第4話
カーテンから朝の光が薄らと漏れて入る。
結局、一睡もできなかった。
鳴る前に止めた目覚まし時計をぼんやりと見つめる。あと二分でいつもの起床時間になる。
起きなければ……。
起きなければ遅刻してしまうのに、起きたら暁がいる。
先ほどから美味しそうな匂いがしているから、いつも通り朝食は出来上がっているはずだ。
でも、どんな顔で会えばいいのか。
うあぁー、と呻いて枕を抱えた。
昨日、あれからか何とかお風呂に入ったのだが、その時に首筋に赤くできたキスマークを見つけてしまった。
あの時のチクッとした痛みはこれだったのかと頭を抱える。
こんな外から丸見えの場所につけやがって、と思うと同時に、暁の唇の感触を思い出してカッと顔が熱くなった。
「あいつめ」
思い出して、枕に赤面した顔を埋めながら再び呻いた。
一体どんな顔をして会えばいいのだろう。
だってあんな暁知らない。
あんな男をむき出しにした暁なんて初めて見た。それを向けられたのも初めてだ。
だって私の知る暁は、ちょっと草食系の穏やかな淡々とした性格だ。
あんな、色気のある熱っぽい目など見たことない。
それに、キスだって……。
あぁー、どうしようどうしよう、とゴロゴロとベッドで呻いているとコンコンと部屋がノックされた。
ドキンとして、思わずがばっと起き上がる。
「紗希? 起きている? 遅刻するよ」
扉の外で暁が声をかけてくる。
「は、はい! 起きています!」
慌てて返事をすると、「ご飯食べちゃって」と返事があった。
「はい……」
返事をすると、暁が扉の前から去っていく気配がする。
「なんで敬語……」
敬語で返事してしまうなんて意識しているのがバレバレだ。
でも、暁はいたって普通の声だった気がする。
むしろあれは夢だった? いやいや、夢ならそれはそれでまずい。欲求不満すぎる。
しかも暁だって何のつもりであんな……。
あんな甘いキス……。勘違いしてしまうではないか……。
「ダメだ。このままだと本当に遅刻する」
若干、二日酔いのする頭を無理やり起こして着替えに移った。
どんな顔をしたらいいのだと迷いながらも部屋から出てリビングへ行くと、暁が朝食を机に用意して待っていた。
「おはよう。早く食べないと遅刻するよ」
振り返ってそう言う暁はいたっていつも通りだ。
「あぁ、うん」
妙に緊張した気持ちで席に着くが、暁は昨日のことは一切触れてこない。
いつものように新聞を読んだりテレビを見たりして朝食を食べている。
まるでなにもなかったかのようだ。
緊張していた分、なんだ……と力が抜ける。あれは暁のおふざけだったのだろうか、とさえも思えてしまう。
いや、しかし、おふざけにしては度が過ぎているが。
すると突然、暁が私に視線を合わせた。
目が合い、ドキッとする。
「スカーフして暑くないの」
一番、指摘されたくない所を……。
焦りつつ、自分で作った卵焼きを頬張りながらシレッと聞いてくる暁になんだかムッとした。
今日の私は白いブラウスにスカートという会社スタイルに、水色のスカーフという、夏にしてはやや首元が暑苦しい服装をしていた。
誰のせいで、こんなくそ暑い中スカーフなんてしなければならないのか。
原因を作ったのはお前だ! と叫びたくなるのをグッと押させる。
「誰かさんのおふざけのせいでね」
そう言うと「おふざけねぇ……」とバカにしたように鼻で笑われた。
「暁、可愛くない」
「この歳で可愛いとかいらないし」
「じゃぁ、ムカつく」
「はいはい」
余裕そうに笑われてさらに腹が立つ。もういいと、席を立ち出勤の準備を始めた。
イライラした気分で靴を履いていると、後ろから暁が声をかけてきた。
「何よ」
「おお、怖。つーか、マジでそんなスカーフをしていると熱中症になるよ」
「誰のせいよ」
キッと睨み付けると肩をすくめられ、首元に手が伸びた。
「えっ、なに」
温かい指の感覚にビクッと身体を震わせると、するっとスカーフが解かれる。
「あ、ちょっと」
「あぁ、くっきり痕になっているね」
その笑顔が昨日を思い出させ、カッと顔が熱くなる。どこか艶やかさをみせる笑顔。
いつからこんな顔が出来るようになったんだ。
戸惑いと恥ずかしさに俯きながら、暁の手にあるスカーフを取り返そうとすると、それをかわされ、代わりに何かを首に貼られた。
「ひゃっ、何」
「絆創膏。こっちの方が自然だよ。何、ドキッとした?」
絆創膏? と首に手をやると確かにキスマークらへんに絆創膏らしきものが貼られていた。
「そんなに大きくつけてないんだし、これで十分だよ」
「……そもそもつける意味が分からないんだけど」
「え、なに?」
暁の笑顔に思わずキッと睨み付ける。
聞こえているくせに、と思う。
しかし、ここで口論していても仕方ない。
出勤時間は過ぎており、本当に遅刻ギリギリになってしまう。
「もういい!」
ふんっ! と顔を背け、玄関を出ようとした時、「あ、紗希」と腕を引っ張られた。反動で振り返ると、目の前には暁の顔があり、そのままかすめるように唇を合わせた。
「なっ……!」
「いってらっしゃい」
驚愕している間に、暁は私を追い出し、笑顔で玄関を閉めた。
『紗希ちゃん、一緒に遊ぼう』
そう言って後ろからトコトコとついてくる幼い頃の暁は、それはそれは可愛かった。
昔から愛らしい容姿をしており、女の子に間違われることもあった暁。私たちはお互い一人っ子で親同士も仲が良かったからまるで姉弟のように育った。
暁は優しくて、甘えん坊で、いじめるとすぐに落ち込んでしまうそんな可愛らしい子どもだった。
そう、可愛かったのだ。
それなのに。
なんなのだ、あれは。
なんなのだ、あの男は。
あれは私の知っている暁ではない。
遊んでと後ろを追いかけてきたあの愛らしい少年はどこへ行った。どこへ消えてしまったのか!
それに首筋にキスマーク付けられたことばかりに意識が行っていたけど、実際にキスされているではないか、唇に。
思い出すと顔が熱くなり、うわぁぁぁと頭を抱える。
考えないようにすればするほど意識してしまうから大変だ。
ああ、どうしたらいいんだ。
すると、後ろから肩を軽くポンッと叩かれた。
振り返ると課長が呆れたような顔で立っている。
あ、そうだった。ここ、会社だった。
「何を百面相しているんだか知らないが、始業時間は過ぎているんだぞ。頭抱えるなら新しい企画書出してからにしろ」
そう言われ、小さな声で「すみません」と謝った。
けれどこの日一日、新しい企画書どころか、後輩にまでミスを指摘されるほど散々だった。
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