第2話 ゴリラと熊とチンピラと
一月二十三日 午後六時二十分
六時半の待ち合わせだがまだ誰も来ていない。
私は赤い膝丈ワンピースに白いスタンドカラーのコートを着て、黒いブーツを履いている。
こういう時でなければ着る機会も無い。今日は相澤と半年ぶりに会えるのだ。相澤は私の姿に何か言うだろうか。言ってくれるだろうか。
褒めてくれたらいいなと思っていると三十メートル先に相澤の姿を見つけた。
◇
相澤の背は一メートル七十三センチだ。普通の身長で目立たないが、体型と顔がゴリラ故に街に溶け込むのが難しい。しかし上手いことそれを克服している。それは松永さんの指導の賜物、なのだろう。
以前、官舎に呼ばれて相澤に歩き方の指導をしている所に居合わせたが、まるでモデル養成所のようだった。
相澤の頭に厚さ三センチほどの本を乗せて歩かせていた。他にもりんごとみかん、二十一センチのフライパンなども乗せて歩かせていたし、手にはバーベルのプレートを持たせていた。
まっすぐ歩かせたり後退させたりと、松永さんは相澤に一生懸命指導していたし相澤も真剣な表情で頑張っていたが、私はふと疑問に思ってこれはどういう状況を想定しているのか、どう役立つのかを松永さんに聞いてみた。
返答次第では私も家でのトレーニングに組み込まないとならないからだ。
しかし捜査に関わることだから教えてくれないだろうと思った。松永さんの表情を見ているとそんな気がしたのだ。腕を組み、眉根を寄せて、唇を噛んだり歯を噛み締めたりと、真剣な面持ちだった。ものすごい目ヂカラだった。
だが松永さんは答えてくれた。長い前髪をかき上げ、口元に笑みを浮かべて私の耳に顔を近づけてこう言ったのだ。
『意味は無いよ。裕くんが頑張ってるのって、見てて面白いからやってるだけ』
私は思わず『お前は何を言っているんだ』と言いかけたが、先輩だから言わなかった。
だが私は、貴重な休みに二人は何をしているんだと思った。思ったが、松永さんと相澤は兄弟のようなものだ。だから兄と遊ぶ弟という状況になる。しかし成人男性がそれでいいのかと私は思った。
相澤は柔道を長くやっていたが故に歩き方に特徴がある。普段はそれで問題無いが、仕事となると話は別だ。
結局、頭に海苔の付いた煎餅二枚を乗せて小走りすることでなぜか相澤の歩き方は矯正出来たから、松永さんの指導の賜物なのだろう。胡麻煎餅ではダメだった。
◇
相澤は私に気づいて小走りで寄ってきた。ネイビーのデニムに黒いダウンジャケットを着ている。相澤は私の姿を見て褒めてくれるだろうか。少し、緊張してきた。
「奈緒ちゃん! 真っ白!」
――見たままを言うな。
「赤いワンピースを着てるんだよ」
「そうなの!? もしかしてサンタコス?」
――お前は何を言っているんだ。
何が楽しくて同期と後輩にサンタコスでサービスしなきゃならないのだ。それにクリスマスはすでに過ぎただろう。
私は相澤に可愛いと言ってもらえたら嬉しいのだが、相澤にそれを求めるのは間違っていると十四年の付き合いでわかっていた。わかっていたが、『真っ白』と『サンタコス』はないだろう。裕くんめ。
しばらく二人で話していると、視界の端に岡島が入った。
「来たね」
「ああ、葉梨もいるね」
「隣のデカい奴が葉梨?」
「うん」
――熊。ちょっと方向性の違う熊。
熊タイプの警察官はよくいるが、この葉梨将由のような熊はニュータイプだな、と私は思った。
葉梨の歩き方は柔道のようで柔道ではない。岡島は武道の経験が無いから二人とも街に溶け込んでいるが、如何せん警察官だ。やはり二人は浮いている。人が皆避けていく。
普段着のチンピラ岡島は私たちに気づき、両手で手を振りながらこちらにやって来た。
「おまたせー! 奈緒ちゃん久しぶりー! 黒髪ストレートいいね! 俺大好き! だからそろそろ付き合ってよー? まだダメー?」
「バカなの?」
「あははっ! いいね、奈緒ちゃん元気そう!」
「ねえ、そっちは?」
私は岡島の横にいてチンピラが発する声音じゃないだろう、とツッコミを入れたくとも先輩だから出来ないでいる葉梨を紹介するよう促した。
「ああ、こいつは――」
「はじめまして! 葉梨です!」
――声がデカいよ。
「加藤です。よろしく」
私が挨拶を返すと熊は後退りした。なぜだろうか。まあいいか。相澤は久しぶりに会えたからなのか、ニコニコしながら葉梨に声をかけていた。
葉梨の相澤を見る目は優しいな、私はそう思いながら二人を見ていたが、岡島は私の背後に回りながら独特な発声法で言葉を発した。
「葉梨を仕込んで」
岡島はそう言うと、相澤と葉梨に居酒屋へ向かうと声をかけた。
私は岡島の隣で話の続きを聞く。後ろにいる二人には岡島の声は聞こえない。私が独り言を言っているように聞こえるだろう。
「奈緒ちゃんが葉梨を仕込むのがいいと思うんだよ」
「なんでよ?」
「俺とか他の奴だとよくないから」
「はー?」
「とにかくお願い」
「えー」
「とりあえず今日は葉梨を観察してよ」
詳細を言わない岡島に腹が立った私は手の甲で岡島の頬を叩いた。
「痛っ!!」
「わっ! 奈緒ちゃんどうしたの?」
「なんかムカついたから」
振り向くと相澤は困った顔をしていたが、私が岡島を叩くのは毎度のことだから驚く必要も無いだろうと思う。だが隣の葉梨を見上げると恐怖の面持ちで私を見ていたから、私は言った。
「葉梨、大丈夫だよ、私はグーパンしないからさ」
そう優しく言うと葉梨は後退りした。なぜだろうか。そう思いながら私は岡島に向き直り、また話を始めた。
「なんでよ?」
「葉梨はまだ吸収出来る」
――誰の色にも染まっていないという意味か。
「経歴調べたけど、手垢まみれじゃない?」
「でしょ? でも白いんだよ。誰にも染まりたくないんじゃないかな」
「吸収した上で、独自の色を出したい、と」
「そうそう」
面白そうだな、そう思っていると、岡島は『あとね、葉梨は奈緒ちゃんを女として見ないから安心して』と言った。
「なにそれ?」
「目を見ればわかるでしょ?」
確かにそうだ。葉梨は岡島が私たちに話しかける前、相澤と私が話している姿を不審に思っているような目で見ていた。イルカの絵を売りつける女だと思ったのだろうか。相澤は警察官なのに。私もだが。
そして私が岡島と相澤の同期で、今日の飲み会に同席する女だとわかって一瞬、目が動いた。
だがその姿は私を女として見ているものでは無かった。おそらく怖かったのだろう。
「奈緒ちゃんはそういうの嫌でしょ? でも葉梨は大丈夫だから」
「でもあんた口が軽いよ?」
「うん」
「どうせ根も葉もない噂を流すんでしょ?」
「うん」
いつもの岡島に腹が立った私は裏拳をお見舞いした。
「痛たたたっ!!」
「ええっ!? 奈緒ちゃんまたっ!?」
「うん」
「もうっ! 奈緒ちゃんダメだよ!」
顎を押さえてしょんぼりした顔をするチンピラ、頬を膨らませて怒っているゴリラ、恐怖の面持ちで後退りする熊を置いて、私は一人、早歩きでいつもの居酒屋へ向かった。
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