8話
彼は微笑みを崩さず、別の話題へと移行した。
「そんなに生きたいのならば、しばらくはここにいろ。全てに片がつくまで」
「な、に」
重い身体を引きずり、かすれた声をぶつける。
猛獣が獲物を捉えた鋭利な輝きが、彼の瞳に灯る。
ぞくりと寒気が走り、心臓が痛いほど脈打った。
「俺が解決するまで、ここにいたら安全だ」
「……それは」
助かる。
彼は彼のすべきことのために、秩序を乱す虎沢秀喜を捕まえるのが目的。
だが月音はまだ信用しきれず、じわりと心を侵食する疑いを吐露した。
「あなたがあの男に用事があるのは理解しました。しかしそれは、私を助ける理由にはならない。……一般人が襲われるのは、この町では日常茶飯でしょう」
虎沢秀喜の餌食になろうと、奴さえ捕まえれば彼にとって問題ないはずだ。月音を囲うなどお荷物だ。
一般人を守るのは彼らの義務というのは少し違う。
正しくは、彼らは自分たちのルールを犯す反逆者を排除するのが義務だ。
「私の死は関係はない。重要なのは捕まえることだから」
「……きみは、案外頭がいいな。そうだ、一般人に手を出すなというルールを破った人間に制裁するのが大切であり、はっきり言えば、その過程で一般人が死のうが関係はない。大事なのはルールを守るのであって一般人を守るのではないからな」
「なら」
ならば、何故。月音を匿うのか。
「言っただろう、きみが欲しいと」
「どうして」
「好きだからだが」
月音は目を丸くした。時間が止まる錯覚に陥ってしばらく。
「な、に」
乾いた唇を動かすも、こぼれたのは意味もない言葉だけだ。
真っ白になる頭を無理矢理動かして、じっと彼の真意を読み取ろうと探る。
だが泰華は穏やかな底知れぬ微笑みをたたえるのみであった。
言葉通りに受け取るには、抵抗がある。
さきほど出会ったばかりで、厄介を持ち寄る女に好印象を抱くなど。月音には想像もできない。むしろ面倒で、悪印象だろうに。
訝しむ月音を心底楽しそうに見る泰華に、嗜虐的な色が浮かぶ。
猫がネズミと遊ぶような、無邪気で残酷な愉悦。
「庇護下にいれば、必ず助ける。命を救おう――さぁ、人生は選択の連続だ。きみはどうする」
出会いと同じく、芝居かかった動作で手を差し伸べる。
あくまで月音が歩み寄るのを待つ姿勢は、紳士的にも見えた。
正反対に惑う姿を見下して楽しむようにも。
彼は。羽無町を支配する二大組織の内ひとつ、月花の頭領だ。
泰華を頼るというのは、暗く煌びやかで、血生臭い道に踏み込むということ。
今更だが、月音はまだ勇気が出なかった。
――ひとを、殺す覚悟はあるくせに。
本当に後戻りできない考えなのに、我ながら笑えると自嘲をこぼした。
泰華が、もし追っ手の仲間だったら。
不安は消えない。
それでも、残されたのはひとつ。最初から決まっている。
選べ、というが、そんな気はさらさらないのだろう。
結果をわかった上で、高みの見物――ずいぶんと高尚な趣味だ。
「どうぞ、よろしくおねがします」
既に表情を作るのさえ億劫だ。
鉛のように重いのを隠して、綺麗に口角をつり上げた。
手を握れば、泰華は満足そうに月音の髪を撫でた。
「この腐った
からん、とナイフが地面に落ちた。
泰華は月音の膝裏に腕を回して、ひょいっと軽々と抱き上げる。重さを感じない足取りで、隣の部屋に入った。怪我の痛みすら見せない、完璧な微笑みのままで。
恭しくベッドの上に寝かせると、丁寧に掛け布団をかぶせた。
久しぶりの寝床、痛みが麻痺して疲れがどっと押し寄せる。
食事も睡眠もままならず、手酷い暴行。身体はとっくの昔に限界を迎えていた。
それでもすり減らした精神と気合いで立っていたのだ。
月音はそれでも彼を見上げて「あの」と唇を噛む。
眠るわけには、彼を信用していいか、まだ。
「今必要なのは休息だ。ここにいるかぎり、俺がきみを守る」
さぁ――おやすみ。
寝かしつける声。
ふわりとベッドから、ラベンダーの甘い匂いがして眠気を誘う。月音は彼の腕を掴むが、無駄だと嘲笑うように視界はぼやけていく。
やがて意識は闇へと沈んでいった。
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