40話

「しらねえことって、何だ? つまらねぇ嘘つくつもりなら」


 言葉は続かない、言わなくとも分かるだろうと威圧的に押しつけられる。月音はそれに答えずに、小さく息を整えた。


 後ろに控える男と、一歩前に踏み出した高圧的な男に挟まれる状況は芳しくない。それでも止まるわけにはいかない。


 近づいた男は黙って見下ろし、顎で続きを促す。


 月音は己を叱咤して揺るがずに絶対の自信を編み込んだ声を発した。


「私が知っていることは、二つ。まずは『後ろの男』についてです」

「うしろ……こいつが何だ?」

「彼とは今日が初対面ではありません。一度会っているんです」

「いつの話だ?」

「報復、ですね。祖父母を殺した日です、凪之に所属する後ろの彼が殺害、そうですね?」

「そうだ。凪之は虎沢に恨みがある。…この世界でナメられたら、しまいだ。やられた分はきっちり。落とし前をつけさせる」

「はい。だから凪之は虎沢秀喜の愛人である女の両親を殺害した」

「そうだ、何度言わせるつもりだ」


 男の機嫌が急降下したのがわかる。

 それでも彼らには「凪之がやった」という事実を明言してもらう。


 月音は目を細めて、唇に笑みをのせたまま、わざと余裕があるように不遜な態度をとった。

 そのまま僅かに視線をずらし、後ろの男へと投げれば不自然なほど、男の肩が揺れる。月音は嘲笑い、全てを知っているのだと誇示して鼻を鳴らした。何食わぬ顔で、するりと前へと向き直った。


 重苦しい空間、月音の吐息がこぼれて口を開く。もったいぶるように、まるで全てを、知っているかのように。


 次の瞬間。


「――もういいじゃねぇか! こんな狂った女の話なんて訊く価値もねぇ」


 容易く罠にかかってくれた。


 月音の髪をわしづかみ、唾を飛ばして叫ぶ男は明らかに狼狽えている。

 

 何かを恐れるように忙しなく目が動き、ぜいぜいと呼吸が乱れていた。裏切りの仮面がぼろぼろと脆く崩れ去っていく。


 ここまでの反応はさすがの月音も期待していなかったのだが。よほどの小心者か、あるいは。


 怖いなら初めからすべきではないのに。


 思い通りに転がっていく様を滑稽だと笑い飛ばせないほど、陳腐で呆れる。


「ふざけたこと言い出しやがってッ全部はったりだろうがァッ!」


 ぎしぎしと髪が引っ張られ、痛みが走る。

 それでも表情だけは崩してはならない。男の揺れる瞳をじっと見つめ返せすのみ。そうしたら。


「おい、お前」


 黙っていた男が明らかに不信感を滲ませた声音を発した。


 周囲が見えていなかった男は、はっと我に返ったらしく凍り付く。


 過ちに気がついたが、もう遅い。


 この場を仕切っている前の男が、眉を顰めて何かを探る疑いのまなざしを動揺する仲間に向けていた。


「お前、何を焦っている」

「い、いえ。な、何もない、俺はただ」

「――おい、小娘」


 呼ばれた月音は、無垢な少女のごとく小首を傾げた。

 痛みすら感じていないと、静かな微笑を浮かべた。


「続きを話せ。嘘はつくな」

「ええ、もちろん、嘘は言いません」

「お――」

「お前は邪魔するな、下がれ」


 再び怒声を浴びせようとしたが、前の男の気迫に飲まれたのか情けなく短い悲鳴を上げて、髪から手を離した。

 

 後退りの音を聞きつつも月音は真実を語る。


「その日、祖父母が殺された日。私は現場にいたんですよ。後ろの男が逃げ去るのを目撃したあと。家に入って、息も絶え絶えな祖父母を発見しました」

「……それで」

「祖父母は私に恨み言をぶつけてきました。私のせいで死ぬと。だから何故私のせいなのか気になって『こうしたのは誰か』と問いかけたのです」


 つらつらと真実だけを歌う。


 息で炎が揺らめき、前の男の、表情が抜け落ちた貌が露わになる。周りの人間も固唾を呑んで見守っている。


 中心で物語を紡ぐ月音が、その場を支配し始めたのを確かに感じ取った。


 どうやらここにいる男たち、月音が当初抱いた印象より、よほど統率がとれていないようだ。


「ここに来た男は『虎沢秀喜の手下』だと」

「嘘だ、嘘だッッ!」


 悲鳴。

 それがあまりにも切羽詰まっていて、より真実を浮き彫りにしているのに男は気がつかない。

 着々と余裕が削り取られていき、醜い臆病な部分が露出していく。


「そんなのデタラメだ、信じるな、俺は、俺は」

「……しかし。ならば、何故この娘は祖父母を殺したのがお前だと知っている?」

「そ、それは……ちがう、こいつは俺を見ただけだ、手下なんてデタラメ、嘘っぱちだ!」

「意味もない嘘はつきません」


 きっぱりと月音は告げる。

 焦りにのまれた男などよりも、よく通る声だ。


「理由はわからない、でも父親である虎沢秀喜が殺そうとしている。だから私は今まで逃げていました」

「凪之が狙っていると思っても、同じ行動に出たのではないか」


「そうですね。しかし凪之の手下だと思っていたならば、月花の男に助けを請いません。月花と凪之が協力関係にあることは、この町の人間ならば誰でも知っています。その状態で明らかに一般人ではない、それも華の墨を入れた男の家に転がりこむなど断固拒否します。それこそ売られてしまうか、もしくは同じく狙っている可能性が高いですから」


「ではもし月花が凪之を裏切り、お前を保護したいと申し出たとしたら?」

「は、……そんな話を初対面で信じるとでも?」

 

 鼻で笑い飛ばす。目の前の男も、答えなど知っていたのだろう。特に納得したかのように沈黙した。


 証言に嫌な静寂ののち。


 かすかな身じろぎする服がこすれる音に混ざって、ひそひそと話し声が聞こえる。


 やがて疑心だったそれが、どんどん色濃い悪へと染まり、敵意が膨れ上がる。

 月音にではなく、後ろでガタガタと震える男に無数の見えざる刃が刺されていく。


 辺りに不穏な雰囲気が漂い、目の前の男の重いため息が膠着を破った。


「連れて行け」


 静かで短い命令に数人が蠢いたと同時、背後で鼓膜を突き破る勢いの金切り声が響いた。


 酷く暴れたが、すぐさま押さえ込まれ、地面に叩きつけられる。骨が折れるような嫌な音は黙殺された。


 いやだやめてくれ、と悲痛な叫びにも誰も応えなかった。


 男が冷静であれば、月音の強引な証言も押しつぶせただろうに。


 しかしそんな考えを見破ったのか、指示を出した男はかぶりを振った。


「お前を信じたわけでもない。ただ少しでも怪しい人間は始末した方が早いからな」


 ぞくりと、背筋に寒気が走った。

 それから逃げ出した男の怖がり方にも納得して、頬が僅かに引きつる。


 疑いが上がった、その時点であの男の結末は殆ど決まっていたのだ。

 月音の言葉に意味はそこまでなく、可能性がある。


 たった、それだけのことで。


 そんなことばかりでは、いずれ人がいなくなるだろう。愚かで組織が破滅へと向かう行為ではないか。


 発展した凪之と彼らでは、些か食い違いがある気がしてならなかった。

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