その恋叶わなきゃ世界がヤバイ

こへへい

第1話

 この世は様々な因果が織り交ざって形成されている。


 風が吹けば桶屋が儲かるように、ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こすように、どんな因果でどんな現象が発生するのか分かったものではない。


 しかし、物語は違う。


 作者の意図する結末のために、因果を曲げることが許される。予めゴールが定められた世界で、それまでの道筋をどのように主人公が辿るのかを読者諸君に提供しているのだ。どころか提供先がいる分、ゴールさえも歪曲されることもある。人気投票で一番になったキャラクターがより起用されるのはその最たる例だろう。結局のところ作者も人間で、より読者に迎合するほうが読者に楽しんでもらえ、そしてより大きな利益が見込めるわけだ。


 人生を左右させることができる何者かがいて、彼らが因果を恣意的に捻じ曲げる。自らの利益、あるいはのために。


 この物語は、そういう物語。1つの願いを軸として、それまでの因果を、道筋を争奪する物語だ。


* * *


 聡憂不猿さとうふえては馬鹿である。

 勉強はできず、運動も並以下。通知表では2よりも大きい数字を探すことは困難で、学期末の度に周囲から笑いものにされてきた。毎学期の節目にいつも先生から呼び出されては、高校は行くとしてもこれだろう。と、最底辺の進学先しか示してくれなかった。今日はその進学先に説明会に向かっていた。


 ガタンゴトン。と電車が揺れる。学校説明会のシーズンなのか、不猿と同じ電車には色んな制服の学生が複数人で集まって、移動時間を小声でお喋りして過ごしている。しかし、不猿と一緒に来てくれる人はいはしない。落ちこぼれの不猿と共に同じ学校に来てくれる人などいない。と表現すると、まるで人望がないように解釈されてしまうが、そうではない。不猿は確かに馬鹿でアホでちゃらんぽらんで、記憶容量3キロバイトではあるのだが、周囲の人間はそんなアホを即毛嫌いはしない。自身よりも低い人間が側にいるだけで安心するし、道化がいると単純に飽きない。だから不猿は結構友達が多いのだが、同じ程度の学力がいないのだ。


 そんな交友関係を持っている不猿だから、今一人でいることに一抹の寂しさを覚えるのだった。人間成長すると、同じレベルで交友関係を築くもの。だから不猿について来られる者、否、引きずられる者は誰もいなかった。


 そんな状況になって初めて気づく。自分は今までだらけていたのだと。馬鹿という道化に甘んじてきたのだと。都合よく消費されるエンターテイメントでしかないのだと。だけど今から勉強したところで、万が一追いつけたとしても、都合良い道化として扱われるだけだ。だから、担任が申し訳程度に紹介してくれた、今の状態でも入ることができる高校に入学しようと、電車に揺られているのである。

 

 私立午志賀うましか高校。偏差値30という極めて不名誉な記録を叩き出しているその高校が掲げている校訓は「とりあえず高校卒業したい方、この指とまれ!」である。内容もさることながら、言葉の表現が遊ぶ友達を集める小学生的なそれになっているところから推察するに、もう高校そのものが自己向上に対して匙を投げてしまっている。そんな高校を薦めている時点で、その担任も匙を投げていると考えてもいいだろう。主人公の足下には、じゃらじゃらと数多のスプーンが転がっていた。


 電車に乗るというのもあまり体験したことがないので、乗り過ごすことがないように、姉が書いてくれたメモを吟味して降りる電車に狙いを定める。次の駅のアナウンスを、まるで英語のリスニングの内容を聞き漏らさんとばかりに耳をすまして。するとアナウンスが流れ、次第に揺れる電車がその身を止めた。目的の駅はもう2つ先だった。読み仮名を振ってもらわなければ、何て駅名なのか分からなかったところだ。


 不猿がだらりと壁にもたれかかっていると、車窓から降りる人々が見えた。彼らは同じ中学の人と共に、同じ高校を謳歌するのだろう。楽しいだろうな。幼馴染との生活は、ワクワクするんだろうな。窓にうっすらと映し出される無個性な不猿自身の顔は、向こうの輝きで埋もれてしまいそうなくらい、どんよりと曇っていた。

 

 ぼーっと考える不猿だったが、そこで、一人の孤高なる女性に目が留まった。反射する自分の姿はおろか、他の景色全てを飲み込むほどのその存在は、不猿の網膜に焼き付いて剥がすことができなかった。


 腰まで伸ばされたストレートな髪はつやつやとしており、癖が一切なく彼女の背筋同様真っすぐだった。横顔の目は目的をしっかりと見据えた覚悟ある眼差しをしており、白い肌は汚れ1つない。紺色のブレザーは彼女の凛々しい白さを際立たせている。中学生がグループを作って徒党を組んでワイワイガヤガヤと歩みを進めている中、彼女の立ち居振る舞いは、まるで彼女だけ、レッドカーペットを歩んでいるかのようだった。そんな彼女は今から、同じ電車に乗ろうとしていた。


 完璧。彼女を形容するならば、この二字熟語が相応しい。不猿は目がくらみそうになり、つい目を逸らしてしまった。

 

「そんじゃ、お前持てよ」


 と、電車の中から聞こえた。声の方を見やると、同い年くらいの男子中学生2人が、見るからになよなよとした同じ制服の一人に鞄を持たせている様子だった。これから電車から降りるのだろう。ボストン鞄は1つの腕に2、3あり、1つあたりかなり重そうだ、と不猿は感じた。


 「はい、これもな」と、更に鞄が追加される。肩に結構な負担を強いられそうな重さで、不猿は見ていられなくなった。というと、まるで弱い人を見過ごすことができないヒーローのようだが、先ほどの見目麗しい女子中学生へ送った視線と同様に、視線を逸らしたまでである。人は得てして厄介事に巻き込まれたくないもので、不猿も例外ではなかった。


 しかし、不猿はその視線を再び戻すことになる。どころか、そのまま電車に乗っておけばいいのにも関わらず、つい降りてしまったのだ。ある人が鞄をいっぱいに抱える男子中学生に声をかけたからだ。


「馬鹿みたい」


 声をかけた、とは言えないほどか細いボリュームだった。しかし小さくとも男子中学生の耳に入るほどの声だったようで、声の主は、先ほどの完璧な女子中学生は男子中学生達の目の敵にされていた。


「は? 誰が馬鹿だって?」


「え、あ、ごめんなさい、決して貴方達に言ったんじゃないの。そこの荷物を多く抱えた人を見て、つい心の声が漏れちゃったの」


 そう言うと、真顔で淡々と荷物持ちの男子中学生を指さした。


「ははは! そうだよな!」

 

「こいつ馬鹿だからな! 良く言われるんだよ!」


 と、荷物を持たせていた2人の男子中学生は、彼女に同調するように高らかに笑った。それに続いて、完璧な女子中学生は止めの三の句を告げる。

 

「だって、そんなに肩に負担をかけたら靭帯を傷めてしまうわ、そんな荷物捨てちゃえばいいのに」


 「捨てちゃえばいいのに」少し過激なニュアンスの言葉だったが、そのニュアンスをくみ取るくらいの読解力は備えているのか、荷物を持たせている男子中学生2人は睨んだ。


「こいつは好きで俺らの荷物持ってくれてんの、余計なこと言わないでもらえます?」


「好きで? そう、なら本当に馬鹿みたいね」


 先ほどの「馬鹿みたい」は「馬鹿の様に見える」だったのに対し、今回の「馬鹿みたい」は「見立て通り、こいつは馬鹿だったらしい」という断定的な意味合いが込められていた。言葉遣いこそ丁寧だが、声音から発せられる冷気は、電車を待つホームのクーラーよりも背筋を震わせるものだった。その冷気を帯びた声音と視線が、荷物を持った中学生に突き刺さる。


「こんな人達と時間を費やすなんて、無駄でしかないのに。もっと自分のために時間は使うべきよ。自分が可哀そうだって思わないの? 自分に申し訳ないって思わないの? 私は思う。自分が一番でないのなら、そんなの自分の人生じゃないわ。この二人のための人生よ」


 中学生間ではおよそ語られないであろう人生観の会話が繰り広げられ、電車を待つほとんどの中学生がポカンとする。何を言っているんだ? と。しかしこの中で一人だけ、流れ弾を受けた中学生がいた。言うまでもなく、不猿だ。


 「自分が可哀そうだと思わない?」不猿が抱いていた気持ちはきっと自己憐憫だったのだと、彼女を見て気づかされた。道化を演じ、笑いをとり、気づけば一人になっていた自分。その人生に、どうしようもなく申し訳なく思ったのだ。


「分かったよ、持てばいいんだろ持てば。行くぞ」


 面倒な人に捕まってしまったと思ったのか、2人の男子中学生は鞄を乱暴に奪い取り、なよなよした男子中学生を置いてそそくさとホームを後にしたのだった。

 

 そして気づけば、次の電車がやってきていた。

 何事もなかったようにそれに乗って。

 次の駅に辿り着き。

 そして、その完璧な女子中学生は降りた。


 そして、不猿も降りた。目的の駅はその次だというのに。

 

 さらにあろうことか、あの完璧な背中を追いかけていた。完全にストーカーと言われても仕方がない行動ではあるのだが、彼の3キロバイトの記憶媒体にストーカーの文字はない。だから無我夢中で追いかけた。

 その背中を追いかけて。追いかけて。追いかけて。ここからどうやって帰ればいいのかも考えもせずに、追いかけた。これはきっと運命だ。跳ね上がる心臓を鷲掴みにし、膨らむ期待と共に追いかけた。


 (彼女についていけば、自分を変えられるかもしれない。それにかわいいし。しかも可愛い。そんなの、ついていくしかない!)


 そんな、不猿の人生で初めての一目ぼれの感情を抱いて辿り着いたのは、二度と門戸を潜らないであろう高校だった。私立午志賀高校が最低辺ならば、その対極の高校だった。

 国立災天さいてん高校。国内でもトップクラスの進学実績を誇り、入試難易度も非常に高いことで知られ、国内の模試でも完全正解することはほぼ不可能と言われている。合格ラインに到達する生徒数が定員を上回ることは数十年に一度で、去年の合格者は約10000人に対して60人という異様な合格率だ。その狭き門は、もはや偏差値という数字で測るまでもない、天上の高校である。

 だがそんな難易度であるにも関わらず、10000もの受験者がいるのには訳がある。熱心で経験豊富な教師陣によるきめ細やかな指導、最新の設備や機器による最高の学習環境、極めつけは学費が交通費含めて全額無料、という魅力があるからだ。最高の環境で最高の学びをノーリスクで心置きなく享受できるこの学校は、まさに勝ち組の園である。

 そんな勝ち組の園に恐れ多くも踏み入ろうとしている不猿。その景色に開いた口が塞がらなかった。


「おおぉ……」


 目の前に広がるその風景は、壮大な石造りの門が建ち、その上には立派な校名が掲げられていた。門をくぐると、周囲には広大な校庭が広がり、色鮮やかな花々や青々とした木々が美しく咲き誇っている。高い建物が立ち並び、その中には様々な部活動のための施設が充実しており、教室や図書室、実験室など、充実した設備は何人かの学生が出入りしていた。


「あ、まず」


 世界観の全く違う風景に呆気に取られて、うっかりと尾行している少女を見失いかけた不猿は、そそくさとその後をついていくのだった。

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