第25話 再びの東京散策4
小桜は恵茉に、自分の思いつきをさらに話す。
「俺自身、まだいろいろ細かく考えられているわけじゃない。でも、血生臭く始まった事件でも、ここだけに限るなら無血開城に落ち着いたんだ。で、それって、最初から無血開城を狙われたからこそ、城は落ちたのかもしれないって思ったんだ。
そういう結果を得るためにはたくさんの情報を集めなきゃならないし、その高度な分析も必要になる。歴史も調べなきゃだろう。だけどさ、夢想論に堕ちずに結果を無血開城に導くのは可能なんだと思う」
「朧げでしかないけど、小桜さんの言いたいことはわかるよ。でも、それ、とても難しいことじゃないかな?」
恵茉の顔はまだ、なにかを含んでいるように見えた。
「なにを言っているんだ。戦うための駒は全部揃っているじゃないか。
なんといっても、俺たちは政木高と敷間高、政木女子高と敷間女子高なんだぞ。こういう手があるという話だけでも示せれば、あとは自動的に動いていく」
「そういう面があるのは否定しない。でもその結果、暴走したら?」
恵茉の顔が深刻なものになった。
「理想が高いと、その理想のためという口実で本末転倒なことが起きるよね。環境保護のために道を塞いだり、名画にペンキを掛けたり」
「俺は……、そういうの、嫌だな。
共学化には反対するし、たぶんなにか動きもするだろう。でも、どうな意味でも破壊は否定するし、人に迷惑も掛けたくない。それがダメなら手を引く」
「そういうの、1度中に入っちゃったら許されないパターン多いよね。
ある意味において、恵茉の心配は当然のものだった。
すでに世間一般からは忘却の彼方に去ろうとしているが、そのような事件がかつて極めて近いところであったのだ。先鋭化した学生活動家が穏健派の多くの仲間を山の中の基地で殺し、隣県に逃げて閉じ籠もった。警察は巨大な鉄球でその閉じ籠もった建物を破壊し、何人もの犠牲者を出しながら逮捕した。古い話とはいえ、事件の記憶が風化しきれていないのは、地元だからこそだ。
※
ちなみにその大量殺人があった山は、政木高の政木女子高の校区だ。
なので、小桜の祖父母から上の世代は、自らの子、孫が大学受験を考える歳になると、涙ながらに繰り返すのだ。「大学に行っても、そういう活動に加わらないでおくれ」と。思想どうこうに踏み込む話ではない。地元民にとっては、子や孫を殺されかねないという、単純にトラウマを残した事件だったのだ……。
「なにを言ってるんだよ?
新聞部ってのは心配性だなぁ。
たかだか共学化反対運動だよ。途中で抜けたって、学校でハブられることはあるかもしれないけど、それだけだよ。てかさ、そもそも政木高では犯罪でもしない限り、なにを言おうがどう動こうかそれでハブられることなんかないよ」
「……そうだったね。
じゃあ、小桜さんは、絶対にヤバいことにはならないよね?」
その口調に、ようやく小桜は恵茉がなにを言いたいのか気がついた。
「……もしかして坂井さん、俺を心配してくれているの?」
「小桜さんの走るスピードが速くて、私には追いつけない。だから後ろから心配している」
「どっちの意味?
先鋭化という意味ならば、俺はそうはならないよ。いろいろ知って興奮しているけど、あくまでそれだけのことだよ。絶対、馬車馬みたいに突っ走ったりはしないから安心して。
それから、こういう歴史的なものを見て学ぶという意味ならば、坂井さんは今日、俺と同じ経験をしたじゃん。あっという間に俺を追い抜くよ。そこで追いつけないなんて、悪い冗談だよ」
「それだけ小桜さん、この数ヶ月で変わったのよ。だから心配していたけど、でも、そう言うなら安心した」
恵茉はそう言って、ようやく笑みを浮かべた。
だが小桜は、自分が恵茉に心配されていたということが未だに消化しきれていない。
女子から心配される嬉しさ。
女子から心配される情けなさ。
自分はそれほどに変わったのか。
自分はこれからどう行動するのか。
そこまで自分は危うく見えているのか。
そして、恵茉の心配は友情に起因するのか。
それとも、そこに少しでも恋愛感情があるのか。
そんなことがばらばらに頭の中でぐるぐる回ってしまい、数分で納得できる答えなど、とても出せない。
内心の困惑に黙り込んでしまった小桜に、恵茉は長い髪を翻した。
「さ、行こ!」
恵茉は、振り向きざまにそう言って、小桜の逡巡を置き去りにして小走りで桜田門に向かう。
小桜は、そのあとを追いかけた。
「次来るときは、この城を一周してもいいけど、まあ、春か秋で」
正面に桜田門とその奥の枡形が見えている。堀を渡る通路の半分ほどで立ち止まった恵茉に、小桜は追いついてそう言う。
小桜の提案に恵茉は頷いた。さすがに、そろそろ暑くなってきているのだ。地面の舗装の照り返しもきつくなりつつある。小走りといえど、ボディブローのように体力を奪われる。なぜ恵茉が走り出したのか小桜にはわからないが、彼女の体力を考えるなら昼時前には日陰に入った方がいいだろう。
「うわっ、門の開け閉めで孤を描いて石畳が削られているね」
門をくぐるなりの恵茉は声を上げた。
「それだけの回数、それだけの歴史ってことなんだろうなぁ」
小桜はそう答えた。
門を入った枡形を見回して、再び2人は無言になった。
ツートンカラーの石組みを眺めていると、ここを通ったであろう幕府の要人たちに考えが及ぶ。歴代の将軍だって通っただろう。その後も明治、大正、昭和と激動の時代をこの門は生き延びてきた。どれほどの歴史上の人物がここを通ったか、そう考えるとここを通ること自体が怖くなってくる。自分などが、同じところを通っても良いのかと思ってしまったのだ。
※
中学の時の同級生の変化に戸惑い、上の世代の親族からの繰り返された警句に結びつけてしまった恵茉ちゃん。
彼女は部活を通して得ている情報が多く、全体を俯瞰して見えている中で、最年少の小桜がスケープゴートにされることを心配したのだ。
小桜にはそれが見えていない。そして、恵茉ちゃんも、この心配が単なる中学の同級生に対するものなのか、すでにわからなくなっているのだ。
次話、「再びの東京散策5」。東京で小桜を問い詰めようと決めてきた恵茉ちゃんが、ようやく心配から解放されて仙厓を純粋に楽しめるはずなのだ。
あとがき
今回が一番重い回かもしれませんね。
あとは軽くなっていきます……
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