第11話

 タバコの箱からフィルム部分を少し出して唇に当てる、フィルムの振動で声が無線機から聞こえてくるような機械的なものになるのはテレビで芸能人がやっているコントだった。


「お前の店は不法滞在者を雇っているな」


 亮二はそれだけ言うとすぐに受話器を置いた、四畳半の部屋には敷きっぱなしの布団とテレビ、ミニ冷蔵庫、ちゃぶ台に電話機があるだけだ、残念ながら今流行の留守録機能は付いていない。


 非番の日には一日に十回以上、勤務中でも公衆電話から毎日のように聚楽にイタズラ電話をしていた、始めてから既に二週間が経過しようとしている、そろそろ彼女から何かアプローチがあってもいい頃合いだ。


 布団から腰を上げて出掛ける支度をする、と言ってもジーンズにTシャツを着るだけだ、短い髪はセットする必要もないので五分も掛からずにアパートを出た。


 盗まれて困る物など何もないが、念のため鍵をかけると錆びた鉄階段を慎重に降りた、まさかとは思うが崩壊する可能性がゼロではない、築年数不明のアパートはそんな想像をさせるような代物だった。


 自転車置き場に止めてある愛車にまたがると赤羽駅に向かってペダルを漕ぎはじめる、一駅分の真夏のサイクリングは決して生易しいものではないが任務遂行の為にはサボる訳にはいかない、この苦労が報われる日が来るはずだと信じてガチャンガチャンと音を立てる自転車のペダルをひたすら漕いだ。


 一五分程で目的地に到着すると聚楽の扉を開けた、相変わらず暇そうな店内を見渡すとパチェラと目があった。しかしお互いに知らないフリをして空いているインベーダーゲームの席に座った、朴(パク)姉妹の母、英子(えいこ)が笑顔を貼り付けたまま小走りでやってくる。


「いらっしゃいませ、いつもありがとうございます」


 シルバーのトレイを胸に抱いたまま何度も頭を下げる、相変わらず透き通った白い肌に、大きな瞳、年齢よりも若く見えるのは丸顔のせいだろう、細い腕には似つかわしくない膨らみが二つ、緑のエプロン越しに確認できた。


「いえいえ、近所ですし、聚楽の珈琲は絶品ですから」


 正直、珈琲の味など分からない、これで一杯七百円と言うのはあまりにも高いような気がしたが先行投資だと思って諦めていた、インベーダーゲームは達人の域に達しているので百円あれば半永久的に遊べる。


 それに珈琲代だけ出しておけば高確率で食事をご馳走してくれるので費用対効果としてはまあ悪くはない、いつも通りアイス珈琲を頼むと英子は足取り軽くキッチンの方に引っ込んでいった。


 勘違いかも知れないが、もしかしたら英子は自分に気があるのかも知れない、娘二人に慕われている警察官に接する態度としては少々、いや、かなり好意的に見えた、もしそうならば嬉しい誤算だ。


「どうぞ、お待たせしました」


 英子は細いストローが刺さったグラスを置くと、何か言いたそうにその場で立ち尽くした。「あの」っと言ったきり次の言葉がなかなか出て来ない、どうやらやっと巻いた餌に食いついてきたようだ、思わず顔がニヤけるのを我慢するのに必死だった。


「どうしましたか?」 


 あくまでも自然に、イチ警察官として市民の相談に乗ることはなんら不自然な事ではない。


「実はご相談がありまして」


 シルバーのトレイを胸の前でぎゅっと抱きしめている。


「どうしましたか、僕に出来ることならなんでも言ってください」


 英子が目の前に座っておずおずと話し始めた。


「実は最近、イタズラ電話がありまして」


 ほら来た――。笑みが漏れないように真剣な眼差しで英子の目を見つめる、それに気が付いた彼女は顔を赤くして目を背けた。 


「どんな内容ですか?」 


「ええ、それが……」


 英子が言いかけた所で店の電話が鳴った、入口付近に置いてあるピンクの電話は店の電話であり、客が十円玉を入れて使うことも出来る兼用だ。「ちょっと失礼します」と言って彼女は席を立った。


 小走りで向かって電話にでると店名を名乗ったまま固まっている、すると受話器を耳から離して通話口を手で抑えている。


「亮二さん、悪戯電話です」と抑えた声で英子が言った。


 そんな馬鹿な、自分は今ここにいるのだから電話を掛ける事は出来ない、では一体誰だ。心拍数が上がるのを感じながら席を立つと英子の元に向かう、おそるおそる受話器を受け取ると耳にあてた。


『ハァハァ、もうイキそうだよ、何か喋ってよ、もうイクよ』 


『…………。何か喋ってよ、もう我慢できないよ』


「おいこら、警察だ、今度こんな真似したらブタ箱にぶち込んでやるからな、よく覚えておけ」 


 叩きつけるように電話を切った、英子は胸の前で小さく拍手をしている。まったくなんて事だ、こんな変態野郎に計画の邪魔をされてしまうとは、舌打ちしたい気分だったが作った笑顔を無理やり貼り付けた。


「これで二度と変な電話はないと思いますが、また何かあったら相談してください」 


 今日も収穫はなしか、仕方なく席に戻りインベーダーゲームでも始めようと百円玉をポケットから取り出すと再び英子が前に座った。 


「今のような電話もたまにあるのですが、相談したかったのは別件なんです、なんだか声色を変えたような男性の声で――」


 それだ、それを待っていた。顔色を変えないように先を促した。


「お前の店は不法滞在者を雇っているな、って、それだけ」 


 不法滞在者を雇っている件で単純に脅しをかけて金をふんだくるような真似をしたらバレた時に職を失ってしまう、いや、捕まってしまう。そこで思いついたのは彼女からの相談に乗る形で、親身に解決に導くと見せかけて小銭を巻き上げる作戦だった。その為に自作自演で聚楽に電話を掛けては不法滞在者の話を英子に刷り込んだ。


「不法滞在者ですか、実際にはどうなんですか?」 


 パチェラが不法滞在と言うのは既に確認済みだ、奴の話では面接の時に在留カードの確認などはされなかったらしい、つまりは杜撰な店なのだ。


「いえ、本人に確認した所そういった事はなかったのですが」


 口頭確認しただけで、面接にきた外国人を次々に採用しているらしい、同じように異国から日本で頑張る人間に情が湧いたのか、それとも何も考えていないだけか、英子を見ていると後者のような気がした。


「まずは、事実確認しましょう」 


「え、事実確認って」


 しまった、少し不安にさせてしまったようだ、あくまでも自分は味方、そのスタンスを理解させなければならない。


「いえ、警察官としてではありません、しかし、嘘であればなにも気にする必要はない、しかし万が一、本当だった場合は何か手を打たなければ」 


 今いる外国人はパチェラだけのようだ、幸い客は誰もいないので四人がけの席に移って三人で座った。


「正直に言ってください、あなたは不法滞在ですか?」


「ハイ、スミマセンデシタ」 


 馬鹿が、自供するのが早すぎるだろうが、もう少し粘ってから白状するように打ち合わせしておいたのにすっかり忘れているようだ、しかし英子は特に不自然に思った様子もなく口元に手を当てて驚いている。


「ワタシ、コノミセクビニナッタラホカニイクトコロナイ、キョウダイニモオカネオクレナイ、ミンナシヌ」 


 机に突っ伏して泣き出した、あまりの大根っぷりにため息が漏れそうだったが、役者でもない外国人に完璧にこなせというのも無理があるだろう、幸い片言なのがいいアクセントになって、鬼気迫るような雰囲気が出ていない事もない。ような気がする。


「まずいですねえ」 


 人に文句を言う前に自分の棒読みのセリフに辟易とした、あらためてドラマや映画に出演している役者の凄さが分かる、しかし止める訳にもいかないのでそのまま続ける。


「不法滞在者を雇っているとなると、この店は、いえ、ここだけでなく系列店もすべて営業停止処分になります、今警察では不法滞在者に対する強化をしている所なので、かなり厳しく罰則を受けると思います」 


 特にそんな事はない、しかし本物の警察官が言うのだから説得力が違うだろう。案の定、英子は青ざめた顔をしている。


「タスケテクダサイミナサン」


 もうお前は喋るな、と思ったがもちろん口には出さない。


「どうしたら良いでしょうか、まだ銀行にも沢山借金があるのに、営業停止になんてなったら……」 


 そうだろう、これだけの規模の店を確か十三店舗、資金は銀行から借りるしかない、幸いバブル景気もあってか審査はグダグダ、大学生が作ったような事業計画書でも右から左に通されると噂だった、こんな時代がいったいいつまで続くのだろうか。 


「十中八九、金が目的でしょう、僕に任せてもらえますか、警察には絶対に相談してはいけません」


 オロオロと落ち着かない様子の英子の手を取って、もう一度僕に任せて下さいと言うと、顔を真っ赤にしてうんうんと頷いている。


「パチェラも大丈夫、今まで通り働けるようにするから」


「アリガトウゴザイマス」


 概ね打ち合わせ通りに出来た事に満足したのかパチェラは席を立ってキッチンに消えた、さて、この流れならば不自然じゃないだろう。


「英子さん、他には何か変わった事はありませんか、些細な事でも結構です」


 彼女は口に出すかどうか迷っているようだ、もう一度手を取って英子を見つめる。


「なんでも相談してください、あなたの力になりたいんです」


 耳まで赤くして目を伏せた、中々どうして、ジゴロとしても飯を食っていけるかも知れない、意外な才能の開花に満更でもなかった。


「はい、あのう、最近お店の売上金が合わないんです」


 聚楽では客の注文を伝票に書き込み、全ての注文品を出し終えたところで合計額を記入してテーブルに置く、客はその伝票を持ってレジで金を払い、受け取った金はレジスターにしまう、伝票はレジ横にある伝票刺しに刺していく決まりだと言う。

 

 夜の十時に閉店した後に伝票差しから抜き取り英子が合計の売上を計算する、レジに入っているお金と相違なければ問題ないのだが、その金額が合わないのだと英子は言った。


「どれくらいですか?」


「千円から三千円くらいなのですが、今まではこんな事なくて、最近なんです」


「毎日ですか?」


「いえ……」


「なにか心当たりがありそうですね」


 人の良い英子は誰かを犯人扱いするのを躊躇っているのだろう、しかし目星は付いているはずだ、そうなるように仕向けたのだから。


「あの、偶然だと思うのですが、パチェラが出勤の日に必ず合わなくなるんです」


 そいつはもう犯人確定だろう、すぐに問い詰めて白状すれば警察に突き出せば良いだけだが、実際にパチェラは店の金を盗んではいない――。


 パチェラに指示したのは空伝票を適当に二、三枚作らせただけだ、実際には頼まれていない伝票なので当然その分の料金はレジに入らない、当然伝票とレジ金は誤差が生まれる、空伝票の分だけレジ金が少なくなるのは当然だ。


「計算違いの可能性は?」


「なんどもやり直したのですが」


 今日日、電卓を使って計算しているのだからそんな度々金額が合わなければ怪しんで当然だ。


 英子がパチェラに不信感を抱けばとりあえず良しとしよう、信頼されている警察官とはいえ一緒にいる時間はパチェラと英子の方が長い、万が一にも自分の企みが漏れないとも限らない。


 店の小銭を漁る泥棒と、警察官、英子がどちらを信用するかは火を見るより明らかだ。


 とは言えパチェラにレジから金を盗めと指示をしたら奴は断るかも知れない、しかし空の伝票を量産しろという謎の司令にはあまり深く考えないで従っている。本人もなにをやらされているか分かっていないだろう。それでいい。


 どの道逆らえば強制送還決定の奴に断る選択肢など存在しないのだが。


「証拠がなければなんとも、これからは奴の動向をチェックするようにしてください」


 いくらチェックした所で盗みの現場を押さえる事は出来ない、やっていないのだから。しかしレジの金は合わない、段々と疑念と不信感が積み重なり奴の言う事など何一つ信用しなくなるだろう、まあこれはあくまで保険、慎重に事を進めるに越した事はない。


「わかりました、すみません、こんなお恥ずかしい話を聞いて頂いて、お詫びにもなりませんが何か食べて行ってください」


 仕事は順調に進んでいる、そろそろ次のステージに移行しても良いかもしれないな。


「いえ、いつもご馳走になって恐縮です、お礼と言ってはなんですが一緒に食事でもどうですか」


 警察官は大した給料が支払われている訳でもないのに馬車馬のように働かされる、おかげで女と出会う機械も殆ど無い、せっかく自分に好意を寄せいている女がいるのであれば利用しない手はない、例え人妻だったとしても。


「え、そんな、お礼なんてとんでもないです」


 顔の前で両手をブンブンと振っているが明らかに嬉しそうな表情をしている、案の定もう一度強めに誘うと簡単に了承した。


 やっと自分にも運が向いてきた、人助けはしておくものだ、これから始まる明るい未来を想像すると口元が自然とにやけた。

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