第23話 B強化
俺は修理から戻ってきた自分のスマホのことを思い出した。
中学全国優勝の自分の写真を見させられた時の羽黒の狂乱は、尋常じゃなかった。
「いえ、すみません、よく知らないんです」
「そうなの?」
「はい、すみません」
「あやまることじゃないわよ……私もあの子と組んでみたいかな。あ、そうそう、いい忘れてたけど、月山くん、あなたもいいもの、持ってるわよ。バランス感覚がいいわね、体幹の筋肉もそこそこあるし。そのほかはもうへにゃへにゃだけど、練習しだいだからね」
そう言い残して、
「楓ちゃん、私と乱取りしましょう」
「あ、はい!」
喜色満面に答える羽黒。
やっぱり中学生の
ところで、この新井田先生って、どのくらいの力なんだろう?
女子ってのは男よりもはやく身体ができあがるから、高校生くらいでピークになるアスリートも珍しくはない。
そして羽黒は全国優勝経験者。
もしかして、羽黒の方が圧倒的に強いんじゃないのか……?
いやまあそうだとしても、指導者がいて柔道着で練習できるだけでもありがたいけど。
新井田先生、でっかいおっぱいが邪魔そうだし、羽黒に傷めつけられなきゃいいんだけど、などと思っていた。
あの羽黒が、新井田先生の内股で、綺麗にすっ飛ばされるのを見るまでは。
「うおおお!?」
思わず声を出す。
中学全国優勝経験者で、高校でも地区予選で圧倒的な力で優勝した羽黒を、新井田先生は何度も何度も簡単に投げ飛ばす。
「うっそだろ……」
羽黒の方はというと、もうなんというかほしかった新発売のゲーム機を手にした男子中学生みたいな笑顔で新井田先生に向かっていく。
そりゃそうだ、スポーツにおいて強くなるには自分より強い人と一緒に練習を重ねることが一番だ。
羽黒にとって、中学生の殿垣内湯歌はそれだけの力がなかったみたいだし、羽黒がちょっとがっかりした顔で殿垣内を投げるのも俺は見ていた。
でも、新井田先生は次元が違う。
羽黒ですら、新井田先生を相手にすると畳の上で立っていられないほどなのだ。
もうテンションあがりまくりの羽黒、余裕しゃくしゃくで羽黒を畳に
俺はというと。
実は、少しだけ、ほんの少しだぜ、寂しい気持ちがあった。
女子の練習相手がいて、めちゃくちゃ強い先生がいて。
あれ。
羽黒にとって、俺はもう必要ないんじゃないの?
なんで俺、柔道なんてやろうと思ったんだっけ?
そこに、殿垣内湯歌がトテトテと俺のところにやってきて、言った。
「あのー、先輩、今度は私とお願いします!」
「あ、ああ……」
お互いに礼をかわして組む。
あれ、よく考えたら羽黒以外の女の子と組み合うなんて、これが初めてだな。
「ふんぬー!」
「やー!」
お互いに技を掛け合うが、全然投げれもしないし、投げられもしない。
なんか、俺ってば中学三年生女子と互角のような……。
っていうか、組んだ瞬間に、あ、羽黒と違う、と思った。
筋肉の力自体は、羽黒よりそう劣っているようには感じられない。
でもスピードと一瞬の瞬発力が違う。
羽黒の場合は、動いた、と思ったらもう畳の上に投げられちゃってるんだけど、殿垣内湯歌の場合は動いたのを確認してからでも十分に技に耐えられる。
もちろん、俺なんか柔道初めて一ヶ月だから、技術的には殿垣内の方が上ではあるけれど、俺は男なわけで、パワーの差は歴然だ。
ちらっと羽黒の方を見ると、ちょうど新井田先生に投げられたところだった。
立ち上がり際に俺と目があう。
うーん、ほんと、生き生きしてるよなあ、羽黒。
もう俺なしでも十分だよな、これ。
「じゃあ、次、投げ込みね!」
投げ込みとは、今まで俺と羽黒がやってきたような、一方が一方をひたすら投げ続ける練習だ。
「楓ちゃんは私と。月山くんは湯歌ちゃんとね」
「月山先輩、お願いします!」
殿垣内が俺に組み付いてくる。
そして背負投。
殿垣内が俺の懐にもぐりこみ、投げる。
うん、よく考えたらこんなちっこい身体の女子中学生でも、俺が踏ん張らないかぎり、男の俺を投げることができるんだもんな、中学生にしては殿垣内だって強い方なんじゃないか?
でも、やっぱり羽黒とは技のキレが違うし、スピードや一瞬の体重移動にも甘さがあるような気がする。
ま、素人の俺がどうこういえるもんでもないけどな。
一番の違いは、殿垣内に投げられると痛い、ということだ。
羽黒に投げられた時は、無重力というか、ふわりと畳の上に置かれた感じで、痛みなんかほとんど感じないのに、殿垣内に投げられるとバシン! と畳に叩きつけられる感じで、結構衝撃がくる。
この辺、個性の差なのか、技術の差なのかはわからない。
わかったのは、俺が殿垣内に投げられるたび、羽黒がそれをちらちらと見てきて、そのたびにだんだん不機嫌な顔になってくるということだけだ。
意味わからんことばっかりだなあ、謎すぎるぞ羽黒。
「わあっ! 月山先輩って、すごく投げやすいですねぇ!」
殿垣内が俺にまとわりつくようにニコニコと言い、羽黒の顔はさらにけわしくなっていくのだった。
気が付くと、もう午後六時になっていた。
羽黒はバイトに行かなければいけない時間だ。
「じゃ、そろそろ終わろうか」
「ありがとうございました!」
最後に、道場の正面にむかってみんなで並んで正座。
新井田先生だけは上座に座って俺たちと正対。
その上で、羽黒が叫ぶ。
「
そして一分ほど目を閉じて心と身体を休ませる。
それが終わると、
「正面に、礼! 先生に、礼! お互いに、礼!」
こういうのが柔道の作法らしい、礼に始まり礼に終わるってやつだな。
「いやあ、よかったよ、楓ちゃん。うちの湯歌ちゃんも、羽黒さんと練習したら、強くなるよー。月山くんはまだ初心者だけど、いいものはもってると思う。高校生から柔道始めて、そこから世界チャンピオンになった人もいるんだから、月山くんもがんばってね。あ、そうだ。いい忘れていたけど。私、一昨年まで、五十二キロ級で連盟のB強化選手だったから。楓ちゃん、あなた、高校生にしては強いけど、私にはまだ勝てないわね。でも、伸びしろはあると思うから、私に勝てるようになったら、全国優勝も狙えるわよ」
「B強化!? どおりで……」
羽黒が素っ頓狂な声をあげる。
「ま、怪我しちゃって外れたけど。おじいちゃんの介護もあるし。自分ではまだ現役のつもりだけどね、学校の仕事も大変だしなあ。でも、私にも新しい目標ができたわ。楓ちゃん、あなた、本気でいけるわよ、全国狙いなさい。っていうかD強化選手で……あなた……いや、勘違いかな」
あとで羽黒に聞いた話だけど。B強化選手にもなると、オリンピックだって狙える位置の選手らしい。実際、あとでネットで調べてみたら、新井田先生、大学時代に成人女子全国二位になってた。
いやーさすがの羽黒もかなわないはずだ。
こんな片田舎に、そんな人がいるなんて、羽黒にとってはものすごくラッキーとしか言いようがないだろう。
部員が二人しかいない柔道部で、全国クラスの指導を受けられるのだ。
あれ?
まじでもう、俺、必要なくね?
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