異世界働かないおじさん

アマノヤワラ

1「異邦人」とおじさん、の巻

 


「カタヒラさん、この後『コレ』どうですか」

 仕事終わり。机の上に積み上げられた書類の向こうから、椅子から少し腰を浮かせた若い上司がわたしに向けてジョッキを傾ける仕草ゼスチャーをしてみせた。


 仕草からして『この後居酒屋に飲み行きませんか』の誘いだろう。上司の隣には他部署の若い女性職員が立っている。多分、彼女が上司に誘いをかけたのだろう。

 若い上司からしたら、まだ配属はいぞくされたばかりで部署に慣れていないわたしに早く部署に慣れてもらおうと思って『僕達と一緒に飲み行きませんか』と誘っているだけだろう。

 しかし、おそらく勇気を出して誘いをかけた彼女からしたら、若い上司の行動は予想外だったに違いない。上司を誘った女性は目を丸くして『え…』という表情でわたしを見ている。

 こういう時なのだ。

 『おじさんの社交辞令』の真価が問われるのは。


 わたしは、自分の顔全体に瞬時に『あっちゃ〜…行きたかったなぁ』という表情を浮かべながら相好を崩した。続けて、若い上司と上司に誘いをかけた若い女性職員の二人をゆっくりと交互に見る。いかにも残念!という笑い顔を二人に向ける。


「いや〜行きたいんだけどね〜。昼間ちょっとトチッちゃってね。できたら今日中に片付けちゃいたい仕事がまだ残っちゃってるのよ〜。いや〜残念だな〜」

 嘘を嘘とも気付かせず、もし相手が嘘に気付いたとしてもそのまま押し通すことが『おじさんの社交辞令』にとって必要な要素だ。少なくともわたしはそう思っている。この状況に対して今のわたしの表情、セリフ、タイミング…全て完璧だったハズだ。


 少なくとも誘いをかけた女性の方は、わたしのセリフに対して少し『ホッ』とした、という顔をしている。これで、この若い女性に恨まれずに済みそうだ。勇気を出して同じ職場の男性を誘った若い女性を邪魔するほど、わたしは『おじさん力』低くないし、野暮天やぼてんでもないのだ。

 ただ、わたしにとっても他部署の女性にとっても計算外だったのは、若い上司が真面目で良いヤツ過ぎたことだろう。


「えっ、カタヒラさんがですか。珍しいですね。まだ定時まで時間あるし、オレ手伝いましょうか?」

 若い二人に気を利かせたわたしの社交辞令を、どうやらこの上司は本気にしてしまったらしい。

 …それじゃ君モテないし下手したらわたしの方が悪者になっちゃうぞ、と心の中だけでつぶやく。ホラ、女の子が君の後ろでわたしのこと睨んでるじゃないか。

 しかし内心はともかく、わたしは笑い顔を崩さない。


「いや、だいじょーぶ大丈夫!途中まで自分が処理したやつだから逆に一人でやった方がやりやすいから、ありがたく気持ちだけ貰っとくよ。

ちなみに店はどこ行くの?」

 スラスラと流れるように口から出任せのやんわりとした固辞から、若い上司への質問に持っていくわたし。


「いやまだ決めてなくて…」

 若い上司が言いかけたところで、

「んじゃさ、ココ行ってみたら。最近近くに出来た居酒屋らしいんだけど、評判いいみたいよ」

 そう言いながら、机の引出しから出した居酒屋のオープン記念の割引券を若い上司の手に握らせるわたし。評判いいもなにも、商店街を歩いてる時に『新規オープン!』の立て札を持った居酒屋店主本人から直接手渡された割引券だ。


「とりあえず二人で行ってきなよ。あとで行けたら行くし」

 もちろん行く気はない。

 これでノコノコ行ったりしたら今のわたしの苦労が水の泡になる。


「…それでは、そうさせてもらいます。コレありがとうございます」

 若い上司は年上の部下のわたしに頭を下げた。これじゃ、どちらが上司だか分かりゃしない。若い上司の後ろで、他部署の若い女性は明らかにホッとした顔をしていた。


「…それじゃカタヒラさん、すみませんが帰るときにストーブの消火と事務所の最後の戸締まりだけお願いします。それでは、お先に失礼します」

 また若い上司がわたしに頭を下げ、他部署の女性もその動きに追従ついじゅうする。


「はーい了解。お疲れ〜」

 そして、わたしは真剣に机の上の書類に向き合うフリをしながら若い二人を送り出した。


………


「ふぅ…」

 若い二人が事務所が入っている建物から出ていくところを窓から確認した後で、わたしは深くため息をつくと、すぐに部屋のストーブの火を消した。ストーブの内部で赤熱化していた複雑な紋様もんようが施された金属板の表面から徐々に熱が失せるとともに、金属板は元々の黒い地金の色を取り戻していく。 

 それを見ながら、わたしは肩と腰に手を当てて、コキコキと首を左右に巡らせた。

 …疲れた。いくら『いい歳したおじさん』とはいえ、口から出任せを短時間であれほど重ねると疲れるのだ。

部屋の中にまだストーブの熱が残っている間に、わたしは明日の仕事の優先順位に沿って机の上の書類を並べ直して、机の引き出しの中に入れる。

 もちろんその際に今日やった仕事の最終確認も怠らない。今日までにやるべきことで、やり残しは一つもなかった。

 すべての窓の鍵が閉まっているのを指差し呼称で一つ一つ確認し、室内にわたしの他に誰も残っていないことを確認した後で、部屋の灯りを消してわたしも事務所を後にした。


………


 おそらく職場内でのこういうやり取りは、同じ職場の若い男女と『おじさん』との間で、有史以来、数限りなく行われていることだろう。実際、わたしもこういう経験は人生で初めててはない。世界のどこであろうとありふれているような、なんの変哲もないような日常の出来事の一つだ。

 この出来事の中で変わっていることがあるとすれば、その原因はむしろ『わたし』の方にある。


 わたし自身は日本生まれ日本育ちの、ただの普通のおじさんに過ぎない

 しかし、日本の常識では考えられないようなことが、わたしが今住んでいる『ココ』では日常的に起こる。

 『ココ』では、例えば『ストーブ』は【赤熱刻印済金属板ヒーター】の表面の刻印に『魔力を通す』ことで作動する。それに、『部屋の灯り』は【蓄伝光刻印板ライト】に夜の月光や星光をめておいて、溜めた光を昼間に部屋のあかりとして利用する。これも、もちろんスイッチに『魔力を通す』ことで作動する。


 ここまでのわたしの説明で勘の鋭い方にはすでにお察しのことと思うが、わたくしこと【片平平蔵かたひらへいぞう】(56歳)は、現在『異世界』にいて、『異世界』の町のギルドの嘱託しょくたく職員として働いているのだ。


 つまり、今の状況で一番変わっているのは『ココ』が『異世界』で、わたしはこの世界からすれば日本生まれの『異世界人』ということだろう。




 続く…



≈≈≈

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