第14話 芸術鑑賞
土曜日である。
朝から天気が悪く、この日は外で雑誌のスチール撮影の予定だったが、断念せざるを得なかった。
「よかった……、」
朝、事務所からの電話を受けた凪人は珍しくそう思った。本来、チヤホヤされるモデルの仕事は大好きなのだが、今日は大人しく家で休みたい。出さなければいけない書類やレポートなどもあり、外に出る気分ではなかったのだ。
凪人は布団から起き出すと、そのままシャワーを浴びに浴室へ向かった。
少し熱めのシャワーを浴びる。と、遠くからチャイムが聞こえる。家の、呼び鈴である。両親はこの週末、他県に出張中だ。
「おーい、タケル~!」
浴室から二階に声を掛けるが返事はない。
「あいつ、出掛けたんだっけ?」
そういえば今朝方、クローゼットを漁る音がした気がする、とぼんやり考える。洒落っ気付いてきた弟は、最近凪人の服をちょいちょい拝借するのだ。
ピンポーン
チャイムの音が、再度鳴る。凪人は舌打ちを一度すると、腰にタオルを巻きつけた。
「はいはい、今行きますよ~」
ぱたぱたと雫を垂らしながら、玄関へ。
「宅急便かなんか?」
カチャリと鍵を開け、ドアを開ける。
「……へ?」
「あ、」
「ぶっ、」
ドアの向こうにいたのは、奈々と遥である。順番に凪人、遥、奈々の反応。
「ちょ! な、おい、」
タオル一枚の姿でうろたえる凪人に、遥はふふ、と笑いながら
「水も滴るなんとやら、だな」
と言い、奈々は凪人の反応を見て爆笑していた。
「なんですか、いきなりっ!」
顔を真っ赤にして(青いけど)慌てふためく凪人に、ヒーヒー言いながら奈々が答えた。
「は、遥がっ、ぷっ、円盤っ、っく、貸すって……ぶははは」
堪えきれなかったのか、また笑い出す。
「ちょ、待ってろよ、着替えてくるから!」
大慌てでバスルームへと戻る凪人だった。
*****
「は? おまっ、」
大和家リビング。
遥がトイレに立った隙に、奈々が凪人に詰め寄ってきたのだ。
「だから、凪人が遥を好きってことはわかってるの! だからこそ、こうしてわざわざ連れてきてあげたのよ? ねぇ、遥のどこが好きなの? いつから好きなの? 本気ってことでしょ?」
うりうり、と脇腹を突いてくる奈々に、凪人は顔を真っ赤にして俯く。
「やだ、耳まで真っ赤! 凪人でもそんな顔出来るんだ……、いよいよもって興味深い」
完全に楽しんでいる。
奈々との付き合いは半年程度だが、奈々の恋愛観は凪人に似ていた。フィーリングや損得が合致すれば、それでいい。愛だの恋だの、やかましい感情は最小限で、楽しく過ごせればそれでいい、という考えだ。だから別れた後でも後腐れなく接することが出来るし、仕事上での付き合いにも戻れる。
そんな奈々がこうして凪人を
「協力してあげるわよっ」
最高のニヤニヤ顔を見せられる。
気分悪っ!
「ん? 何の協力だ?」
トイレから戻った遥が首を傾げた。
「あー、なんでもないの」
奈々が適当に誤魔化した。
「大和先生、上がり込んでしまって申し訳なかったな。私は円盤を渡せればそれでよかったのだが」
円盤……つまりDVDである。
確かに、カレントチャプターはアニメ化もされているようで、『貸す』とは言われていたが。
「さ、奈々、お
「ええー? もう帰るのぉ?」
奈々が頬を膨らませ、ごねる。
「買い物に行こうと私を誘い出したのは奈々だぞ?」
眉間に皺を寄せ、遥。
「確かに」
奈々がポンと手を叩く。
「じゃ、お邪魔しました~!」
「お邪魔しました」
二人が玄関に向かう。
去り際に奈々が凪人に耳打ちした。
「後で連絡するから」
ポン、と凪人の肩を叩き、出て行った。
凪人は、なんともいえぬ渋い顔で二人の後姿を見送ったのだった。
*****
漫画を読んだのが小学校以来なのであれば、アニメを見るのも小学校以来なわけで。
読み終えたばかりのコミック。内容をすべて知っている状態での、アニメ鑑賞。すぐに見飽きてしまうのではないかと内心思っていたのだが、とんでもない。
絵が動き、声が入るだけでこうも違うのか! と、凪人は感心しきりだ。
「確かにこのセリフは熱いな……、」
ブツブツと感想まで述べながら、DVDを見続ける。
「よし! そこだサカキ! 決めろ!」
時に応援し、
「なんだよハル、やっぱいいやつじゃん…」
時に感動し、
「ったく、ムカつく野郎だぜ!」
時に怒りを感じながら世界に没頭した。
悔しいが、面白い。漫画を読んでいた時とはまた違う。アニメで観ると、感情がそこに見える。これはアニメーションの力なのか、声優の声の力なのか。とにかく『作品に命を吹き込む』というのはこういうことなのだと実感した。
*****
その日の夜、所属している芸能事務所から一本の電話が鳴る。
「はい、大和です」
『ああ、大和君?』
電話をかけてきたのはマネージャー兼営業担当の橋本
「ああ、橋本さん、お疲れ様です。撮影振替日の件ですか?」
『いや、そうじゃないんだ。実は……ちょっと折り入って話したいことがある』
いつになく真面目な声で言われ、首を傾げる凪人。
「なんでしょう?」
『大和君に、オーディションの話が来てるんだよね』
オーディション!
芸能界というところは、とにかくオーディションが基本だ。一度でも大きな仕事が入り、固定客がつけばしばらくは露出できる。だが、その最初の一回を引き当てるのがとにかく大変なのである。
「ありがとうございます! 雑誌ですか?」
『いや、違う』
「じゃ、ショー?」
『実は……、ドラマのオーディションなんだよ』
これには正直、驚く。
凪人はモデルとして登録している。まさか役者としてのオーディションが舞い込むとは。
「なんだって俺に? 役者志望は他にいますよね?」
『それが……先方からのご指名なんだよ。大和君て、漫画とか好きなの?』
「へ?」
『SNSで呟いてたでしょ?』
「ああ、」
そういえば、漫画読んだ感想をちょっと呟いたりしたっけ。
『どうやらその辺りがオファーの決め手みたいだ。とはいえ、オーディションを受けられる、っていうだけの話だけど。どう?』
「おれ、芝居の勉強とかやってないんですけど、大丈夫なんですかね?」
『まぁ、なんとかなるだろ。じゃ、受けるってことでいいね。先方には書類出しておくから』
橋本は嬉しそうにそう言った。
最近では漫画やアニメの実写化が多い。少しそっちの世界に興味がある方が、もしかしたら使ってもらえるのかもしれないな、などと考える凪人だった。
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