一日目 お座敷で遊ぼう。

 ――お、俺はいったい何をやってるんだ……。


 イケメン氷室は、芸者になど何の興味も無かった。そもそも、白塗りメイクの和服美女に萌える男子高校生などレアが過ぎる。


 ――普通に女子部屋へ押し掛けて、きゃっきゃっ出来ればいいんだよ。俺はさ。


 林間学校以来、氷室がクラス内で置かれている立場を考えるなら、女子部屋に招かれる可能性はゼロパーセントとはいえ、夢を語る権利は誰しもが持っている。


 他方の現実では、会席料理と芸妓による舞も終わり、いよいよ本番となるお座敷遊びが始まっていた。

 芸子よりも歳若い舞妓達が、きらびやかな着物で場を盛り上げる。


 ――女子部屋のはずがっ!――こんな――クソッ!!!


「とーらとらっ!」

「とーらとらっ!」


 妙な歌と手拍子に合わせてポーズを決めた後、屏風を挟んでいた氷室と舞妓が身を乗り出して互いの姿を見せあった。


 氷室はダルそうに杖をつくポーズだったが、舞妓は四つん這いになり「がおお」と可愛らしく吠える。


「あらあら、またうちの勝ちどすぇ」

「ささ、一献」

「おきばりやす~」


 氷室がやらされている馬鹿馬鹿しい遊びは、ひと言で説明するならジェスチャーじゃんけんである。

 負けた方は、謎の液体を飲まなければならないのだ。


「くっ――もう、小便でも何でも持ってこいやああああ」


 ヤケクソになった氷室が叫ぶ。


 そんな男の様子を、ひっそりと隅に座るゴリラ伊集院は、同類相哀れむ眼差しで見詰めていた。

 彼とてオサムに誘われたなら断れる立場ではないのだ。


「ふむふむ、なるほど。確かにボク達は尿を飲んで生き延びた仲間だ」


 オサムが猪口ちょくに注がれた液体の匂いを嗅ぎながら言った。


「――ところで、これは酒か?」


 酌をしてくれた隣に座る舞妓に尋ねる。


「さあ、なんでっしゃろな?ホホホ」


 しつこいと思われるかもしれないが、ともかく謎の液体である。


「まあ、美味いと言えば美味い。とはいえボクは麦茶の方が――」


 そう言うオサムの脳内で、一学期に飲んだ麦茶の珍味がフラッシュバックした。


 毒液で弱った身体を回復させた例の麦茶を何度か再現しようと試みているのだが、未だに成功していない。


 ――あれは何だったのだろうか。

 ――ん――そういえば――あの時は双葉アヤメが水筒を持っていたな――。


 オサムが追憶の中で輝く聖水に思いを馳せ始めた時のことだった。


「もっともぅっと、腰を振らんかあああああああいっ!!がーはっはっは!!」


 別の座敷から、やたらと大きな声が響いて来た。

 

「――嫌やわ――また――」


 そう小さく呟いて、オサムの隣に座る舞妓が眉をひそめた。


「ほう?」

「す、すみません――いえ――すんまへん」


 思わず地の言葉遣いとなった舞妓は、慌てて京ことばに切り替えて頭を下げた。


「いや別に構わん。しかし、やたらと声の大きい客だな」

「えろ、堪忍え」

「えろ?」

「とってもゴメンなさい」

「なるほど――幾つか質問がある」


 舞妓が使う京ことばの響きを、聞き始めは興味深く感じていたのだが、既にオサムは面倒臭くなっていた。

 元来が即物的な男なのである。


「日本文化は尊重しているのだが、普段通りの言葉遣いで答えてくれ」

「は、はあ?」


 舞妓が怪訝な表情を浮かべた。


 ――外国人みたいなことを言う人ね?


 馴染みの客が、日本語の多少出来る外国人を連れて来る事があるのだが、彼らも似たような頼みをする場合があるのだ。 


「やたらと声の大きな客について教えてくれ。先ほどキミはと言っていたから知っているはずだ」

「それは、出来ません。他のお客様のことは――」


 オサムの持つ妙な気迫に押され、舞妓は少しばかり怯えた声音となった。


「尊敬に値する職業倫理だ」

「い、いえ、当たり前だと思いますけど」

「とはいえ、現在の局面では無視すべき倫理となる」

「はい?」


 信用できる客からの紹介と言われ初見の一行を預かったが、どうにも奇妙な三人組ではあった。

 

 肌艶だけで判断するなら、どう見ても高校生である。なおかつ、お座敷遊びにも不慣れなうえ、主賓であろう頬に傷を持つ男は楽しそうな様子を一切見せていない。


「答えてくれないなら、ボクは自分で調べるつもりだ」

「え――」

「どれ、ひとつ顔でも――」

「ま、待って」


 膝を立てたオサムの腕を、舞妓が慌てて掴んだ。


 見知らぬ他人の遊ぶ座敷へ押し掛けるなど御法度にも程がある。しかも、当の相手は上得意ながら面倒な客だったのだ。


 ――でも、この人ホントに行っちゃいそうだし……。


「もう、ナイショですからね」


 そう言って舞妓はオサムの耳元に口を寄せる。


「――牛山さん――です」

「牛山大吾か?」

「えっ!?お知り合いだったんですか?」

「いいや」


 座敷に上がってから初めてオサムは笑顔を見せた。


「これから、そうなるんだ」


 その様子に舞妓が悪寒を感じた時、座敷の外から別の喧騒が聞こえてくる。


 ――お客様っ!そちらは別の方がっ。

 ――違う、ここじゃないわっ!!ホント、きったないジジイばっかりね。

 ――ちょっと、あんた捕まるってばさ。

 ――ぼ、僕の信用が……。

 ――うっさい屑。最後はここねっ!!


 ズザザッと、オサムたちが遊ぶ座敷の障子が開かれた。 


「オサムきゅんっ!!!」

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