第30話 旅行日程

 沖縄である。

 6月の沖縄は、梅雨真っ只中である。


「ああ、最悪だな」

 遥は湿気でじめっとした気温に辟易しながら呟いた。


「嫌ねぇ、せっかく南の島に来たんだから、そんなこと言わないでよ」

 同僚である宮田亜理紗がたしなめる。


「こんなじめっとした空気の中で楽しめるか? しかも仕事だぞ?」

「まぁ……そりゃそうだけどさぁ」


 ぞろぞろと続く生徒たちの列を眺めながら歩く。今日は団体行動の日で、これから琉球文化体験である。そのあと水族館を回り、宿へ向かうことになっている。

「まぁ確かに、どうせ沖縄に来るなら素敵な彼氏と来たいわね。あ~、どこかにいい人いないかなぁ」

 凪人が教育実習を終えていなくなると、亜理紗のいつもの『いい人いないかなぁ』が再発する。彼氏を欲しがる割には、付き合った男性とすぐに別れてしまうのだから、女心というものはよくわからない。


「ね、遥は彼氏欲しいって思わないわけ?」

 これも毎度の質問だ。

「う~ん、まぁ、そういう相手がいればな」

「二次元の彼じゃ、物足りなくならない?」

 まぁ、これもよく言われる。

「そうは言うがな、二次元はいいぞ? なにしろ裏切らないからな」

「それは……そうかもだけどさぁ」

 亜理紗が口をとがらせる。

「焦ったところで仕方なかろう。その時が来ればわかることだ」

「まったく、遥は冷めてるなぁ」


(冷めている……か)


 学生時代もよくそんな風に言われたものだ、と当時を思い出す。自分ではそんなつもりはないのだが、感情表現が他人より乏しいようで、なにを考えているかわからない、と敬遠されることも多かった。事、恋愛関係に発展すると、相手に不信感を与えるようで、一方的に『冷めている』『愛がない』などと誤解され、フラれてしまうのだ。


 だからといってそのことを嘆いているわけでもなかった。自分はどう足掻いても自分でしかない。的外れな情熱的な恋愛が向いているとも思えない。壁ドンも床ドンも、試したところで特別ドキドキしたりはしないのだ。


 しかしこれには異論もある。相手の男たちにも魅力が足りないのではないか? 現に、サカキにはこれでもかというほどにお熱なのだ。今までにないほどの情熱を注いでいる。それは、サカキが『相手に見返りを求めない』タイプだからかもしれない。ありのままを全部愛してくれる男。それがサカキだ。そんな人間に、遥は会ったことがない。そもそもそんな人間、現実世界にはいないのかもしれないが。


 人から何かを求められるのは苦手だった。期待されればされるほど、心が締め付けられる。もっと自由でいたいのだ。


「やれやれ、だ」

 なんとなくひとりごちると、生徒たちの列に紛れた。



*****


「着いた~!」


 空港に降り立つと、梅雨とは名ばかりのギラギラした太陽に迎えられる。じっとりとべた付くような暑さではあるが、凪人はウキウキしていた。


 橋本と共にタクシーに乗り込み、宿泊先へ向かう。撮影は明後日。今日は現地のコーディネーターと顔合わせ、打ち合わせをしたり、橋本マネージャーとロケハン…つまり撮影場所の下見などをする予定だ。少ない人数での強行撮影だけあって、案外忙しい。


 ホテルに荷物を預け、再度タクシーに乗り込む。街中を走れば、そこかしこに制服姿の高校生がいる。しかし、凪人は焦らない。遥の予定なら、わかっているのだ。今は町ではない。郊外にいる! そしてホテルへの戻り時間もチェックしている。が、問題は生徒やほかの先生もいるということだ。どうやって会いに行けばいいのか。


(作戦を練らないとだな)


 携帯電話を見つめ、そんなことを考える。


「大和君……、」

 携帯を片手に上ずった声の橋本マネージャーに名を呼ばれ、顔を上げる。

「はい?」

「おめでとう!」

 わなわなと肩を震わせ、手にした携帯の画面を突き出す。

「……お……わっ」

「受かったよ、カレントチャプター! 映画だよっ、役者デビューだ!」


 タクシーの中であることも忘れて大はしゃぎの橋本。それもそうか。ケ・セランから映画に『名のある役』で出ることになったのは凪人が初めてなのだから。出来たばかりの俳優部門は、まだ名もない端役しか仕事を取れていない。


「社長に連絡しなきゃっ!」

 橋本が慌てて電話を掛ける。受話器の向こうから、社長の嬉しそうな声が凪人にも聞こえてきた。


 サカキ役が決まったのだ。


 これで遥を撮影現場に連れて行くという約束も守れる。なにより、遥の好きなサカキを演じることが出来るのは、単純に嬉しかった。少しはサカキに近付けるだろうか。


(ああ、早く伝えたいなぁ……)


 遥は喜んでくれるだろうか。ますます会いたい気持ちが募る。


「はい、じゃ、また夜に」

 橋本が電話を切る。顔の筋肉を緩ませて、凪人を見た。

「すごいな、大和君。有言実行だったね。これ、ちゃんと読んだ? 決め手は原作者の夜和井よわいシャモ先生のだった、って」

 それを言うならトリの一声、か?


「有難いですね。俺の熱意が通じたのかな」

「そうかもしれないねぇ」

「主役のヴィグは誰になるんですかね」


 あるいは、昴流が……。


 あの、オーディションに来ていたメンバーの中だったら、有力候補は多数いる。既に顔が売れている若手俳優を使う方が、客を取り込めると判断するのか、それとも新人発掘という名目で無名の役者を選ぶのか。その辺りはプロデューサーだけではなく、協賛企業などの思惑もあるから何とも言えないのだ。


「ま、俺はきちんと今回の仕事をこなして、次に繋げるだけですよ。狙うはエピソード、ゼロ!」

 親指と人差し指で丸を作って見せる。


「へぇぇ、なんだか大和君、変わったねぇ。ちょっと前まではそんなに一生懸命なイメージなかったけどなぁ」

「え? 俺ってそんなにダメでしたっ?」

 焦る、凪人。

「ああ、ごめんそうじゃなくて! ひたむきさっていうか、そういうの感じさせなかったから。一生懸命な大和君、いいな、って」

「一生懸命……、」


『一生懸命な男が好きなんだ』


 もしかしたら、遥の好みに近付いているのかもしれない。


「ふ……ふふ、ふふふ」

 思わず笑みがこぼれる。

「……え? 大和……君……?」


 橋本は不安ばかりが募っていくのであった。


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