは「おれが行く」と立候補した。それを受けてティグヌスも「お前に任せられるか」と続いた。ほかは足手纏いだから、と言って残していくことになった。少数精鋭ということだった。その点についてはキングラングールの長もなにも言わなかった――「負傷者だけでも先にコロニーに返したい」という要求は突っぱねられ、彼らはクロウたちが逃げないように、との人質となってしまったが。


 ラーサは先頭を行く二人の様子を後ろから眺めながらついて行った。二人とも足取りは重かった。


 クロウが立ち止まってラーサを振り返った。その視線は失われた左腕に向けられていた。


「やっぱラーサは戻った方がいい」クロウは言った。「その腕じゃハヤテトラの討伐なんて……」


「右腕でもナイフは扱えるわよ」ラーサは答える。「痛みもないし。動くのに支障はないって。それにきみたちだけを危険な目に遭わせるわけにもいかないって」


「人形に心配されるほど柔じゃねえけどな」


 ティグヌスはラーサたちを振り返ることなく、ずんずんと先を進みながら吐き捨てた。「ティグ!」とすかさずクロウが叫びかけた。


「そんな言い方ないだろっ! 第一こんなことになった原因はあんたたちじゃないか! ラーサはあんたたちの尻拭いのために腕を! 感謝はすれど罵倒していい道理なんて、あんたにあるもんか!」


「んなこと頼んじゃいねえよ!」


 ティグヌスは聞く耳を持たない。


 クロウは歯噛みをして「くそっ」と独りごちた。


 一行は歩みを再開する。重苦しい沈黙が張り詰めていた。


「――どうして、自分の腕を落としたんだ……」


 ぽつりと、クロウが漏らした。訊ねたのか、独り言だったのかわからない。両方だったのかもしれない。


「そうした方が誰も死なないと思ったから」ラーサは言った。「そうでしょ。ほかの人たちが腕を切ったらその場で死んじゃってたよ、絶対」


「そうかもしれないけど……」


「少しでも大勢の人が助かるなら迷う意味なんてないでしょ」


「それは……!」振り返ったクロウは眉尻を八の字に下げて、悔しげに下唇を噛み締めていた。静かな怒りがそこにあった。「……それでもおれは……おれ、は」


 それ以上、言葉は続かない。喘ぐような音にもならない音が口から空気と一緒に吐き出されるだけだった。クロウは項垂れ、踵を返すと再び歩みを再開した。


 感謝されると思っていたのに。ラーサは内心で呟いた。


「……うまくいかないな」


 誰にも聞こえないほど小さな声でラーサは零した。足元のテラが気遣わしげに「くぅ〜ん」と鳴いた。



 * * *



 森をさらに進むと、木立の間から水辺が見えた。湖よりは小さく、池よりは大きい。水辺には二本の小川が流れ込んでいた。この水辺がキングラングールたちの水源の一つであり、ハヤテトラが占有しているという場所だった。


 ラーサは辺りを見回して首を傾げた。


「あれ……ハヤテトラっていうの、どこにもいないね」


 見える範囲にトラらしき生き物は見当たらなかった。


「油断するな」ティグヌスが鋭く言った。「どこかに潜んでるだけかもしれないだ

ろ」


「そうじゃないとしても、たまたまいないだけって可能性もある。それこそ狩りに出かけてるのかもしれない」


 クロウが続いて言った。


「いてくれないと困る。こっちは仲間の命がかかってるんだっ」


 ティグヌスはライフル銃を構えて仕切りに首を巡らせる。低木の陰でなにかが蠢く気配があった。彼は素早く銃口を向けた。野うさぎだった。「チッ」と舌打ちを一つ落とした。


「キングラングールたちの話に間違いがないなら、ここを生活圏の中心にしているのは間違いないんだ」クロウは木立の影から水辺の方へ歩み出る。「罠を仕掛けてヤツが戻ってくるのを待ってみよう」


「そんな悠長なことやってられるか」ティグヌスが反対した。「こっちには負傷者もいるんだっ。これ以上時間を掛けてられっか!」


「じゃあ無闇にハヤテトラを探すっていうのか?」クロウは冷ややかな視線を向けた。「この広い森で? 必ず見つけられる保証もないのに?」


 クロウとティグヌス、二人の視線がぶつかり合った。どちらにも譲るつもりはないようで、数逡の睨み合いになった。


「俺らが一緒に行動する必要もないな」ティグヌスが言った。「ハヤテトラを仕留めればいいんだからな。ここからは別行動だ」


「ハヤテトラを一人で相手にするつもりか? あいつは組まなくちゃ無理だって」


「そいつはおまえの腕がないからだろ」ティグヌスはクロウの横をすり抜けると、水辺の周辺を改める。足跡を探しているのだ。ニヤリと彼の口元に笑みが刻まれた。どうやらハヤテトラの足跡を見つけたようだった。「俺はやつの後を追う。ここで罠を仕掛けるなら好きにしろ」


 言うだけ言って、ティグヌスは踵を返して森の中へ歩いて行った。


 無理に引き止めることもできず、彼の後ろ姿を見送っていると……背後でガサガサッと物音がした。木々の枝葉が擦れ合う音だった。けれど、野うさぎのように小さな生き物が立てるような音ではなかった。ラーサとクロウは心臓が鷲掴みにされたような緊張感を覚えた。ティグヌスもいつの間にか足を止めていて、恐る恐ると言うように背後を振り返ろうとしていた。


 彼に習うように、ラーサも後ろを振り返った。目を見開く。「ぎっ」と喉の奥から変な声が漏れそうになった。


 白黒の縞模様の毛並みに緑黄色の猫を思わせる瞳。けれど、そこに宿っている意志の光は間違いなく捕食者の矜持を湛えていた。鼻面に皺が寄り、半開きにされた顎門からはラーサの腕よりも太そうな鋭い犬歯が四本覗いていた。


 全長四メートルはありそうなハヤテトラがそこにいた。


「ガルルゥアアアッ‼︎」


 獰猛な咆哮を間近で浴びて三人は時を止めた。


「は、走れっ! 逃げろ!」


 クロウは叫ぶが早いか、脱兎の如くハヤテトラに背を向けて走り出すっ!


 ラーサも慌てて後に続いた。ハヤテトラの気迫にやられてすっかり腰を抜かしてしまっていたテラの後ろ首を掴み上げて遁走する。視界の先ではティグヌスも突躓きながら駆け出していた。


 しかし、予想外のことが起こった。


 ハヤテトラは一陣の風のような身軽さと素早さで三人の横を通り過ぎると、逃げ道を塞ぐように進路に立ちはだかったのだ。


 三人はたたらを踏み急停止する。


 口元からぼたぼたと垂れる唾液と喉奥から轟いてくる唸り声が決して逃がさない、と宣告しているようだった。


 ありえないっ! ラーサは内心で叫んだ。あの巨体でこれほどの俊敏性を兼ね備えてるなんて反則でしょ! 同時に頭はすぐに次の逃げ道を探して猛回転を始めていた。


 けれど彼女が行動を起こすよりも先に、ハヤテトラが動いた。右前足を振り上げて、襲いかかってくる。ラーサの視線は鋭く尖った爪に吸い寄せられた。ハヤテトラの動きに真っ先に反応したのはティグヌスだった。彼は、ライフル銃をハヤテトラに向けて構えると、迷いなく引き金を引いたのだ。いくつもの銃弾が銃口から飛び出しハヤテトラに迫った。「うおおおお!」と叫び銃を撃ち放つ彼の姿は恐慌に陥ったようにも、錯乱しているようにも見えた。


 実際、ティグヌスの銃撃は狙いが正確とは言い難く、闇雲に撃っているようだった。ハヤテトラは俊敏な動きで三人から飛び退き、距離を取った。そうすればもう銃弾は擦りもしなかった。


「今だ! 走れっ!」


 ここぞとばかりにクロウが叫んだ。三人は森の中に駆け込み、全速力で走った。森の中に逃げ込めば木立が邪魔となってハヤテトラの俊敏さも少しは落ちるだろう、とラーサは期待した。


 しかし、振り返ってみればハヤテトラは木々の合間を縫うように、素早く後を追いかけてきていた。数秒もあれば追いつかれてしまうだろう……とラーサは直感した。


「ティグ! 合わせろ!」


 クロウは叫ぶ。背後を振り返りざまにライフル銃を構え、引き金を引いた。ダダダダッ、と一気に数発がハヤテトラの左半身に向けて飛んでいった。正確な狙いだった。ハヤテトラはスピードを落とし、回避行動を余儀なくされる。が、右側に避けた先ではティグヌスが同じように銃口を構えていた。再び幾重もの銃弾に強襲されたハヤテトラは、またしても回避行動を余儀なくされた。


 銃撃が一旦やめば、すかさずハヤテトラは距離を詰めようと迫ってくる。その度にクロウとティグヌスが銃撃で応戦した。左右からの銃撃に、ハヤテトラは思うように距離を詰められず、徐々に彼我の距離は開いていく。


 いい調子だった。このままいけばもしかしたらこの危機的状況を脱せられるかもしれないっ! とラーサは一抹の希望を胸に抱いた。しかし――。


「このままじゃ弾が切れたときにじり貧だよ!」ラーサは言った。「あの子の動きを止めないと無力化もできない!」


「無力化⁉︎ この後に及んでとんだお気楽者だな!」ティグヌスが叫び返した。「これは殺るか殺られるかの死闘だ! 無力化なんて言ってる余裕があると思ってんのか! ――だがこのままじゃやべえのは確かだぞおい!」


 ティグヌスから視線を向けられたクロウは顔に玉の汗を浮かべて渋面を作っていた。


 と、そのとき。クロウは弾かれたように顔を上げると、なにかを探すように視線を周囲に巡らせた。


「二人ともこっちだ!」


 クロウは右に転進する。


「えっ、どこいくの!」


 ラーサとティグヌスは有無を言わせないクロウの後に慌てて続いた。

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