第62話
「こんな時こそ気をつけるべきだと思うのです。準備は万全にしておくべきだと思いまして……!」
スティーブンとネルバー公爵が目を合わせていることも気づかずにセレニティがどう言えばいいか考えていると……。
「セレニティの言うことにも一理あります。不測の事態とはいつ起こるかわからない」
「スティーブン様……!」
スティーブンはそう言ってセレニティの左頬を見つめている。
数年経っても、仲良くなってもスティーブンはこの傷のことを気にしているのだろう。
そんなスティーブンの言葉もあってかネルバー公爵はゆっくりと頷いた。
「……今回はセレニティの意見を採用しよう」
「本当ですか!?」
「ああ、急病人が出ないとも限らないからな」
その言葉にセレニティは表情をパッと明るくした。
そしてもう一つの目的のためにすぐに動き出す。
「それと万が一があった際の応急処置のやり方も学びたくて、ドルフ医師ならば慣れているかと思い、できれば教えていただきたいのですが……烏滸がましいでしょうか?」
「セレニティは一体、何を目指しているんだ?」
スティーブンの問いかけにセレニティは肩を揺らした。
「は、はじめての大きな任務にじっとしてはいられないのです……!わたくしはまだまだ非力ではありますが、いつも可愛がってくださるお姉様達の役に立ちたいと思いまして」
鼻息荒く話して気合い十分なセレニティを見て、スティーブンとネルバー公爵は目を丸くしている。
それにもし医師が間に合わない場合は自分でどうにかできればと思っていた。
(雨垂れ石を穿つと言いますし、わたくしはどんな時でも全力を尽くしますわ……!)
本当に小説通りになるとは限らない。
だが、セレニティは動かずにはいられなかった。
「ハハッ……!やる気があるのはいいことだ。ワシに意見する度胸もそうだが、ハーモニーが可愛がるのも頷けるな」
「……父上」
ネルバー公爵はセレニティの熱意を見て豪快に笑っている。
「ドルフに応急処置のやり方を聞くといい。スティーブン、案内してやれ」
「はい」
「ありがとうございます!」
セレニティは丁寧に頭を下げた。
ネルバー公爵は片手をあげて背を向けて去っていった。
セレニティは公爵を見送りながらホッと胸を撫で下ろした。
(想像以上に恐ろしかったわ……!)
他の騎士達から聞いていたが、いざ目の前で自分が対峙すると想像以上であった。
ネルバー公爵の名前を出すと騎士達の顔が青くなるのも頷ける。
セレニティは汗が滲んだ手のひらをズボンで拭った。
スティーブンはセレニティの肩を掴んだ後に頷いた。
セレニティに「こちらへ」と声を掛ける。
ネルバー公爵邸の赤い絨毯が敷かれた長い廊下を歩いていく。
自分がやれることは精一杯やったつもりだった。
達成感に無意識に笑みが溢れたが、今からが本番なのだと頬を叩いて気合いを入れる。
「……セレニティは強いな」
「え……?」
スティーブンが足を止めたのを見て、セレニティは彼を見上げるようにして視線を送る。
目の下に深く刻まれた隈と顔色の悪さを見てスティーブンがかなり疲弊していることに改めて気づかされた。
「スティーブン様、顔色が……。少し休んだ方がいいのではないでしょうか?」
「いや、大丈夫だ」
スティーブンはそう言っていつも通りの笑みを浮かべた。
どんなに強く見える人も心が弱くなる時がある。
セレニティは背伸びをしてから背の高いスティーブンの頭を撫でた。
何故かそうしてあげたいと思った。
スティーブンがキョトンとしながらセレニティを見ている。
「セレ、ニティ……?」
「学園でのことでしょうか?」
セレニティがそう問いかけると、スティーブンが微かに頷いたような気がした。
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