第62話 アン・グラスホッパー
ヨナンと言う名の少年を、父親が家に連れて来たのは、アン・グラスホッパーが8歳の時。
始めての知らない場所にとても怯え、アンの父親の後ろにずっと隠れ、震えてる1歳年下の男の子は、カララム王国とサラス帝国との戦争のせいで、戦争孤児になってしまったという可哀想な子だった。
「こいつは、ヨナン。今日からグラスホッパー家の子供だ」
先の大戦で功績を上げ、騎士爵になったばかりの父が連れてきた物静かな少年は、父の言葉を聞くと、全てを悟ったかのような達観した表情になり、アンとその家族に黙って頭を下げたのだった。
それから直ぐに、ヨナンの本当の父親が、大戦の最中、アンの父エドソンの命を助けて戦死してしまったと知らされる。
しかも、ヨナンの実の母親は、旦那が戦死した事により、ショック死。妹はどさくさに紛れて、奴隷商に売られて行方不明。ヨナンだけを、アンの父がギリギリ救いだしたという話だった。
それを聞いたアンは、ヨナンに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、なんとか力になってあげたいと思ったのだ。
そして、ヨナンをグラスホッパー家の家族に迎えてから数年、幸せだった日々も、貴族の義務として、グラスホッパー家の子供達をカララム王国学園に入学させなければならなくなってから、グラスホッパー家はどんどん貧困になって行ったのだ。
なにせ、グラスホッパー領には、お金になる産業が何も無い。
唯一栽培できる男爵芋も、土地が痩せてるせいか大きく実らず、発育不良で1つ30マーブル程でしか売れない。しかも収穫量も少なく、とてもじゃないが、家族9人が暮らすだけのお金が稼げない。
アンの上の兄達3人がカララム王国学園に入学する頃には、家は貧困も行き着く所まで行っていて、母親のエリザベスも、他人であるヨナンを追い出そうとしてた程だ。
そんな事もあり、アンはヨナンを鍛えることにした。
基本、貴族の家を継げない次男坊、三男坊は、攻撃スキルを活かし稼ぎやすい冒険者になると相場が決まっていて、ヨナンも一応、騎士爵家の息子であるので、それに当てはまると本気に思ったのだ。
しかしながら、ヨナンは絶望的に虚弱体質だった。
少し型を教えてあげようと、体を触っただけで骨折。少し峰打ちしただけで、大袈裟に痛がるし、アンもどうして良いか分からなかったのだが、そのうち強くなるだろうと、アンは辛抱強く、自身が王都のカララム王国学園に入学するまで続けた。
なにせ、ヨナンは父親の命を救った恩人の息子なのだから、正義感が強く、そして責任感が強い、アンには、決してヨナンを見捨てる事など出来なかったのである。
そして、ヨナンの事が気になりながらも、カララム王国学園に入学し、全寮制の寮に入ってからも実家が貧乏なのは変わらない。
何とか、家に入学金は払ってもらえたが、寮費も、生活費も、家からの援助が殆ど貰えなかったのだ。
そんな訳で、アンは、カララム王国学園に入学しても働かなければならない。
昼は食堂で配膳のバイト。夕方は学生寮から近い飲食店で皿洗い。
兎に角、学費が払えなくて退学する事だけは間逃れないといけない。
それは、尊敬する大戦の英雄である父エドソンの名を汚す事。
馬鹿な同級生から、貧乏貴族と貶される事も、陰湿な嫌がらせも耐え続けて。
そんなアンが、カララム王国学園に入学して、やっと生活が落ち着いた頃、アンにとっての大事件が起こる。
いきなり、グラスホッパー家の次男ジミーが、カララム王国学園のヒエラルキーの頂点とも言える、イーグル辺境伯令嬢、剣鬼カレン・イーグルにボコボコにされる事件が起きたのだ。
それ以来、何も知らない同級生による、アンへのイジメが激しくなる。
カレンの取り巻きか何かが、勝手に同調してイジメに参戦してきたのだ。
騒動の原因でもある次男のジミーに話を聞くと、親戚だのどうのとか言われて、いきなりぶっ飛ばされたとかなんとか言っていた。
何を言ってるのか、全く分からなかったが、アンへの嫌がらせがエスカレートしてるのは確か。兎に角、ほとぼりが冷めるまで耐えるしかないと思ってたら、イキナリ、殆ど送られて来なかった仕送りが、ドン! と、30万マーブルも送られてきた。
本当に意味が分からない。家には、そんなお金無い筈なのに。何か悪い事にでも手を染めたかと、心配ばかりしてしまう。
そして、またまた事件が起こる。
突然、長男のセントが消えたのだ。
一応、セントは剣鬼カレン・イーグルが入学するまで、カララム王国学園最強と言われてた自慢の兄。セントの目が光ってたから、アンへの嫌がらせも寸前の所で止まってたけど、居なくなったら全く、歯止めが効かず、アンももうダメだと思い始めた頃、今度は、次男ジミーをボコボコにした張本人で、アンが嫌がらせを受ける事になった元凶、イーグル辺境伯令嬢、剣鬼カレン・イーグルが、アンの前に、突然現れたのだ。
「アンタが、アン・グラスホッパー!」
カレン・イーグルは、慇懃無礼な上から目線の態度で、学食のバイト中のアンに尋ねてくる。
学食に居た者達は、剣鬼カレン・イーグルがまた、ジミー・グラスホッパーの妹であるアン・グラスホッパーに因縁を付けると思い、静まり返る。
アン自身も、今回こそは、絶対に学園生活が終わったと思ってしまう。
何故なら、自分が嫌がらせを受ける事となった原因の張本人が、今度はジミーじゃなく、直接、アンをボコりに来たのだ。
「ねえ! アンタが、ヨナン・グラスホッパーのお姉さんのアン・グラスホッパーか、聞いてるんだけど?」
カレンは、鷹のような鋭い目付きをして再びアンに聞いてくる。
「ヨナンは、私の弟ですけど、何か?」
もう、アンはボコられたら、ボコり返す気持ちで返事をする。
大戦の英雄と言われてる父親エドソン・グラスホッパーの名誉を守る為、絶対にやられても一矢報いなくてはならない。例え、カララム王国学園を退学になったとしても!
「ふ~ん。流石、私の旦那様のお姉ちゃんね! 私に対して、全く怯まず睨み返してくるなんて! 気に入ったわ! アンタ、私と冒険者パーティーを組まない!
私、アンタのお母さんが団長をやってた『熊の鉄槌』に憧れてるのよね!
アンタのお母さんが、氷の微笑エリスをパーティーに誘ったように、私もアンタを私のパーティーに誘うわ!」
なんか、カレン・イーグルが意味不明な事を言っている。
なんで、次男のジミーをボコボコにした女と、冒険者パーティーを組まなきゃならないのだ?
「言ってる意味が分かりません!」
「アンタ、エリザベス叔母様の娘で、ヨナン・グラスホッパーのお姉ちゃんよね?」
「ん? エリザベスは母ですけど、何で、ここでヨナンの名前が出てくるんですか?」
アンは、意味が分からず、カレンに質問する。
「ヨナンは、私の婚約者で、未来の旦那様だからに決まってるじゃない!」
「え? 何でそうなるんですか?」
「何でそうなるって、ヨナンはとても強くて、甲斐性があるからに決まってるじゃない!
私は、私より強い男と結婚するって決めてるの!」
アンは、完全に理解不能になる。
「ん?ん?ん?ん?
ヨナンは、強くなんてないですよね……直ぐに骨折する虚弱体質の弟ですよ?!」
本当に、カレンが言ってる意味が分からない。
アンが知ってるヨナンは、守ってあげなくちゃならない、優しい子なのだ。
「何言ってんのよ! ヨナンは伝説のレッドドラゴンを倒すほどの男よ!
しかも私なんか、その辺に落ちてる小枝で倒されたんだから!」
「いやいやいや。私の知ってるヨナンは、そんな子じゃないから!」
「なに言ってんのこの女?」
カレンが、なんかイラついてきてる。
というか、相当頭にきてるようである。
「ヨナンは、優しい子なんです! カレン先輩も、弟の名前まで使って私を陥れるような事しないで下さい!
そんな卑怯な嫌がらせしなくても、私は正々堂々戦う準備が出来てますから!」
もう、ここまできたら、アンはヤル気である。アンは曲がった事が大嫌いな女の子なのだ。
「はあ? 誰が卑怯だって、ヨナンのお姉ちゃんだというから優しくしてやってたのに、アンタ先輩に向かって生意気よ!」
「ふん! 卑怯だから卑怯だと言ってんのよ! 取り巻きを使って、私を陥れようとしてた癖に!」
「だから、何言ってんの!」
カレンは、本当に分かってないようだ。
「つべこべ言わず! 兎に角、剣を抜け!」
アンは、食堂からテラスに移動し、剣を抜く。もう、話が通じなければ、拳で決着をつけなければならないのだ。それが唯一の母の教え!
「アンタ、バカ?」
「五月蝿い! こっちは何週間も嫌がらせ受けてイライラしてんのよ!話して決着つかないなら、拳で決着をつけるだけだ!」
「チッ! 私より脳筋……まあ、エリザベス叔母様の娘なら、これが正解か……」
カレンも、諦めて剣を抜く。
そして、
カキーン!!
激しく、剣と剣がぶつかる。
「アンタ、この剣鬼カレン・イーグルの剣をよく受け止められたわね!」
「私は、子供の頃から、大戦の英雄エドソン・グラスホッパーと稽古してんの、その辺の有象無象に負けるかよ!」
「私の事を有象無象とか、舐めてるわね!」
カキン! カキン! カキン!
カララム王国学園の生徒では、目がついていけないハイレベルな戦いが繰り広げられる。
そこへ、
「おい! アン! お前、何やってんだ!」
暫く行方不明だったアンの兄。セントがたまたま通り掛かり、アンを羽交い締めにして止める。
「ちょっと、アンタの妹、どんだけ凶暴なのよ!」
カレンが、セントに文句を言う。
「すいませんね。うちの妹が……」
「セント兄! 止めないで! これはグラスホッパー騎士爵家のプライドを掛けた戦いなの!」
アンは、必死にセントから逃れて、カレンに攻撃を仕掛けようとする。
「グラスホッパー騎士爵家って、もうウチは、グラスホッパー男爵家だから。それに弟の婚約者に手を出す、お前の方が悪い?」
「ん?」
なんか、セント兄までおかしな事を言っている。
「だから、カレンさんは、ヨナンの婚約者で、イーグル辺境伯家は、うちの寄親になったんだから、寄子のグラスホッパー男爵家の娘が、寄親の娘に喧嘩を売るって、どう考えても不味いだろうが!」
「ん?ん?ん?ん?ん?」
アンは、本気に意味が分からない。
「だから、どうやったら理解する? ヨナンが13歳になって、女神ナルナーから物凄いスキルを授かって、今や、グラスホッパー領は、大金持ちで、ヨナンは、グラスホッパー商会を立ち上げ、レッドドラゴンを倒し、その功績で準男爵の爵位を、カララム王から貰ったんだよ!」
「何なの?それ? 私、家を出て、まだ半年足らずなのに、そんな事、起こる訳ないじゃない!」
アンは、セント兄に反論する。
「だから、それが起こっちゃってんだよ!
先月、仕送りたくさん家から送られてきただろ!
それが証拠だよ!
というか、もう、その時より、ヨナンのグラスホッパー商会はデカくなっていて、今や、カララム王国の東側を牛耳ってる大商会になってるんだからな!」
「意味が全く分からない!」
「俺も、全く意味が分からんが、この目で見たんだよ!
ヨナンがレッドドラゴンを倒す所とか! それから、グラスホッパー領で生産されたワインが、ワイン品評会で1位、2位、3位を独占して、しかもカララム王室に、グラスホッパー商会がワインシャトーを売ったのもこの目で見たぞ!」
「もっと分かんないよ!」
「兎に角、もう、俺達は、金の心配は全くしなくて良くなった事だけ分かってればいいんだ! 多分、来月は、今月以上に仕送り額が多くなってると思うから! それだけ覚えとけ! 分かったな!アン!」
「もう、本当にバイトしなくていいのね?」
「そう。今は、それだけ分かればいいんだ。ヨナンの凄さになれるには、時間が必要なんだ!この目でヨナンの凄さを目撃した俺でも、未だに信じられないんだからな!」
「取り敢えず、分かった」
てな感じで、アンは放心状態で、寮の自室に戻ったのだった。
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