第3話 攻略不可

 週が明ける。


 二週間は教育実習だ、と言ってあったにもかかわらず、芸能事務所のスケジュール調整がうまくいかず、週末にみっちりモデルの仕事を入れられていた。更に打ち上げまで付き合わされ、凪人はフラフラになりながら、月曜の朝を迎えた。二日酔いを理由に実習を休むわけにもいかず、仕方なく学校へと向かう。


「凪人先生、おはようございまぁす」

 黄色い声が凪人を囲む。二日酔いの頭にはつらいが、外面を崩すことなく、にこやかに返事をする。


「おはよ。ちゃんと課題やってきたのか?」

「あ、私わかんないところがあってぇ、せんせ、放課後教えて~!」

「ずるいーっ。わたしもーっ」

 ぴょんぴょんしながらまとわりついてくるJKたち。

「まったく、困った子たちだな」


 ニッコリ。


「きゃ~~!」

 凪人が実習に来てからの、朝のルーティーンである。


 それにしても気分が悪い……。


 正門に差し掛かると、反対方向から遥が歩いてくるのが見えた。凪人はピッと背筋を伸ばすと、より一層の余所行き顔で遥に対峙した。

「谷口先生、おはようございます」

 どうだと言わんばかりに、この上なく爽やかな笑顔で挨拶をする。


「……お前、体調不良か?」

「へ?」

 最高に爽やかな笑顔をガン無視された挙句、いきなりの指摘に驚く。

「えー? 凪先生、具合悪いのぉ?」

 群がる女生徒たちが凪人の腕にまとわりついた。

 揺らされ、頭がぐらぐらする。

「いや、どこも悪くなんか、」

「嘘を言うな! 顔が青いだろうが!」


(えええっ? バラされた!?)


 慌てる凪人の腕を掴み、遥は校内へとずんずん進んでいく。

「ちょ、あの、谷口先生?」

 半ば引きずられるように、保健室へと連れ込まれる。ベッドに座らされ、

「そこで待っていろ」

 と命令される。


(なんでこの俺が命令されなきゃならないんだっ)


 納得出来ない凪人である。


 背を向けていた遥が、鞄の中から小さな水筒を差し出す。

「中は温かいお茶だ。とりあえずそれを飲め」

「は? なんで、」

「いいから飲みなさい」

 強い口調で言われ、逆らうことも出来ずに大人しく口をつけた。温かい……。


 遥は保健室の棚を漁ると、

「胃薬は…っと、これか。次はこっちだ。ああ、これは水じゃないとダメだな」

 コップに水を入れ、薬と一緒に突き出した。

「大方、昨日の夜に飲みすぎたといったところだろう? 慣れない実習で頭も体も疲れてるときに無理をするからだ」

 大人しく出された薬を飲み、水の入ったコップを返す。

「なんで…、」

 誰にも気付かれなかったのに、どうしてわかったのか。顔色? 彼女にはずっと青く見えているはず。


「ああ、お前気付いていないのか?」

 遥がニヤッと笑った。

「お前の触角、わかりやすいぞ? 元気な時はピーンとしてるし、慌てている時はフラフラしてるし、混乱している時はぐるぐる回るしな。見れば大体わかる」

「へぁっ?」

 思わず頭の触角に手を伸ばしてしまう。

「確か実習生の授業は二限からだよな? 少しそこで休んでいなさい」

「いや、でも、」

「いいから!」


 遥が凪人の肩に手を置きベッドに押し倒した。ふぁさ、と頬に遥の髪が掛かり、ふわりといい匂いがする。眼鏡の奥の瞳が綺麗だ。

 凪人の心臓が跳ね上がる。


「……これは、少し形態は違うが床ドンってやつだな」

 遥は冷静にそう言うと、妖艶な笑みを向ける。凪人は口から心臓が出そうになっていた。


(ガキじゃあるまいしっ)


 心が否定しても、体は正直だった。

 そして多分、触角も……。


 遥は真顔に戻るとベッドから離れた。

「さて、では私は職員会議に出なければ。ああ、お前のことは報告しておいてやるから、大人しく寝ていろよ?」

 パチッと片目を瞑り、白衣を身に纏うと颯爽と保健室を出ていく。


 その場に残された凪人は、治まらない動悸をどうしていいかわからずしばらく口をパクパクさせていた。


「……なんっだよ、これ」


 凪人は、ぐるぐる回る天井を見つめながら(そして自らの触角をぐるぐると回しながら)、今まで感じたことのない、わけのわからない感情に支配されていたのだった。

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