第8話 タバコとむーちゃんの弟とカラオケと

 松永さんは今日の岡島みたいな令和最新版のインテリヤクザの格好をしている。濃紺のスリーピースを着て、パーマをかけた長めの髪を後ろに流していていた。クレリックのワイシャツなら胡散臭いサラリーマンだが、白のワイシャツだからインテリヤクザだ。


 ――松永さんがタバコを吸ってる。これはマズい……。


 灰皿には吸い殻が四本あったが、バーテンダーの望月さんは灰皿を替えていなかった。それは望月さんも近寄れない程に不機嫌ということを示しているし、そもそも基本的にタバコを吸わない松永さんがタバコを吸っているということは、マジ切れ寸前だ。


「お前さ、なんで約束守んねーんだよ」


 松永さんが怒っている理由は、相澤が同席せずに岡島とサシ飲みしようとしたことだった。

 私は玲緒奈さんから岡島の電話に出なきゃグーパンすると言われたから、岡島とはサシ飲みしてもいいという意味で解釈したのだが、どうやら違ったようだ。


 私が岡島に会いたいと連絡した後すぐに岡島は玲緒奈さんと松永さんに連絡したという。この裏切り者め。

 そこで私に説教すると決めた玲緒奈さんは来る予定だったが、末のお嬢さんの体調が悪いということで、急遽義弟の松永さんが来ることになった。松永さんが無理なら岡島からドタキャンさせる予定だったという。

 岡島は松永さんがいたことが想定外だったようだ。


 松永さんは玲緒奈さんの目の届かない場所の私の監視役でもある。相澤とは官舎が同室で基本的に仕事もずっと一緒だ。そして相澤に対する私の恋心も知っている。


「申し訳ございませんでした。でも、あの……」

「いい。葉梨の件、話せ」


 タバコを灰皿に押しつけた松永さんは岡島に目配せして、岡島は私に言った。


「あの店は松永さんと敦志さんが目をかけている店なんだよ」

「元々は俺だった。所帯持つ前の大将がこっちの人間でね。で、話は端折るけど、葉梨が気づいたのは女将さんの方の問題だった」


 ――二の腕ムニムニの女将さんが……。


「ただ、このタイミングでその葉梨が気づいてくれたから、問題は……まあ大丈夫。だからいいと言えばいいんだけど、さ」


 そう言って松永さんは私たちの肩越しに視線を向けた。バーテンダーの望月さんが近づいて来る。ドリンクを持って行くタイミングが計れなかったようだ。


 望月さんが私のコースターにロングアイランドアイスティーを置いた時、彼は私の目を見た。私もノンアルコールなのか――。


「はい、乾杯」


 各々の手にあるロングアイランドアイスティーは岡島だけがアルコール入りの本物だ。アルコールの強さに岡島は眉根を寄せている。


「で、葉梨はお前に何て、言ってた?」


 私はその問いかけに正直に答えた。岡島だけだったら腹を探りつつ黙っていることもあったと思うが、松永さんでは無理だ。この人は絶対に、騙せない。


「女将さんは葉梨に見覚えがあったようです」


 これは松永さんもだが、葉梨は捜査員としては致命傷である『目立つ』男だ。背が高くて体格もいい葉梨は記憶に残る。

 入店した葉梨を見た女将さんは、葉梨と目が合った時に目が動いたという。だが葉梨は必死に思い出そうとしたが、その時は思い出せなかった。

 女性は化粧で変わるし、耳の形を覚えようにも髪で見えない場合もあるからだ。


 八年程前、葉梨がまだ所轄の地域課にいた頃、スナックで喧嘩があり臨場した際、状況を聞いたチーママが女将さんだったと葉梨は思い出した。女将さんを巡り男性客二人が争い、それで通報したという。

 その時の男は、葉梨が刑事課に転属になった後にある事件で関わることになった。保険金詐欺だ。

 保険代理店のその男は限りなく黒だが、立件に至らなかったという。


「葉梨は女将さんか、もしくはお店に金銭的な問題があるのではと言っていました」

「それだけ?」

「えっ……はい、そうです」


 二人の顔色が少し、変わった。

 私の顔を見ている松永さんは、『わかった』とだけ言った。

 隠していることは無い。葉梨から聞いたことを全て話したのだ。問題無いはずだ。


 松永さんはロングアイランドアイスティーを飲み干し、カルーアミルクを注文した。おそらくカフェオレだろう。私たちはどうするかと問われ、岡島はビールで私はもう一度ロングアイランドアイスティーを注文したが、松永さんは少し眉根を寄せた。


「お前さ、おかしいと思わない?」

「えっ、あの、何のことですか?」


 松永さんは溜め息を吐いた。

 岡島は何か考えているようだ。


「同業の飲みは相澤を連れて行けっつってんのに葉梨とはサシで飲んだろ? 二回。こないだは飲んでねえみたいだけど」


 ――なぜ、知っているのだろうか。


「お前らがサシ飲みしてんの、岡島は葉梨に聞いて知ってるし玲緒奈さんも知ってる。でも何も言われないことを疑問に思わなかったのか?」


 ――言われてみればそうだ。


「ホントさ、気をつけてよ。もう、あんな思いはしたくねえだろ?」


 松永さんは三年前のことを言っている。信頼していた先輩とサシ飲みした時に酒に何かを入れられた。そして酩酊状態になった私は、目が覚めるとホテルにいた。

 岡島はその件を知らない。グラスを眺めている。


「お前が早く結婚してくれれば、玲緒奈さんも俺も岡島も、相澤も、楽になれるんだけど」


 ――えっ、岡島も?


 松永さんはタバコに火をつけた。松永さんは私と目を合わせてくれない。なら岡島はと思って横目で見ると、岡島は口元に笑みを浮かべていた。


 望月さんがドリンクを持ってテーブル席へやって来た。またノンアルコールだ――。


「葉梨については、いい。サシでいい」

「えっ、でも……」

「玲緒奈さんから何か言われたか?」

「何かとは?」

「あ? サシで会ったことだろうが。葉梨と」


 玲緒奈さんのお宅訪問はむーちゃんのせいで『笑ってはいけない先輩宅』だった。

 だが葉梨とサシ飲みの件は玲緒奈さんから何も言われていないし、二人で帰る時も何も言わずに見送ってくれた。


「何も、言われていないです」

「ならいいんだろ」

「あの、飲みはやめておいた方がいいですか?」

「好きにしろよ。でもカラオケは……あーもう、好きにしろよ、チッ」


 ――なぜだろうか。舌打ちもされた。


 安価で二人きりになれる静かな場所なのだが、カラオケは個室だからマズいのだろうか。だが防犯カメラはある。

 私が疑問に思っていると、松永さんは言った。


「後輩に同じ曲を三回連続で歌わせて、お前はタンバリン叩いてマラカス振ってましたなんて、そんなクッッッソどうでもいい報告、受けたくねえんだよ」


 ――確かにクッッッソどうでもいい報告だ、それ。


 だが私と葉梨は追跡されていたということか。全く気づかなかった。マズいな、それは。

 居酒屋の帰り道、スーパーで二リットルの水を二本買い、両手に持って上に掲げ、スキップしていた姿も見られていたのか。ちょっと恥ずかしいな。

 それに玲緒奈さんの自宅から走って逃げた時はどうしたのだろうか。他に走っている人はいなかったし、走っている私たちを避けて行く人が数人いただけだ。

 その時の状況を思い出していると、岡島が体を私に向けて言った。


「葉梨をぶっちぎった時は、複数人で追ってたから、なんとか、ね」


 小さく息を漏らした岡島と、呆れた顔をする松永さんに見られている私は、『ごめんなさい』と言って、下を向いた。

 だが葉梨をぶっちぎった件は、元を辿ればむーちゃんとむーちゃんの嫁のせいだ。むーちゃんの弟は呆れているが、むーちゃんの嫁の舎弟の私は何も言わないでいた。





 

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