1-2 何やってんだかな、本当に
「……何やってるんだ?」
ほっといてもよかったのだと気づいたのは、間抜けたことに、声をかけたそのすぐ後だった。
黄昏時、自転車で駆ける学校からの帰り道。通学路である住宅街の隅にぽつんとある公園を、ふと見てしまったのが事の始まりだ。
小さい公園には遊具が滑り台とブランコしかなく、だからなのかは知らないが、普段であれば人影はない。だが今日は珍しく、そのブランコにぽつんとうつむいて座る影が一つ。
落ち込んでいるのか、どんよりとした表情でそこにいるのは――
(……アマツマ?)
学園の王子様が、王子様らしからぬ沈んだ表情でうつむいている。
アマツマと通学路の一部が被っているのは、ここ半年でなんとなく知っていた。お互い部活に所属していないので、帰宅時間が被ることもままある。ただお互い同級生というだけの関係なので、時折通学路で見かけてもヤナギは声をかけたりはしなかった。
あちらも同じだろう。声をかけられた記憶はない。要するに、同級生というだけの赤の他人だ。
だから正直なところ、放っておくのが正しかった。
(……のに、なんで俺はこんなことしてるんだ?)
気づけば公園の入り口に自転車を止めて、アマツマに声をかけていた。
うつむいていたアマツマは途中でこちらに気づいたようだが。話しかけられるとは思ってなかったのだろう。ぽかんと不思議そうな顔をした。
「……ヒメノ? どうかしたのかい?」
「それはこっちのセリフ。珍しい顔が公園で黄昏てたから、気になって」
ついつっけんどんな物言いになってしまって、思わずヤナギは顔をしかめた。もう少し言い方があるだろうと、自分自身“これはない”と思う声が出た。
そもそも、ヤナギはアマツマとはあまり仲が良くない。というより、ほとんど話したこともなかった。“学園の王子様”とクラスの地味キャラでは、交友関係もほとんど被らないからだ。共通の友人といえば、お調子者のタカトくらいのものだろう。
だからか、アマツマは知り合いというよりは他人に向けるような愛想笑いを浮かべてみせた。
「ああ、いや、その……別に、大したことじゃ――」
言い訳めいたことを言って、アマツマはパッと立ち上がる。早々に話を終わらせようとしたのは間違いなかった。
が。
「な、いっ……~~~~~~っ!」
何故かアマツマは言葉に詰まったあげく、声にならない悲鳴と共にブランコへと戻ってしまった。顔にはうっすらと汗を滲ませて、先ほどまで浮かべていた微笑みの残滓すらどこにもない。
それで察した。
「ケガしてるのか?」
「いや、そういうわけじゃ、ないけど……」
「…………」
なら、もう一度立ち上がってみろ、とまでは言わなかったが。
無言で何らかのアクションを求めると、観念というには長い悪あがきを挟んで、ぽつりとアマツマは認めた。
「…………足、くじいちゃって」
「それで歩けなかったから、ブランコに座ってたのか?」
訊くと、気まずそうにアマツマは頷く。なんでも、運転の荒い車に轢かれそうになったらしい。それに驚いた際に、思わずぐきっとやってしまったようだ。
近くには大人も、車の姿もない。となれば車は走り去ってしまったのだろう。随分と酷い大人もいたものだが。
「んじゃ、親でも待ってたのか?」
立てないほどの捻挫だ。ブランコに座ってじっとしていたのも、迎えを待っていたのだとすれば納得できる。つまり、ヤナギが声をかける必要など全くなかったのだ……
と、思ったのだが。
アマツマは学校では見せたことのない暗い表情で、またぽつりと囁いた。
「……親は、ちょっと呼べなくて。頼れる人も、いないから……」
「“王子様”なのに?」
それは思わず口を突いて出ただけの、なんてことはない呟きだったが。
うつむいていたアマツマのまなじりが急につり上がるのを見て、思わず心臓が跳ねた。学校で見せたことのないような表情というのであれば、間違いなくこれもそうだった。
「……それ、関係あるかな?」
顔に怒りすら浮かべて、言葉を突きつけてくる。険悪に睨まれて息が詰まった。
だが言葉が出なかったのは彼女の怒りが、というよりは、見据えた瞳にわずかなきらめきが見えたからだ。
綺麗な眼だなと、思わずそんなことに魅入られてから――ようやく、慌てて言葉を絞り出す。
「頼めば助けてくれそうな奴は多いかなと思って……ごめん。考えなしに言った」
「……いや、今のはボクが悪かった」
謝罪は受け入れてくれた、のだろう。怒りを急速にしぼませて、だがまたアマツマはうつむいてしまう。
「歩けないほどのケガなんだろ? 頼れる人もいないって、この後どうするんだ?」
「……キミには関係ないよ。放っておいてくれ」
「…………」
表情をピクリともさせずにうつむいて、それ以上の会話を拒絶する。
嫌われたらしい、と悟ったのは、その表情があまりにも“王子様”らしくなかったからだ。学校で女子を相手する時のように、にこりともしない。クラスメイトと話すときのような愛想もない。視線を合わせもせずに、突き放すようにそう言った。
明確な拒絶だ。
だからつい、ヤナギも吐き捨てるように言ってしまった。
「そうかよ。んじゃな、邪魔して悪かった」
「……あ……」
ぽつりと漏れた呟きには、いったい何の意味があったのか。
確かめることもせずに背を向けると、一度も振り向かずに自転車に乗って立ち去った。
背中に突き刺さっていただろう視線も、自転車に乗って三秒も数えれば消える。
だが心の内に残ったしこりは、三秒程度で消えたりはしなかった。
(友達でもねえのに声かけといて、バカみたいなこと訊いて嫌われた挙句、いざあしらわれたら八つ当たりってか? みっともねえな、おい)
自嘲したつもりだったが、笑えもしなかった。思い返すだけでのたうち回りたくなるほどの羞恥を感じていた。
ほっとけばいいのにちょっかいを出して、迂闊な一言で機嫌を損ねた。自己嫌悪で死にたくなる。その勢いがペダルに乗った。住宅街の生活道路をそのままの勢いで疾走する。
うっかり飛び出してきた車に轢かれかけたが、クラクションを鳴らされてもヤナギは無視した。
そしてそれだけ無茶な運転をしていれば、目的地にもさっさとたどり着く。
ヤナギが住んでいるマンション。転勤族の親に付き合いきれなくて希望した、一人暮らし用の部屋だ。学校から自転車で十分もしない距離。2LDK。一人で住むには広すぎて、持て余し気味なヤナギの住処。
自転車を部屋前に横づけすると、ヤナギは部屋へと上がり込んだ。手も洗わずに一直線にリビングを突っ切って、自分の部屋の押し入れを漁る。
お目当ての箱を見つけると、ヤナギは中身を確かめてからスクールバッグに詰め込んだ。そのまま部屋の外に出ると、自転車に乗って来た道を逆走する。
(何やってんだかな、本当に……!)
バカバカしい想いで、ヤナギは今度こそ自分を嘲った。
気持ち悪い奴め、お前のそれは偽善だ、あんな捨て台詞を吐いておいて、どんな顔して戻る気だ――……悪態をつこうにもレパートリーがそんなにない。自分のことをバカにしたいのに、意外なほどに言葉は出てこなかった。
それでよかったのかもしれない。引き返そう、なんて決心がつく前に、ヤナギは公園まで戻ってきていた。
ブランコにはまだ、アマツマの姿がある――それも当然か。ヤナギが去ってから、おそらくはまだ五分も経っていない。
先ほどまでアマツマは暗い表情でうつむいていたようだが……ヤナギを見つけると、ぽかーんとマヌケな顔をした。
(そういや、こんな顔も学校では見たことなかったか)
今の自分と比べて、どれだけマヌケか。それは考えたくもなかったが。
恥をかなぐり捨てるような心地でバッグからそれを取り出すと、ヤナギは破れかぶれに告げた。
「救急箱、持ってきた。余計なお世話だろうけど、ほっとくよりかはマシだろ、たぶん」
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