第10話 待ち合わせ


 その後、小桜は生徒会長から聞いた話と自重の要請を自分のクラスと河西莉子へ伝え、そのまま平穏な日常を過ごすことになった。

 校門の前にハンディ・スピーカーを持って勧誘にきたキリス◯教系新興宗教の教団員を、聖書にある言葉からの引用のみという縛りで泣くまで追い詰めて撃退したり、政治活動をしている特定の団体の街宣車に議論をふっかけて一方通行の道路に逃げ込んだり、そんな日々の小事件は別としてゴールデン・ウイークはやってきた。


 そして、そのゴールデン・ウイークの中でもついに、ついに、坂井恵茉との待ち合わせの日がやってきた。

 中学生時代には毎日話してきた相手だが、特に恋愛対象としての話をしたことはない。恵茉の方も、小桜を頼り甲斐のある異性とは見てはいないだろう。

 だから、恋に焦がれるといった感情ではないとは思うのだが、それでも心が浮き立つ。


 小桜には、この感情の正体がなんなのか、自分でもわからない。

 本当にわからないのだ。

 それでも、一つだけわかるのは、恵茉と話すことは楽しいという事実だ。そして、なんでも本音で話せる相手を失うのは嫌だ、誰にも渡したくないという感情。


 これを愛だの恋だの呼ぶのは違うと、小桜は思う。少なくとも、キスしたいとかの肉体的接触を求める気はない。恵茉は美少女のうちに入るとは思っていても、それとこれは話が別なのだ。

 でも、「じゃあ何なのだ?」と聞かれたら、答えようがない。でも、今回会えば、そのあたりの自分の感情の正体を突き止めることもできるかもしれない。



 恵茉と会う約束をしているのは、家の近くの大きな公園である。

 交流会のときのカフェのあるところだ。

 高校生になって思うのは、中学校の登校範囲の狭さだ。小学校校区はさらに狭く、恵茉とは小学校は別だった。そう思えば、高校でいかに世界が広がったかと思う。


 とはいえ、はぐれずに会うという目的ならば、近くの公園という選択は決して間違いではない。それから同道すれば、駅だって近いからショートトリップだってアリだ。

 とはいえ、案外街中には選択肢がない。


 カフェや喫茶店は各高校で縄張りがあるし、デートなどしていたらあっという間に面が割れる。しかも、図書館だけでなく、公民館や市役所のホールや音楽ホールのロビーにいたるまで誰かしらがいて勉強していたりする。これから暑くなるから、冷房の効いて静かな空間は我先と探し回られ、確保されていくのだ。

 公認の彼女とはとても言えない恵茉に、不当な噂が立って迷惑がかかることを小桜は恐れた。


 だが、そんな行き当たりばったりの計画でも、また恵茉の考えを聞いてから方針を決めるのであっても、問題はない。恵茉は、小桜のことを「引っ張って行ってくれない頼りない男」、というようなことは考えない。むしろ、小桜のプランがすべてできていて、それに従えと言われる方を嫌がる。

 小桜は、恵茉のそのあたりの考え方をよく理解している。


 そこまで考えて、小桜は思い出した。

 中学時代、恵茉に告白したという男子がたった1週間で振られ、恵茉とよく話す小桜に愚痴を言いに来たことを、だ。

「最低の女だぞ、あれは」

 そう言った口調を、小桜は忘れてはいない。

 だが、どこがどう最低だったのかと聞き返した小桜に、返ってきた答えはなかった。「最低だ」と、そう重ねて吐き捨てて、その男子は小桜に背を向けたのだ。


 小桜からすれば、周囲から女子の影が絶えたことのないその男子の方が羨ましかったのだが、その男子からすれば逆だったのかもしれない。恵茉は、小桜といるときはいつもよく笑っていた。だから、小桜に対して複雑な感情を抱き、わざわざそれを言いに来たのかもしれなかった。

 だが、小桜にしてみれば、恵茉の最低さというのがどこにあるのかさっぱりわからなかったし、それからいくら観察を続けてもわからなかったのだ。


 だが、男子高の高校生になった今ならわかる。


 デートコースを決め、それをこなそうとしている矢先に、「私はこっちの方がいい」と意思表示されたのかもしれない。

 いちいち自分が決めたことに意思表示されたら、面倒くさい、生意気だ、女の癖に、とかの種類の感情が中学生男子に芽生えても不思議ではない。

 もっとも、小桜にからしてみれば、昔から理解のできない類の感情ではある。


「私はこっちの方がいい」

 そう言われたら、小桜の選択肢は2つだ。

「こっちの方がいいから経験してみろよ」か、「本当にいいなら経験させろ」だ。そこに男だからとかのメンツはない。

 だって、そこで本当に良いものを知ることができた方が、お互い人生が豊かになるではないか。その発見こそが、他者と付き合う喜びではないか。

 そこには、元から性差など存在しようがない。


 だが、そう考える小桜は中学時代には決してモテなかったのだから、女子とは予想外に引っ張ってくれる男子が好きな存在なのかもしれなかった。もしくは、そう演技をするのが好きなのかもしれない。だが、そのあたりはもう、小桜には知る由もない領域である。

 突き詰めて考えてもいいが、もうひたすらに面倒くさいとしか思えない。


 そこまで考えた小桜は、そこで、すとんと腑に落ちた。

 恵茉は、男子高のクラス仲間と同じなのだ。

 異性なのに、心の根っこに異性、いや、異物を感じさせない。自分とは明らかに異なる存在とは思わなくて済む相手。


 小桜の考察はさらに進む。

 ひょっとしたら、この消せない異物感に諦めを覚えたとき、人は異性を肉欲を満たすだけの相手と貶めるのかもしれなかった。もっとも未だキスすら未体験の小桜にとって、こちらもそこから先は材料がなさすぎて考えが進まない領域ではある。

 だが、そういう異物を感じさせない恵茉は、やはり小桜にとって得難い友人なのかもしれなかった。



 ※

 身近からいなくなってしまった誰かを考えるとき、人は哲学者になるのだ。

 さあ、会う前と会ったあとが楽しいという、徒然草のような趣きを実感するのだ、小桜!

 現代語訳ならすでに読んでいるのだぞ、君は。



 小桜は公園に向かって自転車を駆る。

 頭ではいろいろ考えた。

 でも、心は単純に疾る。

 ひと月ぶりに見る恵茉が、そう変わっているはずはない。なのに、心は疾るのだ。


 約束の10分前、公園の自転車スペースに小桜は滑り込んだ。

 恵茉はすでに小桜を待っていた。

 予想の内である。恵茉は決して人を待たせない。いい女振って人を待たせるような不合理は、恵茉のうちにはないのだ。


 恵茉を見た瞬間に、小桜が覚えた違和感は髪の長さである。中学の時に校則ぎりぎりまで伸ばしていた髪は、さらにかなり長くなっている。これは耳より高い位置で束ねなくてはならなかった校則から開放されたために、そう見えているのだろう。

 髪をシンプルに首の下あたりで1回括っただけなのが、ブラウスと少し長めのスカートととても良く合っている。色合いは明るく、清楚と言うよりはやや活動的なイメージかもしれない。


「久しぶり」

 と、話しかける小桜の声は浮き立っていた。

 

 

 ※

 女性と会う喜び。

 これはもう、格別なものがあるのだ。学校周辺の各コンビニの女性店員のデータベースができているほどに、だ。

 男子高にいれば、視界に女性が入ることなど、遠景でしかないのだから。

 女性という存在につきまとう非現実感は、そのまま喜びも絶望も増幅するのだ。

 次話、「カフェにて」。小桜、頑張れ! 小桜、頑張れ! 小桜、頑張れ!

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