33.安城キヨト(沼)について

日曜日。現在の時刻は午前11時を回ったところ。

俺はリビングにてソファーを占有し、妹が買って来たファッション誌を読みながら時間を潰していた。


現在読んでいる「必見!イマドキ男子にモテコーデ♡特集」と題されたページ曰く、男ウケのいいトレンドは花柄だとか。残念ながら俺にとってはクソの役にも立たぬ情報であった。


「ナツメ。たまには外食でもどうかな」


そうやって自堕落に暇を持て余す俺を見かねたのだろう。

テレビを消し、穏やかに微笑みながら声を掛けてきたのは今生に於ける唯一無二の父、安城キヨトその人であった。


我らが安城家の黒一点。

現役高校教師たる父は俺と同じく休日である。


「いいね。着替えついでにカヨさんとアマネも呼んでくる」


俺は父の提案に賛同しファッション誌を閉じた。

背中を伸ばしつつソファーから立ち上がり、階段へと向かう。

カヨさんとは母の姉の名である。

つまり母の妹であるサヨさんではない方の叔母兼義母であり、アマネにとっての実母である。

現在、役職持ちの高収入キャリアウーマンにして二児の母親である彼女は自室にてその身を休めている。


しかし父は俺に待ったをかけた。そしてその時点で何を言われるのか察した。


「カヨはそっとしといて。二日酔いで死んでるから」


役職持ちの高収入キャリアウーマンにして自堕落な酒の信奉者たる彼女は自室にてアルコールの存在を呪っている最中らしい。

日曜日のカヨさんには良くある事だった。


母のミヨ曰く「カヨはキヨトに甘やかされすぎて駄目になった」そうで、昔は生真面目な優等生だったらしい。今ではすっかり見る影もない。

それでいて職場では部下にも上司にも慕われているという話なので、人間というのはつくづく不思議な生き物である。ポケモンかな?



階段を登り二階へ。

我が家の敷地はそこそこ広く、三階建ての建物自体もちょっとした屋敷に匹敵する広さだ。

二階は子供部屋とその他の空き部屋等があり、三階は主に夫婦の寝室と各々の私室となっている。

なんでも結婚が決まった当時、夫婦四人がかりでローンを組んだのだとか。

それを知ればこの広さにも納得というものである。


三階ではカヨさんが死んでいるそうなのでそっとしておく。既に父が水を飲ませたらしいのであまり心配はしていない。

サヨさんも三階に居るが、彼女が自室に籠っている時は仕事に集中している事が多いので邪魔をしてはいけない。何かお土産を買う予定だ。ちなみにイラスト関係の仕事をしている。


そして妹二人と実母のミヨはそれぞれ塾と仕事で朝から不在なので、我が家で暇を持て余している最後の一人を誘う為に俺はアマネの部屋の扉を叩いた。


「アマネー。起きてる?」


扉越しに声を掛けると、返事は無いがベッドが軋む音がした。どうやら横になっていたようだ。

少し待つとドアが開く。

モコモコとした肌触りの良さそうな部屋着に、普段使い用の眼鏡をかけたアマネが扉の隙間からこちらを見上げてきた。アホ毛みたいな寝ぐせがかわいい。

ブロマイドにすれば某会長辺りにかなり良い値で売れそうだと思った。まぁ売らんが。


「起きてるけど……どうしたの」


覇気のない様子でアマネが答える。見るからに眠そうだった。

ここ最近は入学式の準備やら生徒会の雑用やらでせわしなく動き続けていたようなので無理も無かろう。


ちなみに吹奏楽部の件はとっくにほとぼりが冷めており、お互いに至って普段通りの平凡なテンションである。

そのまま見つめ合う理由もないので手短に用件を伝える事にした。


「昼飯食べに行かない?」


「今から?」


「30分後くらいかな」


「……」


アマネは無言で何かを考え始めた。

恐らくは今から外出の準備をする事に対する手間と魅力とを天秤にかけているのだろう。


どうにも決めかねている様子であったので、俺はその背中をほんの少し押してやる事にした。


「ちなみにお父さんが言ってる」


「……そう。とりあえず支度するわ」


「焦んなくていいよ」


即落ちである。

閉じられた扉の向こうからは外出用の服を見繕う物音が聞こえて来た。

相変わらずのファザコンぶりを確認した俺は、半笑いで自室へと向かうのであった。



父の車で訪れたのはとあるイタリアンレストランだった。大衆向けの洒落た店構えである。

パスタが食べたい俺とアマネ、そしてピザが食べたい父との利害が一致した形である。


車から降りて軽く背中を伸ばす。

俺の服装はトレーナーのズボンに外出用に着慣れたパーカーと極めて無難であった。身内で飯食いに行くだけだし気合い入れてもしゃーない。


ちなみにアマネは比較的ラフだが品のある格好だ。

寝ぐせはきっちりと整えられ、眼鏡もコンタクトに替えていた。軽くメイクもしている。

女子として、彼女のこういった生真面目さを俺は素直に尊敬していた。

まさに美少女の鑑である。俺なら寝ぐせなんざキャップ被って誤魔化すので。


俺と姉はレストランの入り口へと向かう父について行く。

こういった一人で入りづらい雰囲気の店には前世でもあまり来た事が無いのだが、父は慣れたものであった。流石に嫁が三人も居る男は一味違う。


入口の扉を引き開けると、上部に連結されたベルが鳴り響いた。

店内からは歓迎の声が響き、店員さんがすぐにやってきた。

かなり年若い女の子だ。恐らく高校生のアルバイトだろう。

落ち着いた印象の黒のコックコートに対照的な明るい笑顔が映えていた。


「いらっしゃいま――えっ!?」


しかしこちらに来た途端、突如店員さんがフリーズした。

何やら父の顔を見て目を丸くしており、父も少し驚いた表情をしていた。


察するに、彼女は父の生徒であるらしい。

父の勤める高校はバイトが禁止だと聞いているので、つまりはそういう事なのだろう。

俺も前世では普通に無許可バイトをしていた側の人間なので、焦る彼女の気持ちはとてもよく分かった。


とはいえ、首を突っ込むような真似はしない。

そもそも父がこの後どう対処するのかは概ね想像がついている。


「三人です。空いてますか?店員さん」


"見知らぬ"の部分を強調しつつ言い、父は微笑んだ。


「……えっ、あっ……あっ、はいっ!ご、ご案内します!」


店員の少女は拍子抜けしつつも父の意を汲み、慌てて接客を再開した。


アマネと顔を見合わせる。


「……ああいうとこよな、ほんと」


「全くだわ。ああいうとこよね」


互いに何が言いたいのかを察し、溜息と共に頷いた。

ああいうのを自然体で出来てしまうからバレンタインチョコに異物が混入する羽目になるんですわ。


姉と二人でジト目で見てやると、父は不思議そうに首をかしげていた。



カルボナーラを注文する予定であったが、俺はアクアパッツァに目移りしてしまった。

向かいに並んで腰かけている父と姉はボンゴレスープパスタとマルゲリータピザを二人でシェアする事にしたようだった。見事なファザコンっぷりである。


男性店員によって席へと運ばれて来た料理はどれも素晴らしく、看板に書かれた本格ナポリ料理店の名に偽りは無かった。

俺は、この世界にもナポリ料理が存在してくれる事をイタリアの人々に心から感謝した。


「アクアパッツァ美味い!ピザ一枚貰っていい?」


「ん」


「グラッツィエー」


アマネが取り皿にピザを載せて差し出して来たので、イタリアンな礼を言いつつそれを受け取る。

香ばしいチーズの上のバジルの葉から漂う香りが鼻腔を刺激する。まだ食ってないのにもう美味しい。

父はそんな俺達の様子を嬉しそうに眺めつつ言う。


「二人とも、学校は上手く行ってる?」


「……まぁ私は。生徒会は忙しいけど、それもやっと落ち着いたから」


アマネはパスタのアサリと死闘を繰り広げつつ涼し気に答えた。

ちなみにボンゴレパスタのアサリは殻を手で押さえてフォークで外して食べるものらしい。アマネもそのようにしている。


「オレも特に問題は――」


「吹奏楽部」


問題ない、と答えようとした俺をアマネがたったの一言で制した。

片手間にアサリと戦いながらである。武術の達人が箸二本で相手を御するアレに似ていた。


すいません。普通に忘れてました。


「――起こさず、大人しくしようと思ってます」


俺は背筋を伸ばしつつそう宣言した。


「ん。よろしい」


アマネは頷き、父は苦笑していた。


その後も三人で互いに近況を交換したり、カヨさんの二日酔いの話や妹達の受験に向けての話をしつつ過ごした。

リビングでイマドキ男子にモテるファッションを学ぶよりは遥かに有意義な時間であった。



退店の際、レジを担当したのは入店時と同じ女の子であった。どうも、他のスタッフの手が空いておらずやむを得ず、といった様子である。

彼女はにこやかな父とは対称的に緊張の面持ちでレジ打ちをこなす。


「れ、レシートのお渡しでぇす……」


「どうもありがとう」


ぎこちない笑みで渡されたレシートを、父はにこやかに受け取る。

無事に対応を終えた彼女は小さく安堵の溜息を吐いていた。


そのまま俺とアマネが先に店外へ。

それに続いて退店する間際、父がおもむろに振り返った。


「……お疲れ様。成績落ちないように、ほどほどにね」


片目を瞑りつつ、口元に人差し指を立てつつそんな事を言う。

実の娘であり、尚且つ中身おっさんの俺ですら思わず少しばかりドキリとする仕草であった。


「…………ぁ」


扉が閉じる寸前、彼女がドロッ……とした瞳で父の背中を見つめているのが見えた。


お前ホントそういうとこやぞ。


アマネを見ると「お前ホントそういうとこやぞ」と言いたげな目で父を見ていた。


やはり姉妹である。

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