第37話 防犯講話とアヒル口と公営ヤクザと

 六月十三日 午前九時十五分


 私は今、上司のチンパンジーから見つめられている。


 今日は十時から町内会主催の防犯講話を行うのだが、いつも須藤さんと一緒に行っている本城が入院中で私が代わりに行くことになっている。


 その連絡を須藤さんから受けた時、出席者の多くは高齢者だから年寄りウケする服装で来いと言われて私は悩んだ。ネットで検索したものの、オジさん向けの記事がほとんどで参考になる記事は無かったのだ。


 ネットは参考にならなかったから、クローゼットにある手持ちの服を見て、清楚系にしてみた。ネイビーのフレアースカートのワンピースで、つけ襟は白だ。お上品な感じだろう。

 髪はこのところブラウンに染めているから、朝っぱらから面倒だったがホットカーラーで巻き巻きしてカールアイロンでも巻き巻きの髪型にした。ゆるふわカールで愛され女子なら男ウケ抜群だろうと、私は考えたのだ。

 そしてその頭で上司のチンパンジーの元へ来たのだが、見つめられている。チンパンジー受けはしていないようだ。


「おはようございます」

「……おはよう」


 清楚系であれば老若男女問わずウケがいいだろうとは思ったのだが、須藤さんはこれまで見たことの無い反応をしている。どうしたのだろうか。


「……行こうか」

「はい」


 刑事課には数人の課員がいるが、皆私を見て何も言わない。私は可愛いとか言われたいのではないが、何か言ってもらわないと困るのだ。防犯講話にこの格好はダメだったのだろうか。


 誰も目を合わせてくれないから私は須藤さんの後をついていった。



 ◇



 署の裏門から出て左に行き、徒歩三分の会社まで歩いているが、須藤さんはチラチラと私を見ている。


 防犯講話は近隣の会社の講堂をお借りしている。

 署では防犯講話をちゃんとやりましたよ、という証拠保全が出来るし、その会社は警察官を招いて地域住民が出席する防犯講話に講堂を提供しましたよ、という地域貢献の実績が出来る。ウィンウィンだ。

 そして防犯講話では特殊詐欺や空き巣などの話をするから、とりあえず出席者は用心するようになる。ウィンウィンウィンだ。


「加藤、さ……」

「はい。なんでしょうか」


 須藤さんのこの顔は、アレだ。

 とっても言いづらいことを言わなくてはならない時のジェントルポリスメンの顔だ。


「……どのようなことでも受け止めます。おっしゃって下さい」

「うーん……あの、ごめんね」


 これはアレだ。

 パワハラはするがセクハラにはもっっっのすごく厳しい須藤さんは、セクハラに該当する発言をせざるを得ない状況に追い込まれているのだろう。

 パワハラにもそれくらい気を遣って、というかパワハラもやめれば本物のジェントルポリスメンになれるのにとはいつも思うが、今はその話は置いておく。


「服と髪型と顔が合って、ない気がして……」

「全部、アウト?」

「ううん、奈緒ちゃんの顔つきと、その清楚系のスタイルが合ってないかな、って」

「……そうですか。申し訳ありません」

「いや、違うって、いいんだよ? 奈緒ちゃんは悪くない。奈緒ちゃんは美人だし、いいと思う……だけど、えっと……」


 ――もっっっのすごい気を遣ってる。


「どうしましょう……」

「あの、笑顔をさ、練習しよう、よ」

「ここで?」

「うーん、しないと、ダメだよね?」


 仕方ない。

 笑顔の練習をしなければならないだろう。

 須藤さんがここまで言うのだ。私には言わせてしまった責任もある。


「えっと、あれ、なんだっけな、あ、アヒル口だ」

「アヒル口」

「そうそう」

「ババアがアヒル口を?」

「しょうがないでしょ?」


 講話は須藤さんがする。私は突っ立てるだけだ。

 だからその間だけアヒル口で微笑んでおけばいいのだが、須藤さんと顔を突き合わせてアヒル口の練習をするとは思わなかった。


 ――須藤さんのアヒル口、ちょっと可愛い。


「違う、もうちょいほっぺたを……」

「んー」

「えっと……そこで唇をさ……ああん!」

「んー」


 須藤さんは私のメイクが落ちないようにハンカチ越しに私の頬をムニムニしている。

 世の女の子は自然にアヒル口が出来るのだろうか。私には難しい。


「あら、須藤さん、おはようございます」


 須藤さんの背後に小柄な女性がいた。年齢は私より少し上だろうか。

 ライトグレーのスカートスーツでサーモンピンクのブラウス、黒髪ボブの大人しそうな女性だ。丸顔で目が大きくて可愛らしい。色白でムニムニしている。


 女性の声に驚いた須藤さんは私のほっぺたを強く掴みながら振り向いた。


「ああ、いしか――」

「痛たたたたっ! 須藤さっ! 痛ほっぺ、たっ!」

「んんっ!?」


 頬を引っ張られ、体がよろけた私を須藤さんは腰に腕を回して受け止めた。私は須藤さんの腕にしがみついたのだが、その姿を見た女性は引いていた。


 ――すみません。ところでどなたですか。


 私と須藤さんは体勢を立て直してその女性に向き直り、ご挨拶をした。


「お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございませんでした。こちらは加藤です。いつもの本城は休みなので、代わりに連れてきました」

「はじめまして! 加藤です!」


 その女性は会社名と所属を言った。講堂を借りる会社だ。


「石川と申します。はじめまして。よろしくお願いいたします」


 顔を上げた石川さんは、少しだけ険のある目をしていた。無理もない。警察官のパワハラとセクハラを目の当たりにしたのだ。


 ――警察官にあるまじき行為でウンタラカンタラ。


 警察官の不祥事ニュースでよくあるテンプレが思い浮かぶ。警察官にあるまじき行為は一般市民が同じことをしてもあるまじき行為だとは思うが、立場上、言わないでいる。


 石川さんはコンビニに飲み物を買いに行ったようだった。二リットルのペットボトル二本だ。重いだろう。そう思っていると、須藤さんが『持ちますよ』と言った。さすがジェントルポリスメンだ。

 だが石川さんは遠慮している。無理もない。買い物袋を警察官に持たせるなど一般市民にとっては怖いだろう。世間では警察を公営ヤクザなどと言う人もいるが、立場上、その件については何も言えない。


 並んで歩く二人を私は見ているが、双方が『いいです、大丈夫です』と言い合っている。石川さんを見る須藤さんはよそ行きの優しい笑顔だ。当たり前か。


「私が持ちます!」

「えっ……でも……」

「いいです、私が持ちます!」


 そう言って私は石川さんから半ば無理矢理に買い物袋を奪った。公営ヤクザ爆誕――。

 だが小柄な女性に持たせるよりデカい私が持った方がいいだろう。他意はない。私は地域住民とふれあうおまわりさんだ。今は公営ヤクザではないのだ。今は、まだ。


「すみません、ありがとうございます」


 須藤さんは石川さんをちらりと見てから私を見て、微笑んだ。



 ◇



「おー、加藤じゃねえか、久しぶりだな」


 応接室の上座に腰をかけ、私たちを指差して座れと促すクソジジイ――。

 須藤さんからは事前に聞かされていたが、再就職したここでも相変わらずなのか。


 このクソジジイは須藤さんの先輩にあたり、結婚して子を産んでも働く玲緒奈さんをイジメていたクソジジイだ。むーちゃんも酷い目に遭っていた。


「ご無沙汰しております」

「ふふっ、須藤はいいよな、自分好みの女を部下に出来てよ」

「あー、ははっ」


 努めて明るくしている須藤さんだが、キレている。須藤さんがセクハラを絶対にしない理由がこのクソジジイだからだ。


 このクソジジイは総務課所属だから石川さんも被害に遭っているのだろうか。お茶を出そうとしている石川さんが微かに眉根を寄せている。

 この会社は警察、自衛隊、消防からの再就職がいる。出身が役所だと転勤や転属は無いから、社員は我慢するしかない。可哀想に。


「加藤はまだ結婚してねえのか?」

「はい」

「行き遅れじゃねえかよ。ふふっ、須藤がもらってやれよ」

「ははっ……」

「須藤は加藤みたいのが好みだろ? 痩せぎすの茶髪パーマでキツい顔の女。別れた嫁もそうだったよな?」

「ああ、まあ……」

「行き遅れとバツイチ、ちょうどいいだろ」


 石川さんはお茶を出して下さったが、手が震えている。たまにやって来る面識のある警察官の好みの女だとか離婚歴があることとか、そんな話は聞きたくないだろう。

 ジェントルポリスメンの須藤さんも石川さんの挙動に気づいて、怒りは増している。


 ――いますぐおうちに帰りたい。


 普段、須藤さんのお供は本城だが、本城はお調子者でこのクソジジイに上手く取り入っている。だが今日はいない。

 美味しいサンドウィッチを自分で作ろうとして、半熟たまごで食あたりになって入院中の本城を私は恨んだ。


 ――あの人当たりのいい反社さえいれば。


 顔を伏せる石川さんを見て目を彷徨わせている須藤さんが可哀想だと思った。





 

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