2-5 どういうのをクソボケって言うって?
「あ、すごい。これ美味しいよヒメノ」
あれから数十分後の六時。少々早い夕飯となったが、出したカレーに対するアマツマの反応がそれだった。
リビングのテーブルで向かい合って、出来たばかりのカレーを食べている。なんで自分の部屋で女子とカレーを食べているのか、理解に苦しむ状況だが。
一口食べて飛び出したその感想に、思わずヤナギは口をへの字に曲げた。
「すごいってなんだすごいって。普通のカレーだろ、こんなもん」
「それはそうだけどさ……いや、でも男子高校生の手料理だよ? ちょっと、こう……大丈夫かなって思っちゃって」
「お前、今すごい失礼なこと言ってるからな?」
言い返しながら、自分でも一口食べてみる。といってもやはりただのカレーだ。美味しくもマズくもない、レシピ通りに作った普通のカレー。それ以外に言いようがない。
「カレーなんかこの世で一番失敗しようのない料理だろ。パッケージの裏見ながら切って炒めて煮るだけなんだから」
「そうかな? ボク、小学生の頃のキャンプで酷い目にあったけど」
「んなもん、どうせ煮足りなかったか煮過ぎたかのどっちかだろ?」
「正解。野菜が固くてさ。早く食べたいからーって強火で一気に煮ようとした子がいてねー」
味はカレーでも凄いマズくてさー、なんてアマツマは笑う。まあ生煮えのカレーなどある種の拷問だろう。似たようなものを作った経験はあるので、同情はするが。
「にしても、意外かな」
「……カレー作れることがか?」
「いや、じゃなくて。来客用の食器があるんだなって。ヒメノって、あんまり人を近づけるタイプじゃないと思ってたからさ」
「……ああ、それか」
変に目聡いとでも言えばいいのか、あるいはこちらのことも含めてよく見ているというべきなのか。どちらにしても、食器の数に注目するとは思ってもみなかった。
確かにヤナギは友人が多い方ではない。親の転勤の度に人間関係がリセットされてきたせいか、あまり友人というものに価値を感じていないのだ。
どうせ、いつかすっぱりと会わなくなる。その程度に割り切れてしまうから、友人を作るのにも積極的になれなかった。クラスでの扱いは地味キャラ程度のものだろう。
だが人付き合いというのは摩訶不思議なもので、そんなヤナギにも多少なりとも友人はいるのだった。
「タカト時々遊びに来るんだよ。親と喧嘩したとか、テスト勉強付き合えとかさ。たまに泊まってくこともあるよ、アイツ」
「泊まってく?」
「そっちの部屋」
と、ヤナギは部屋のほうを指差して続けた。二つ並んだ扉のうち、一方はヤナギの部屋だが。
「一人暮らし始める時、親がせめて広い場所に住めっつって、2LDK借りさせられたんだけどさ。片方使ってなくて、来客者用になってんだ」
「へえ……なんか、ちょっと面白そう。見てきていい?」
「ほとんどただの空き部屋だぞ? 覗いたって面白いものは転がってないし……まあ飯食ってからにしろ」
「はーい……ちなみにヤナギの部屋は?」
「面白いものはないし見ようとしたら怒る」
「ケチ」
「うるせえ」
噛みつくように言い聞かせて、そこで一つため息をついた。
「それで? なんか話があったんじゃないのか?」
アマツマが風呂に入る前に言い出したことだ。その時には後でということで流されたが、そのまますっかり忘れていた。
一瞬きょとんとまばたきしたアマツマは、そこで「あー」と息を漏らすと。
急にキリッと真面目な顔をして、こう言ってきた。
「ねえヒメノ。ボクは君に怒りたいことがあるんだけど、同時に謝らなきゃいけないこともあるんだ。どっちの話から聞きたい?」
「……そういう切り出し方って普通、いい話と悪い話じゃないのか?」
「どっちも悪い話だよ?」
訊くと、微笑んであっさりと、アマツマ。
その笑顔に怪しむ視線を向けてから、ヤナギは決断した。
「んじゃ、お前が謝らなきゃいけないほうだけ聞く」
「……え?」
「それなら俺は嫌な想いしないで済むだろ」
謝られるということは、アマツマが何かやらかしたということだろう。だが怒られるというのであれば、やらかしたのはヤナギの方だ。であれば、そんな話は聞かないでいたほうが気は楽だ。
当たり前の結論だが、予想の外からの返答だったらしく。アマツマはフリーズしていた。
再起動はきっかり五秒後。きょとんとした表情からまなじりを吊り上げて――
「ズルいっ! 訊かないって選択肢はないんだよ! だってボクは怒ってるんだからね!」
「まずなんで怒られなきゃいけないのかがわからないんだが」
ヤナギがアマツマにしたことといえば、怪我の手当てとズル休みしたせいで見舞いに来させてしまったことくらいだ。一方はお節介とはいえ怒られるようなことではないし、もう一方は既に怒られ済みだ。今更怒られるいわれはない。
本当に心当たりがないので首を傾げたままでいると、アマツマはスクールバッグから何かを取り出して、見せびらかしながら言ってきた。
「これなーんだ?」
「……封筒?」
としか言いようがない。近所の銀行の封筒だ。ATMで下ろしたお金を入れるために置いてある、あの。それ以上の何物でもなく、特筆すべきところは何も……
「……あっ」
「思い出した?」
「昨日持ってきた見舞いの代金入れたやつか?」
ふと思い出した。アマツマが風呂に入っている間にバッグに突っ込んだ、あの封筒だ。
それを見せびらかして怒っているというのであれば――
「金、足りてなかったか? しっかり確認したと思ったんだけどな……そりゃ確かに悪かった。いくら足りなかったんだ?」
「…………」
「……アマツマ?」
無言のアマツマは、なんと言うべきか、形容しがたい表情をしていた。
嫌いだけど食べなければならないものを目の前に置かれた子供のような顔、とでも言えばいいのか。少なくとも、眉間にしわは寄っていた。それでヤナギは全く見当違いのことを言ったのだと気づいたが。
「……最近友達から聞いたんだけど、こういうのをクソボケって言うらしいね」
「どういうのをクソボケって言うって?」
「キミみたいな人のことだよ、ヒメノ」
さらに眉間のしわを深くして、怒ってますよと手は腰に。そうしてぷりぷりと言ってくる。
「いいかいヒメノ。ボクは昨日、キミが風邪を引いたと思って見舞いを持ってきた。わかるかな。それは施しじゃないんだ、好意だよ? ボクからの好意と、感謝と、心配の気持ちだったんだ。そこはわかってるかい?」
「ああ、まあ。そこはたぶん」
「だったらなんで、好意にお金で応えるようなことしたのさ」
わりと本気のトーンをスプーンと一緒に突きつけられて、思わずたじろぐ。
怒っているというのは本当らしい。だがヤナギからすれば、それこそなぜ怒っているのかがわからない。
「いや、だって実際にはズル休みだぞ? 風邪なんか引いてなかったわけだし。それなのに見舞いで高い金払わせたってんなら、それは無駄足だし無駄金だろ?」
額が額だったというのもある。仕送りがあるヤナギはともかくとして、普通の高校生にはそこそこ痛い金額だった。見舞いはアマツマが自発的にしたことだが、そうさせてしまったのはヤナギなのだ。
だから補填をと考えたのだが。
深々とため息をつくと、心底呆れたようにアマツマは言う。
「ヒメノ、キミね……人付き合い苦手だろう」
「まあ、得意だったつもりは一度もないけど……」
「だろうね……いいかい? ボクはキミの助けになりたくて見舞いを買った。キミは実際には助けなんか必要としてなかったけど、ボクからの好意として見舞いの品を受け取った。その返答がお金だったわけだ。どんな気持ちでお金を入れたんだい? ボクのしたことはまるまるただの大きなお世話で、だけど無駄なお金使わせて可哀そうだからお金は返しますって?」
「いや、待て。別にそんなつもりじゃ――」
「受け取る側はそう思うかもってことだよ。さて、ヒメノ。この場合に言うべきことは?」
「……ごめん?」
「いいよ、許す……ホントは怒る筋合いなんてボクにはないしね」
そう言うと、最後にアマツマは苦笑してみせた。怒りたくて怒っていたわけでもないのだろう。少しだけ申し訳なさそうに眉を下げてもいる。
だがこれだけは言っておきたかったのか、またスプーンを突き付けて言ってきた。
「好意や貸し借りを、算数で清算しようとしない。いつか友達なくすよ、それ」
「……すまん」
「いいよ。キミが悪い奴じゃないのは知ってるから」
「――――」
本気でそう思っているのだろう。そうわかるような眼と声だった。
平然と真顔で、こちらをまっすぐに見つめて――言ってくるのだから、始末に負えない。
だが不思議と悪い気もしなくて。それがどこか、むずがゆくて居心地が悪い。
だからヤナギはこれ以上気まずい思いをする前に、さっさと話題を変えた。
「……で、謝らなきゃいけない話ってのは?」
怒られたのだから、これ以上気の沈む話はないだろうと踏んでの切り出しだったが。
途端にアマツマの表情が曇った。
「あー……うん、うん。そのこと……なんだけど」
先ほどまでのキリッとした表情はどこへやら。トーンはダウンし眉はハの字に垂れ下がり、視線までヤナギから逃げ出す始末。
「……傘、昨日借りたでしょ?」
「ん? ああ、帰り際に持ってけって言ったやつだろ?」
安物のビニール傘だ。五百円もしないような安物の。自転車通学のヤナギは雨の日には合羽を着てくので、ほとんど使ったことがないものだが。
それがどうしたのかと無言で待つと、たっぷり十秒ほど苦悶の表情を浮かべ。
ぽつりと、こう言ってきた。
「……ごめん、他の子に貸しちゃった」
「お前な……」
「ごめん! だけどほら、女の子が泣きそうな顔で困ってたから……」
「つい又貸しした挙句、お前はずぶ濡れで俺の部屋の前で待ってたと?」
「…………うん」
殊勝にもそれ以上の言い訳はなく、物凄い申し訳なさそうに、アマツマ。
だがこれで察した。傘を貸したはずのアマツマが何故か濡れていたのも、濡れたままアマツマの部屋の前で待っていたのも。勝手に人の傘を又貸ししてしまったから、謝らなければとわざわざ寒空の下で待っていたわけだ。
話は二つあったわけだが、こっちが本当の意味で本題だったのだろうなとも、なんとなく察する。
「ごめん……勝手に又貸ししちゃって……」
身を小さくして伺うように上目遣いで見てくるアマツマに、ヤナギは苦笑と共にため息をついた。
「別にいいよ。どうせ安物だし、使ってなかったし」
「怒って……ない?」
「思い入れのある傘とかならまあ怒ったかもだけど。ビニール傘だろ? お前が申し訳ないって思ってるならそれでいいよ」
ただ、と付け加える。
「それよりお前、帰りどうすんだ?」
「え?」
「外、まだ雨降ってんぞ」
言われてハッと、アマツマが窓を見やる。雨足はどうやら強いようで、薄暗くなり始めた外を線のように雨が降る。耳をすませば雨音まで聞こえてくる辺り、なかなかの勢いだ。
それをたっぷり見つめた後……ちらと使ってない部屋を見やってから。アマツマが囁く。
「ヒメノ……お願いが――」
「ふざけんな帰れ」
「ボクまだ何も言ってないよ」
「うるせえ。風呂とカレーはなし崩し的に認めたけどな、それ以上は認めねえぞ」
「タカトは時たま泊まるんでしょ?」
「アイツとお前じゃ前提条件が違うだろが。アイツ男。お前女。おわかり?」
「おかわり」
「うるせえ」
結局すったもんだの末に、カッパを貸して追い出した。
アマツマは心底不満そうだったが、こちらも同じだったのでおあいこだった。
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