暴風雨ガール 21

         二十一



 その週の土曜日、有希子が午前十一時過ぎに突然部屋に来た。


 私はいつもより早く起きてテーブルの上に宇和島の案件の資料を広げ、調査の段取りを組んでいたところだった。


 来週の木曜日と金曜日に現地を訪れる予定で、最低でも七ヶ所を回って一泊二日で帰って来る必要があった。

 この案件に目処がついたら、真鈴の父親の所在捜しに取りかかりたいと考えていた。


「どうしたの?いつもは起きているのも珍しいのに」


 有希子は驚きながらも、嬉しそうに笑った。


「いきなり来るんだな。お父さんが様子を見て来いって言ったのか?」


「そんなんじゃないのよ、たまにはあなたの顔を見たいじゃない」


 有希子は恥ずかしげもなく言った。


 離婚はしていなくとも、別居中の夫婦の会話としては不思議な内容に思えた。


「今治の実家に寄れるの?」


「どうかな、時間的に難しいかもね」


「あなたの仕事が順調にいけば、両親も元に戻って一緒に暮らせって言うと思うのよ。だから、大変でしょうけど頑張ってね」


 私は有希子の言葉に対して言いたいことがあったが、喧嘩はしたくなかったので黙っていた。


「私のこと、まだ愛してくれている?」


「いきなり何を言うんだ?別居中なんだからな」


「じゃ、もう醒めちゃったの?」


「勝手なことばっかり言うなよ」


 この日、有希子はすぐに帰ろうとしなかった。

 彼女も実家では窮屈なのかも知れない。


 私たちは夕方までソファーにもたれてDVDを観た。


「シェルタリング・スカイ」というイギリス映画で、日本の坂本龍一氏がゴールデングローブ賞の音楽賞を受賞した古い作品だった。


 物語は倦怠期の夫婦が観光ではなくある目的を持って北アフリカを旅するもので、旅の途中、夫が病死してしまう。

 そして残された妻も心が荒廃してしまい、決して元には戻らないという悲しいものだった。


 人生は旅そのものだが、本当に旅に出た熟年夫婦は旅先でふたりの関係を終える形になってしまうのだ。

 映像と音楽がとても素晴らしく、私は久しぶりに映画で感動した。


 映画を観終わったとき、もしかしたら真鈴の父は、会社がだめになったことをきっかけに、何かの目的を持って姿を消したのかも知れないと思った。


 長い人生には数え切れない出来事や思い出、人間関係が存在する。

 思い出のほとんどは、そのときは悲しく辛いことだったとしても、年月とともに懐かしいものに変化していく。


 結婚して、子供を育て、家族のために働き続け、平穏な家庭を構築しても、あるきっかけによって過去のひとつに身を戻したいと思うことがあるのかも知れない。


 沢井氏にとっては経営していた会社の倒産が引き金となって、残された妻や子供のことを考える余裕などなく、ある目的の場所、或いは誰かのもとに走ってしまったのではないだろうか。


「光一、さっきから難しい顔をして何を考えているの?」


「何でもないよ。いい映画だったね」


 私は有希子の肩を抱き寄せた。


 今日は拒否せずに身体をあずけてきた。

 シャツの上から小さな胸の膨らみを撫ぜながら、久しぶりに長いキスをした。


 唇を離すと、「じゃあ帰るね。頑張ってほしいけど、無理しないでね」と言い残し、有希子は部屋から去った。


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