4-9


 ツツジの繁みから闇に目を凝らしタイミングを計っていた陽人はるとは、たった一人で戦っている僧衣カソック姿に目を奪われていた。

 あれだけいた迷彩服の男たちは、ほとんど残っていない。

 リュカは銃を駆使し、相手を攪乱するように走り、一人で次々と兵を倒していく。その鮮やかな戦いぶりに陽人は呆然としていた。


「なんなんだあの人……神父って、祓魔師って、みんなああなのか」


 たぶん違う。陽人は直感で思った。


「神父とか祓魔師とか関係ない。リュカがすげー強いんだ」

 星愛せいあが悪魔に変化へんげした時も、どんな技を使ったのか即座に動けなくした。祓魔師としての腕もいいと豪語していたが、それも本当なのだろう。


「すげー……すげーよ」

 身体が痺れるような憧れの気持ち。自分もあんな風になりたい。自分もあんな風に強くなれたら、星愛のことも自分自身のことも守れる。

 きっと、大切なものをこれ以上奪われずに済む。

 状況も忘れて、陽人は興奮した。


 だから陽人は気が付かなかった。


 背後に迫っていた、大柄な迷彩服の影に。


「追いかけっこは終わりだ、小僧」

 後頭部に硬い物を押し当てられて、心臓が飛び出そうになった。背筋を冷たい痺れが走る。


「くそっ、いつの間に」

「ずいぶんと手間取らせてくれたな。クリスタルローズを返せ」

 当てられた硬い銃口がぐい、と押される。

「早くしろ」

「嫌だ」

 陽人はカプセルポットの袋をしっかり胸に抱いた。

「嫌なら仕方ない。じゃあなベイビー。地獄に落ちな」


 大佐は残忍な愉悦に顔を歪めた。このガキの頭が潰れたトマトのようになったどんなに楽しい光景になるか――異常な想像に浸るこの男は、人を殺すことに快楽を覚える救いようのない戦争中毒者だった。

 そしてその性癖が思わぬ隙を生んだ。


「がっ?!」


 倒錯した願望を遂げようとしたそのとき、太ももに熱い衝撃が走った。

 それが刃物で攻撃されたのだとわかった瞬間、痛みでよろめく。


 目の前には虫ケラだと思っていた15歳の少年が、バタフライナイフを構えて刃をこちらに向けていた。

「このクソガキが……!」


 陽人は必死でバタフライナイフを握る。恐怖と、人を刃で傷付けた感触が手に残っているのとで、震えが止まらない。


 けれど戦わなくては。

 これは、陽人の戦いだから。


「どうせ誰も助けてくれない! 悪魔のいるこのよごれた世界で生きていかなきゃならないんだ! こんな世界じゃ俺らみたいなガキはいつ死んでもおかしくない! だったら今戦って死んでやる!」

「バカなガキめ! さっさと死ね!」


 大佐は今度こそトリガーを引いた。


「な、なに?!」

 刹那、長年の勘で標的ターゲットを逃したことがわかり愕然とする。


 見れば少年の身体が横跳びに飛び、地面を転がっていた。

「くそっ、虫ケラの分際で生意気なっ」 

 斬りつけられた痛みと怒りで大佐の照準が狂ったのと、陽人の瞬発力と動体視力を活かした動き、それと発砲ギリギリまで銃口の向きを見極めた胆力。

 それらの要素が絡み合い、陽人は凶弾を逃れた。


「よ、よけられた、俺……よけられた!」

 絶対に撃たれたと思ったのに。

「やればできる。は、ははは、やればできるんだ!」

 腹の底から湧いてくる力で陽人は立ち上がり、ポットの袋をしっかり抱えて走り出した。

「逃がすかぁっ!」

 大佐の発砲は速かった。

「うわぁ!!」

 逃走経路に数発撃ち込まれ、陽人は足止めを食らってバランスを崩し、倒れる。


「ふははは! つくづくバカなガキだ! 渡さないなら奪うまで」

「くっ……」


 地面に尻をついたままの姿勢で、銃口が向けられる。

「おまえの言う通りだ。悪魔に蹂躙されたこの汚い世界では、誰も助けてはくれない。自分の身は自分で守らねばな。だから私もおまえを殺してクリスタルローズを奪う。悪く思うな――」


 大佐の言葉が言い終わるか終わらないかの瞬間、陽人は素早く取り出した球状のモノをそびえ立つ大佐の影に投げつけた。


「うおおおっ、目がっ」

 大佐が身体を折って悶絶した。

「や、やった……役に立った、唐辛子の粉爆弾!」


 陽人は泣き笑いで、しかし懸命に立ち上がりその場に背を向けて走り出す。


「くそおおおお!! このガキがぁっ!!」

 大佐が銃を陽人に向けた。



 しつこく追いすがってきた戦闘員を殴り倒して戦闘不能にした後、リュカがツツジの繁みに向かったとき。


 陽人が大佐に何かを投げつけるのが見えた。


 突如苦しみ出した大佐に背を向けて陽人が走りだす。その背に、よろめきながらも大佐が吼えて銃口を向けた。

「まずい!」

 リュカは『ケルビム』で大佐の手元を狙い0・2秒の速さでトリガーを引く。


「やったか?!」

 銃は大佐の手元からはじけ飛んだ――が。

 上がった悲鳴は大佐のものと、それと。


「陽人!」

 わずかの差で、大佐の狂弾が陽人にヒットしていた。


「くそっ」

 駆け寄りながら救急隊への緊急通信回路を開き、闇に浮かび上がった無機質なオペレーターに場所と救急隊の手配を叫ぶ。

「公園コロニー及び未成年を襲ったテログループ残党はまだ現場にいる模様。JSAFの手配も大至急お願いする!」


 空中ウィンドウにそう告げたリュカを睨みつけ、大佐は肩を押さえながら立ち上がった。


「忌々しい狩師め!」

「忌々しいのはお互い様だな。あと数十秒でJSAFが来る。おとなしくしてれば手当くらいしてもらえるぜ?」

「黙れ狩師! 貴様は次に会ったら必ず殺すっ!」


 完全な捨て台詞セリフを吐いて大佐は短く鋭く警笛を吹く。

 すると、地面に倒れていた兵士たちが、痛みに呻きつつもよろよろと立ち上がって撤収していった。

 それを横目で確認、安全を確保しつつリュカは陽人に駆け寄る。


「おいっ、陽人! 聞こえるか?!」


 撃たれたの箇所を確認する。足だ。ホルダ―の応急処置道具から布を出し手早く止血をする。陽人がはは、と乾いた声を上げた。

「やった、守りきった、クリスタルローズ……」


 手元の袋を引き寄せ、ざり、とガラス片の音に目を見開く。笑いが止まる。


「割れてる……」

 陽人の目が絶望に見開かれた。

「そんな……せっかく、守ったのに……これがなきゃ、星愛の祓魔も、あんたに渡す金も……」


 その痛いほど澄んだ双眸から落ちた雫を、リュカは白い布でぬぐった。


「心配するな。これはダミーだ」

「え?」


 リュカは袋を取る。無残に割れたカプセルポットの中で、何かがかさかさと音を立てて夜風に揺れた。

 子どもの工作などで使われるありふれたオーロラセロファンだ。

「本物は今頃、うちの優秀な助手が加工してる。限られた材料と環境だが質は保証しよう」


 驚きに大きく見開いた目が見る間に潤む。

「リュカ、俺……こういうとき、何て言えばいいかわかんねえ……」

「なにも言わなくていいんだ、こういうときは」


 嗚咽をこらえて歯を食いしばった陽人に、リュカはつとめて軽い調子で言った。

 

「ま、早く元気になって約束報酬を払ってくれ。あ、そうそう、エージェントとの戦闘は別料金だから。そっちはそうだな……身体で返してもらおうか?」

 片目をつぶったリュカは、打って変わって妖艶な空気をまとう。男の目から見ても綺麗に整ったその麗貌に思わずどきりとする。

「か、身体で、って」

「たいしたことじゃない。いい子でオレの言いなりになってくれればいい」


 固まった陽人にリュカはニッと笑う。JSAFと救急隊のけたたましいサイレンがもうすぐそこまで近付いていた。




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