剣聖少女、魔女の初恋を奪って猫になる。
最宮みはや
災い転じず、猫になる
第1話 剣聖、セクハラには負けない。
貼り付いた笑顔に、かつて宿った瞳の輝きはもう残っていなかった。
招かれた応接室は貴族の屋敷らしく煌びやかなものだけれど、平民として生まれて長いこと武者修行の旅に出ていた経験もある私には居心地が悪い。
窓が閉まっているせいか、目の前で尊大に座る男の息が荒いせいか、どこか息苦しかった。
「騎士に、してもらえるんでしょうか……っ! もし、騎士として雇っていただけるのであれば、コンプレロス伯爵領のため誠心誠意仕えさせていただきますっ!!」
私の言葉を聞くと、豊満で指の先まで毛の生えた男――この屋敷の主であり、領主のコンプレロス伯爵は満足そうに頷く。
「なるほど、なるほど。ヘーベリンデ・ミミクロウ……だったかな。ヘーベリンデ、いい名前じゃないか」
「あっ、ありがとうございます……っ」
唐突にファーストネームを呼ばれたことは、多少違和感があった。
礼節を重んじるはずの貴族が、たとえ平民相手とは言え初対面の女性に対して正しいものなのだろうか。
けれど、何かしらで私を気に入り、親しげに接してくれているのであれば喜ぶべきことである。
夢のためなら、胸にわいた不快感なんて抑えるべきだ。
「聞いたよ。騎士になりたいんだって?」
「はいっ! そのっ、奉公騎士としての実歴はありませんが、腕には自信があります。私は女ですが、鎧も槍も扱えます。馬にも慣れています。特に剣は――」
「よいよい、噂は耳に入っている。最年少で剣聖と呼ばれているそうだな。それも女の身で。すごいことじゃないか」
「光栄です。身に余る過分な評価ですが、この腕をコンプレロス伯爵のために振るわせていただきたく……」
騎士として、必要な実力はすべて持っているつもりだ。けれど、貴族として生まれた人間以外が騎士になることは簡単ではない。領主である貴族に仕えて、掲げる紋章を持たねば騎士を名乗ることは許されなかった。
――私の夢は、女王陛下に仕える王国騎士団の一員となることだ。
そのためには、騎士としての実務経験がいる。貴族の生まれでない私は、なんとしてもどこかの貴族に雇われてなくてはいけない。領主であれば誰でもいい。騎士として数年仕えれば、正式に王国騎士団への推薦をもらえるのだから。
「ヘーベリンデ、よく鍛えているようだな。腰のラインがいいじゃないか」
「こ、腰……ですか? その、やはり騎乗で戦う練習もありますので……」
「ぐっふふっ。いいのういいのう。騎乗か、さぞ上手く乗りこなすのだろうなぁ」
「……は、はぁ、そうですね」
ニタニタと笑みを浮かべる伯爵に、えも言われぬ忌避感が強まる。正直、あまり得意なタイプではない。
けれど他の貴族のほとんどから、私は女性であるというだけの理由で門前払いされてきた。
女に守られる領地など考えられるか、当家の紋章を女に預けるなど恥になる。何度となく、そう言い捨てられた。
だからこんな男であっても、私をわざわざ騎士に雇ってもいいと手紙をくれた一縷の望みであったのだけれど――。
「どれ。っしょっと」
伯爵が見るからに重い体を持ち上げ、椅子から立ち上がる。
そのまま伯爵は、私の近くへ寄ってくると何故か隣に座った。意図のわからない行動に、私は自然と眉をひそめる。
「どれほどのものか、触って確かめさせてもらおうか。ほっほうっ、これは細いが抱き心地もありそうな腰だ。手先は剣を握ってばかりで女らしくもないが、なんだやはり体は申し分ないな」
「なっ! 伯爵!? 急に何をっ」
「なによりその顔だっ! 美しさの中に強い意思がある。女の分際ながらも生意気に、自分は騎士だの剣士だのと本当に思っているのだろうっ!! くくくっ、男と対等だとでも勘違いしているのか。わたしはお前のようなじゃじゃ馬をモノにするのが一番たぎるのだよっ!!」
「ま、待ってください。伯爵、私は騎士にしてもらえると聞いてここに……っ」
私は逃げるように腰を浮かせ、伯爵から離れた。しかし男はまるでそれを楽しむように笑う。
「ああ、間違いない。ヘーベリンデ、お前がわたしの愛人となるのなら、コンプレロス家の紋章をお前に預けてやってもよいぞ」
「あ、愛人―――っ!?!?!?」
私の倍ほどの年齢で、私と変わらない歳の子供がいるはずの男が、そんなバカげたことを言う。
もちろん私は――。
◆◇◆◇◆◇
「んなぁあああっ!!!!」
「ど、どうしたんですかリンデさん!?」
奇声と共に屋敷を飛び出すと、外で待っていた従者のトルシアが目を丸くした。
「……伯爵が私に、愛人になれと。そうすれば騎士として雇うと言ってきた」
「あ、愛人って!! リンデさんまかさそれで……愛人にっ!?」
「なるわけないでしょっ!! ……そんなことで騎士になるのは……なんとしても騎士になると誓ったとは言え、私にだって
「よ、よかったです」
言い捨てる私に、私の荒れように驚いていた馬をなだめながらトルシアはほっと息をついた。
形だけでも騎士らしくしようと、従者としてトルシアをつれている。けれど彼女は、私に取って従者と言うより妹のようなものだ。
見た目通り、いくつか年下の可愛らしい少女である。
馬の世話や、鎧の手入れなどもそつなくこなしてくれていて、非常に助かっていた。幸い、剣士としては仕事に困らなくなった私は、彼女への給金にも事欠かない。
だができれば、やはり従者である彼女のためにも私は早く正式な騎士となりたかった。世間的には、二人の平民、小娘でしかないのはもどかしいばかりだ。
「それで伯爵は? リンデさん、まさか切り捨ててきたわけじゃ……」
「穏便に断ってきたよ。貴族相手だからね。……それに、剣も預けたままだったでしょ」
そもそも貴族相手に帯刀などできるわけがない。私はトルシアに剣を預けていた。
「そ、そうですか。よかった。……ショックだと思いますが、気を取り直してください」
「うん、ありがとう。……シア、王都に戻ろう」
彼女が私をリンデと愛称で呼ぶように、私も彼女をシアと愛称で呼んでいる。子供の頃からの付き合いだ。もし本当に従者であれば、『リンデさん』などと呼ばせるわけにもいかないのだろうけれど。
馬へ乗る気にもなれず、私はトルシアと一緒に歩いた。
「リンデさん、大丈夫ですか?」
「え? 別になにもないけれど、どうかしたの?」
「あっ、いえ、落ち込んでいるんじゃないかと……」
「……落ち込んではいるけど、何があっても騎士をあきらめるつもりはないから」
ため息をつく私に、トルシアは心配そうな顔をした。
「うん、そろそろ最後の手段に出るしかないのかもしれないね」
「最後の手段?」
実は、ずっと前から考えていたことだ。王都で彼女の――『
「女の身でも、鍛えれば、誰よりも強くあれば騎士になれると思っていた。でもそれが難しいなら、仕方ない。――私、男になるよっ!」
「り、りりりっリンデさんっ!? な、なに言っているんですか!?」
「ほら、王都の外れの森にいるって噂の魔女。彼女に頼めば、好きな姿に生まれ変われるって」
「いえ、そんなのただの噂で……っ!! じゃなくて、男になるなんて、そんなっ!!」
まだどこか幼いトルシアは、まだ少し落ち着きがなく表情もわかりやすい。そんな彼女にしても、青く短い髪を乱して、見るからに血相を変えていた。
「お願いです、リンデさん! 早まらないでください。あたしは……その……今のままのリンデさんが好きです!」
「あははっ、ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいけど……」
「わかってません!! リンデさんは、ご自身のその可愛さと美しさをっ!! それをまさかっ、まさか男になるなんてっ!!」
「私の夢は、女王に仕える王国騎士団へ入ることだからね。夢のためなら、捨てられるものは捨てる。……愛人には、なれないけど」
女だから騎士になれない、と言い訳するようで思うところもある。
けれど今日みたいなことがあると、やはり女であることで騎士への道がひどく遠く狭いように感じてしまう。あまり長い旅路にするわけにもいかない。
女王陛下が、私を待ってくださっているのだ。
――「リンデ、すごいわ。あなた、本当に剣聖となったのですね! きっと騎士に、王国騎士団となる日もすぐですわ!」
陛下が、剣聖となった私に笑いかけてくれたのは、さほど昔のことでもない。けれど、あれからずいぶんと陛下の――彼女の顔を見ていないように感じる。
まだ若くして一国を背負う彼女の力に、少しでも早くなりたい。
そのためになら、多少、性別を魔法で変えるくらい――。
トルシアはまだなにか騒いでいたが、私の気持ちは徐々に弱い方向へと流れていっていた。
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