幕間

25話

 鉄さびの臭気が漂う、誰も使っていない倉庫。


 月明かりは入らない。

 ろうそくの僅かな光源が足下に転がる男と、机の上にあるトレーに並べられた器具を照らした。


 闇にのまれかけている男の歯がかちかちと不愉快に鳴る。耳障りだが、指摘してやるほど厳しい人間ではないと自負していた。


 誠司は――自称、裏社会でもっとも優しい男。である。

 誰も認めてはくれないが。


 とりあえず話しやすいように環境を整えてやるか、と動き出そうとして。


 暗闇の中で、こつこつと革靴の音が響く。

 それを背後で聞いた誠司は面倒になると、大げさにため息をついた。


「首尾はどうだ?」

「……尻尾を捕まえるまで、お互い会わないようにするんじゃなかったのかよ」

「はは。今回は事情が変わったからな。家の前で薄汚いドブネズミがうろついていたら、誰だって嫌だろう?」


 それも、人のものをかじる不届き者を無視するほど俺は優しくない。


 赤い唇が艶を含ませた笑みをかたどる。しかし細められた瞳には鋭利で、明確な殺意の光が宿っていた。


 泰華は目的のためならば、平気で人をだまして残酷な方法で人を殺す。笑顔のまま、躊躇わず残虐非道を行う。


 それが誠司の知っている『月花泰華』だ。


 そんな彼が、彼女にどんな顔で接しているか想像もつかない。女とはいえ容赦をしないのがこの男だ。


 ルールさえ犯さなければ一般人を、町を守る。

 だが敷かれた道を外れたものには。


「おっおれは、頼まれただけなんだ! たのむ、なにもしらない、言わないからッだから」

「――発言を許した覚えはないんだがなぁ」


 予備動作などなく。

 泰華の長い足がしなやかに振り抜かれた。


 風を切る音と同時。這いつくばった男の顔面が地面にめり込み、ぼきりと折れた音と呻き声。


「どうでもいいことばかり言うなら、その喉はいらないか」


 両手を後ろで縛られ身動きを封じられている男は、激痛と一気に冷えた空気に圧倒されたらしく、ぐずぐずと鼻を鳴らすにとどまっている。


 誠司は隣の泰華を盗み見る。

 瞳孔が開ききった、獲物をいたぶる――裏社会の上に立つものの目だ。蔑みとは違う、冷酷に冷静にゴミを排除する顔。


 ずいぶんと、キレているな。


 誠司はやはり面倒な事態だと、再度出そうになったため息を飲み込んで、口を挟んだ。


「まだ情報、吐ききってないから待って。そのあとの処分は月花ですればいいから」

「情報を聞くくらい、俺のところでも良かったんだが」

「だめだって。今、表だって月花に動かれるのは困る。そんなのおまえだってわかってんだろ」


 ただでさえうちの連中は当主を殺しかけたのは、虎沢と月花だ、裏切りだと殺気立っている。

 必死に抑えている身にもなってほしいと苦言を呈した。


 泰華は逡巡の後、足を上げて一歩下がった。

 さも不満そうな顔は幼い少年のようだ。これだから顔がいい人間というのはずるい。

 心は鬼のくせに顔面のおかげで緩和されている。


「あーあー可哀想に。ほんっと容赦ないよなぁ泰華は。鼻が折れてるぞ、これ。ちょっとは僕の優しさを見習えよ」

「昔、誠司のとこの部下が「うちの若とあなた様は似ていらっしゃる」って言ってたぞ」

「誰だそいつ。舌抜くから名前教えろよ」

「そういうところが似てるんじゃないか」


 半分冗談で軽口をたたけば、泰華は鼻で笑った。


「俺より情報聞き出すのがうまい時点で、優しくはないだろう」


 彼の視線が向けられた。

 うつ伏せで倒れた男の指はすべて赤く染まっている。先ほどまで施していた痕跡。


 何が言いたいのか誠司には察せられない。

 失礼な話だ。泰華とは違い、優しく接して喋りやすくなるようにと整えただけだというのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る