第39話

◆ヘンゼル side








「お兄様、起きて下さい」



「んぁ、治療が終わったの?」




 気持ちよく眠っていたヘンゼルは、膝を提供してくれていた妹の呼び声で目を覚ました。


 欠伸混じりに返答し目を掻こうとすると、目元に持ってきた手は半分ほど生えていなかった。どうやら終わっていないらしい。それを見た妹が小さく笑うのが羞恥心を煽る。




「ふふっ、治療は見ての通りですよ。それより緊急事態です」



「緊急事態?」




 妹の顔をよく見れば、いつになく真剣な表情をしており本当に緊急なのだと理解する。




「魔女が近くに来てます。どんどん近付いてるので、時間の猶予は僅かでしょう」



「そんな!?」




 魔女は僕達二人が万全の状態で挑んでやっと勝てる相手だと言うのに、こちらは重症なんだぞ。


 このままでは、やっとの思いで手に入れた理想郷を奪われてしまう。そうして魔女に敗れた後は考えたくもない。


 最初に捕まった時の想定通り喰われるか、腹いせに魔女の叡智を詰め込んだとびきりの拷問を受けるか、はたまた自身の想像など及びもつかない責め苦を受けるか。




「クソッ、せめて腕の治療が終わった後なら───」



「えいっ」



「え、治った? なんで?」



「この緊急事態に遊んでないで下さい。早く出迎えの準備をしますよ。ていっ……(ガッシャーン)」




 準備と言いながらテキパキと魔女の私物を破壊し始めた妹に戦慄するヘンゼル。


 なんの準備だよ、と問いたいが憎き魔女への嫌がらせと考えれば納得できる。そして、いま重要なのはそこではない。




「……あの、グレーテルさん? 何で急に治せるようになったのですか?」




 妹相手に敬語を使う程度には驚いているヘンゼルはグレーテルに質問する。


 特にそんな事をする理由は思い付かないが、それらしいモノを答えてくれると信じて。


 心優しい妹様は、はぁと溜め息を吐くと答えてくれた。




「決まってるでしょう? 今まで手を抜いていただけです。つまらない事で時間を使わせないで下さい」



「開き直れば誤魔化せると思うなよ!?」



「もうっ、全部お兄様が悪いんですから責任転嫁しないで下さい。男の癖に情けないですよっ(バリーン)」



「人に擦り付けるな! ていうか、さっきから煩いんだよ。どんだけ壊したいのさ! まったく、グレーテルの方こそお淑やかに……」



「ナ・ニ・カ言いました?」



「な、何でもないです」




 生えたばかりの腕にナイフが刺さったので大人しく黙る。


 どうやら妹は自分なんかより、よっぽど男らしいようだ。




「さっ、冗談はこれくらいにして本当に準備しますよ。まずは出迎えの挨拶をハモらせるところからです」



「……もう、好きにして」




 『お出迎えの挨拶~工房編~』なる台本を渡され、妹の本気度を知ったヘンゼルは全てを諦め従うことにした。


 そうして、一通りのセリフにOKを貰う頃には再び腕を治療してもらい、ヘンゼルも悪くないなと思えるほど楽しんでいた。








綺堂 薊きどう あざみ side








 腹立たしいグレーテルの誘いを断った後、マッピングや左手の法則を駆使して、順調に攻略を進めていた。


 まぁ、下手に壁を触ったので串刺しになったりもしたが些事であろう。


 それに順調なのは攻略だけではない。吸血鬼化もだった。




「やっと、成れた」




 ステータスで確認したから間違いはない。種族が人間から『吸血鬼:下級』へと変化した。


 理性ある吸血鬼としてはランクが一番低いものの、前種族である人間や『吸血鬼:低級』よりも優秀なのは間違いない。




「吸血鬼はすごいな。種族が変わっただけでステータスがかなり上がってる」




 吸血鬼は紙装甲、高火力の種族である。


 また、紙装甲と言っても同レベルの人間よりはるかに厚く、そもそも吸血鬼は『HP自然回復』を持っている場合がほとんどの為、弱点にならない。


 タンク型故に、涙が出るほど低かった火力が改善されたのは大きいだろう。




「魔法スキルが生えたのはいいが、魔力の使い方がな……」




 吸血鬼は物理火力も魔法火力も高い種族で、基本的に産まれながらにして魔法スキルを覚えている。『上級』以上でもない限り希少な属性は覚えてないが、あるだけ儲けものだ。


 しかし、『病みラビ』には魔法を使うには魔力を扱う感覚を覚えてないと使えないという設定があった。


 当てにならないゲーム知識の事だから、もしかしたら使えるかもと思い、試しにやってみたが発動する気配すらなかった。


 まぁ仮に使えたところで詠唱を覚えてないので大した魔法は使えなかっただろうが。




「まぁでも、これで準備は整った。状態異常攻撃メインの魔女なら回復力で押し切れる」




 欲を言えば『中級』になってからがよかったが、ゲームで『下級』から『中級』に成るのは格上の上質な血を飲み続けた個体だけだった。


 これ以上、雑魚敵で階級を上げるのは無理があるだろう。いざとなれば【禍福逆転かふくぎゃくてん】で道連れにしてでも殺すので問題ない筈だ。


 そうして進んでいると、たまたま目に入った窓から月が覗いていた。ただの月ではない、このダンジョン特有の紅い月だ。




「今までは気持ち悪いだけだったのに、綺麗だなぁ」




 これも吸血鬼になった変化なのだろうか。


 ステータスを見たときには何も感じなかったが、自身の心の変化を自覚して僅かな悲しさを覚えた。


 しかし、それでも殺る事は変わらない。


 来紅・・に縋るように握り締め、先を急いだ。

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