初陣
第14話 豪雪
ミスリルはアンドロマキアから見て北西に位置する中堅国で、関係は比較的良好なほうだとレジスタンス側は認識している。豪雪地帯のために農業などは流行らず、主に狩猟を中心とした生活をしている。
また、アンドロマキア時代には港を貸し出す代わりに特産品を収めるというような取引もあった。ミスリル王家と、縁談の話があがったこともある。
ミスリルの軍は、そこまで多いわけでは無い。アストラムと互角くらいだろうか。
しかし、若くて優秀な指揮官であるレイドローが率いる銀狼部隊のみは他国からも恐れられている。あの部隊がどう動くかが、ミスリルの戦いを大きく変える。
『銀の狼』
その名前の通り、ミスリル国内にのみ生息する白い毛皮を纏った大型犬に、跨った兵士たちが、馬をもしのぐスピードで縦横無尽に駆け回る。馬よりも優れているのはその方向転換能力で、より自由自在に戦場を掻きまわす。
さらに、狩猟民族であるため全体的に弓の能力が高い。そのため、戦力差はありながらもアンドロマキアが征服するよりも、従属させることを選んだ数少ない国家の一つだ。戦場では弓の殺傷力は圧倒的である。少なくとも、大陸北部に存在する軍隊の中では特に山間部などの入り組んだ地形では最強である。
「それで、今回は我々にどうして救援要請を?」
そのミスリルとアストラムの間にある河川、ここを国境と定めているはずの川の付近に、かれこれ一か月以上もの間、アストラム軍が駐屯しているらしい。それに対して、ミスリルも軍を貼り付かせている。
まさに、北方の領土を分け合う二国の戦いの火蓋が切られようとした。
「まあ、どうぞ召し上がってください」
「やった、いただきます」
レイドローが苦笑しながら薦めた料理に、ナナは飛びついた。
ミスリル近海でしかとれない高級な魚をミスリル内で最高峰の腕を持つ料理人が捌いたものだ。こんなものを前に、涎を抑えられるわけがない。それを、レイドローも分かっていたのだろう。
「こら、あんまりがっつくなよ。仮にも公的な場だぞ」
スガリの言う通り、建前上はミスリルとレジスタンスのお食事会である。もちろん、そんな名前ほどに生易しいものではない。
今から行われるのは、食事をしながらの作戦会議だ。
レイドローの隣には、ミスリルの若い指揮官が二人いる。
どちらも、他国の人間であるナナたちが知っているようなほど有名な将では無かった。だが、おそらく将来を嘱望された有能な人材なのだろう。彼らは緊張した面持ちながらも、しっかりとした態度でその場に居座っていた。
しかし、ナナが彼らのことを知らないように、彼らもまたナナのことを知らなかった。だからだろうか、ナナを見る彼らの視線からは、若干の侮りのようなものが感じられた。ミスリルでは、ナナはまだ成人の年齢に達していない。だから、ナナが軍服を纏っていることはコスプレにしか見えないのだろう。
一方、ナナの方はというと、特に気にした様子もなく、出された料理を口に運んでいた。その表情はとても幸せそうだ。その自然な笑顔と食べ物を口に運ぶ様子を見ていて、スガリはなんとも言えない気持ちになった。
―――やっぱりこいつは、戦いなんて似合わない
スガリにとって、ナナとはどこまで行っても戦う者ではなかった。
彼女はただの少女であり、ただの少女のままであったのだ。
それがこの荒れた世界でどれだけ稀有なことか理解しながらも、スガリはそう思わずにはいられなかった。ナナは確かに戦う才能があり、その才能をいかすことで現にこうして美味しい食事と温かい寝床を得ている。
だがそれでも、それは彼女が望んでいることなのだろうか。
スガリは目を閉じて、そっと息を吐く。それから目を開くと、彼は目の前にいるレイドローを見据えた。彼が何を考えていようと関係ない。自分は自分のやるべきことをやるだけだ。そのために、この男を利用しなければならない。
こちらの被害を最低限に、この局面を乗り切る。
それこそが、スガリの考えるべき事だった。
あくまで、この争いはミスリルとアストラムのものである。
もちろん、レジスタンスと親しい仲にあるミスリルが勝利し、北方の支配を固めることが理想ではあるが、そのために払える犠牲は多くない。
ナナたちはあくまで、要請された援軍を派遣したという体面を取り繕うための軍だ。そもそも、レジスタンスは正規軍ではないから動員できる兵力にも限界がある。そのため、最も被害を少なく戦えるナナが選ばれたという事だ。
サンクチュアリは、ナナの実力をよく理解している。
総勢、五千。その数は小国が相手であれば充分だろう。
レジスタンスはかなり強大な組織であるとはいえ、五千もの軍勢を軽く出撃させることができるわけじゃない。サンクチュアリの残る帝都にも同数程度の兵士しか残っていないことを考えると、やはりやりすぎなのかと思ってしまう。
まあ、義理堅いところもサンクチュアリらしいといえばそうだが。
ともかく、今回の戦いにおいて重要なことは、いかにしてレジスタンスにとっての無駄な被害を避けるかということだ。
そして、そのために必要なことが一つだけあった。
それはレイドローの率いる部隊『銀狼』の動き。
彼らとナナの率いる『擬人兵』部隊がこちらの武器である。
彼らがうまく動いてくれれば、少なくとも無用な血が流れることはないはずだ。
「まずは、このような場所で申し訳ないが、ご協力を感謝いたします」
レイドローが立ち上がり、こちらにむかって頭を下げる。
両隣に陣取る指揮官も、あわせて立ちあがり頭を下げた。
「本来ならば王女様にもぜひ、お会いしていただきたかったのですが、王女様は病床にあらせられるため、代わりに手紙を預かっております。読み上げても?」
「ええ、もちろん」
ナナの返事を聞くと、レイドローはマントの内側から手紙を取り出して、それを読み上げ始めた。その手紙には何度も書き直した跡が残っていた。
「貴国の助力に感謝しています。我々はこの戦いに勝利しなければなりません。どうか力を貸してください。勝利した暁には、ミスリルは国を上げてレジスタンスに助力することをお約束いたします」
そしてレイドローはこちらにその文面を見せた。
その末尾には、血判が添えられている。
「まさか、ここまでやるとはな」
血判を手紙に添えるという事は、この手紙を公的な文書として扱うことを示している。ミスリル王家の意志だということで、これをひっくり返せばただでは済まない。少なくとも周辺領主からは信頼を失うだろう。
つまり、ミスリルはレジスタンスと一蓮托生になったのだ。レジスタンスの周りには依然として敵対勢力が多くおり、それらとミスリルも敵対する可能性もある。だが、この文書を得た事でレジスタンスは大きく力を伸ばせるはずだ。
分裂したアンドロマキアの地域権力者の多くは、ストレイジングに従った。しかし、ストレイジングによるアンドロマキア領内での統治に陰りが見え始めると、独立を始める。のため、ミスリルの付近にもいくつかの地域領主が独立した小国家をつくった。彼らはミスリルの後ろ盾を得るべくそれにすり寄る。
だが、ミスリルがレジスタンスを支援することを決めた以上は、それに従わざるを得ないのだ。これによって、旧アンドロマキア領内の北方にレジスタンスは大きな影響力を持つことになる。
「この文書は王女様が直々に記されたものです。協力していただけますか」
「もちろんよ。そのためにわざわざ来たんだから」
「改めて、私からもご協力に感謝させていただきます」
レイドローは再び、頭を下げた。
「それでは、我々の考える作戦の説明をさせていただきたいと思います」
ミスリル側の考えた作戦を説明されたあと、すぐに食事会は解散となり、ナナたちは用意された部屋に戻った。部屋にはすでに寝具が用意されており、四人はそこに横になる。ハクライが、文句を漏らした。
「私たちは時間稼ぎか」
ベッドの上で仰向けになりながら、彼女は不満げな声をあげる。
その言葉を聞いて、スガリは思わず苦笑してしまった。
先ほど、ミスリル側から聞かされたのは、作戦と呼べるようなものではなかった。
そもそも、今回の戦いの目的は、ミスリルとアストラムの国境付近にいるアストラム軍隊の警戒。そのため、まだ具体的になにが起こるかもわからない。
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