第34話 花束といい男といい女と

 マティーニを一気に飲み干す私を葉梨は見ている。


「加藤さん、すみませんでした」

「謝罪は受けた」

「でもあの、本当にすみ――」

「殴るよ?」


 正面のガラスに映る葉梨は、ドッグランに行くと車に乗せられたのに着いたのは狂犬病予防接種会場だったマロンと同じ顔をしている。しょんぼり葉梨――。


 だが私は思った。

 年下男に言い寄られるなんて、私もまだまだイケるのだ、と。


「ふふっ……葉梨、ありがとう」

「えっ?」

「バースデーディナーでさ、年下男にそんなことを言ってもらえるなんて、私もまだまだイケるって思わせてくれてありがとう。おかげで最高の誕生日になったよ。これがプレゼントなんでしょ?」

「そんな……」

「ありがとうね、すごく嬉しいよ」


 葉梨は黙ってしまった。

 私は忘れようと思う。この件は、誕生日の夜に予定が空いている年上の独身の先輩へのリップサービスなのだ。葉梨はジェントルポリスメン、そう思えばいい。


「葉梨様、御用命のお品をお持ちいたしました」


 振り向くと白い薔薇の花束をトレーに乗せたウエイターがいた。葉梨が手に取るとウエイターは去った。


「花束?」

「あの、誕生日プレゼントです。どうぞ」

「ああ、ふふっ、ありがとう」


 葉梨は、先月行ったカフェで白い薔薇の意味をど忘れしたから調べたという。

 須藤さんが恋人に渡した薔薇の花束も白だったが、上司や先輩に渡す薔薇の花束も白い薔薇がいいらしい。


「白い薔薇には『心からの尊敬』という意味もあるようです」

「そうなんだ。ありがとう葉梨」

「とんでもないです」

「……そろそろ、帰りましょうか」

「うん、そうだね」


 ウエイターを呼んだ葉梨は伝票にサインをして、クロークに預けた私のカバンを受け取り、私に渡してくれた。


 バーラウンジを出た私たちはエレベーターに乗り込んだ。


 私にはやらなくてはならないことがある。

 どのタイミングで葉梨に言い出すか、葉梨の様子をちらりと見た。


 ――総額、いくらだったんだ。


 葉梨は伝票に部屋番号を記入していた。精算はチェックアウト時だ。

 レストランとバーラウンジで、総額いくらなのか、庶民の私は必死に計算をした。



 ◇



 午後九時四十分


 ホテルを出て最寄りの地下鉄の駅まで歩いている。


「花束はカバンに入れられないですから、ご迷惑だったかも知れませんね」

「そんなことないよ、ありがとう」


 見上げる葉梨は私を気遣っている。葉梨は本当にいい人だ。


「葉梨、私は見せびらかしながら帰るよ」

「ん?」

「自分は後輩に慕われているんです、って」

「あー、ははっ」


 ホテルでフレンチディナーをご馳走してくれる後輩がいる。すごくお洒落な格好をして、私をもてなしてくれる後輩がいるのだ。私は幸せ者だ。だが――。


「葉梨、あのさ」

「はい」


 私が立ち止まると葉梨も止まり、私の正面に立った。


「食事代、高かったでしょう? 自分が食べた分は払う」

「ああ、いいんです、加藤さんのお誕生日ですから、いいんです」

「でも……あの、じゃあさ、葉梨が食べた分を私が払うよ」

「それって同じことじゃ?」

「んふっ、そうだけど、さ」


 葉梨の誕生日にご馳走するのは当然としても、私はここまで出せない。それに葉梨は年下だ。俸給額は知っている。こんな高級ホテルでディナーなど、ものすごい無理をしていることくらいわかる。

 葉梨の実家は太いから何かしらの援助はあるのかも知れないが、それならば尚更、先輩として許容してはならない。こんなことをしていたら先輩にいいように扱われてしまう。警察官全員が品行方正なわけではないのだから。


「そうはいかないよ、葉梨」


 そう言って私はカバンからお財布を出したが、いつもと声音の違う葉梨の声が落ちてきて、私の動きは止まった。


「お財布をしまっていただけませんか」


 ああ、葉梨は男なんだった。

 私は今、現金を出すべきではないのだ。だがどうすればいいのだろう。どうすれば葉梨は納得してくれるのだろう。後日、封筒に入れて返せばいいのか。


「加藤さん、聞いて欲しいことがあります」

「えっ?」

「去年の夏、俺は彼女と別れたんです。だから……彼女と別れて金の使い道が無いんです」


 俺の誕生日も一緒に過ごしてくれますか――。


 葉梨は恋人と別れたから、私を口説いたのか。

 私はふと玲緒奈さんの言葉を思い出した。


『敦志はね、私以外の女に男を見せない』

『女を勘違いさせないために男を見せない』


 ――恋人以外の女には男を消す男がいい男だ。なら……。


「葉梨はいい男だ」


 私は思ったままを口にしていた。

 葉梨は固まっている。


「葉梨、ごめんね、言葉足らずで本当にごめん」

「いえ、あの……」

「えっと……葉梨と初めて会った日から、今まで見てきて、私は葉梨がいい男なんだって、思った。誕生日を祝ってくれたからじゃないよ」


 見上げる葉梨は、耳を赤くして照れていた。


「ありがとうございます。すごく嬉しいです」


 ――可愛いな。


 いい男の葉梨に素敵な出会いがあればいいなと、心から思った。



 ◇



 地下鉄の改札を抜けて階段を下りようとした時、私は振り返った。

 葉梨は直立不動で私を見ている。


 ――本当にお洒落な熊だ。


 私は葉梨へ手を振って、微笑んだ。気づいた葉梨も手を振っている。


 ――楽しかったな。


 私は葉梨がいい男なのだと知り、嬉しかった。私はいい男に口説かれたのだ。だから私はいい女だ。


 ネットで見た恋愛コラムに、『いい女だと思わせてくれる男がいい男』だとあった。ならばこれ以上の素敵なプレゼントはないだろう。自分はいい女だと、そう思わせてくれた葉梨には感謝しなくてはならない。


 もう一度振り返り、手を振って、私は階段を下りた。





 

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