初恋の騎士と、親愛なる三度目の結婚を
遊井そわ香
プロローグ
第1話 アンリ姫の死
息苦しさと体の痛みで目が覚めた。けれどそのときには、声を出すことも体を自由に動かすこともできなかった。運ばれている、それだけはわかった。
恐怖に襲われながらも、わたしは必死に頭を働かせて状況を理解しようと努めた。
声が出せないのは、
体を自由に動かせないのは、後ろ手に縛られ、足首も拘束されているから。
まとわりつく草の臭い。
どうやらわたしは麻袋に入れられて、運ばれている。振動と速度から考えて、馬に乗せられている。
しばらくして馬から降ろされ、人の背中に担がれて運ばれた。
「…………よね?」
すぐ近くて人の声がした。それに答える野太い声もした。どうやら複数の人間がいるらしい。
(死ぬんだわ、わたし。まぁ、いいけど。つまらない人生だったわ……)
暴れることはしなかった。
わたしはフェオトニア国のアンリ姫として生まれ、宗教革命の末に両親は断頭台で命を散らせた。わたしはそのとき三歳で、王都の外れにある古びた塔に幽閉された。
それから十歳の今日まで。一人の侍女と一人の門番との三人で、ひっそりと暮らしていたというのに……。
(情勢が変わって、わたしを生かしておけなくなったのね。それなら、寝ている間に殺してくれたら良かったのに。死が、大衆の見せ物になるなんて嫌だわ)
しばらくして、地面に落とされた。痛くはなかった。丁寧に置いてくれたのだ。
麻袋の口を縛っていた紐が解け、朝のひんやりとした空気が入ってくる。新鮮な草の匂い。視界いっぱいに広がる緑。
どうやら、森の中にいるらしい。
わたしを麻袋から解放したのは、四角い顔をしたガタイのいい男。年齢は四十代前半ぐらい。彼は無言で、わたしの手足の拘束を解いた。
後ろから誰かが、口枷の紐を緩めた。驚いて振り返ると、口枷を取り払った少年と目が合う。
「リビファス……どうして……」
彼は気まずそうに顔を逸らした。
一ヶ月ほど前。侍女のイルーシェに会うために、塔を訪ねてきた少年がいた。それがリビファス。イルーシェはわたしに、親戚の子供だと紹介した。
イルーシェが淹れてくれたお茶を飲みながら、わたしとリビファスはたくさんの話をした。
といっても、塔の中しか知らないわたしに話せることはない。話すのはもっぱらリビファスで、わたしは身を乗りだして聞いていた。目が輝いていたと思う。
リビファスの話す外の世界は、わたしの好奇心を刺激した。王都で流行っている、ファッションやお菓子や観劇や小説。鳥のように空を飛びたい人たちが挑戦している飛行実験。各地で開かれている聖女祭。
「王都って、賑やかなところね。楽しそうだわ」
「姫様を連れて行ってあげたい。おすすめの料理屋があるんだ!」
わたしは口元に笑みを作った。幽閉されているこの古い塔から出ることはできないと、わかっていた。けれど、お気に入りの料理屋に連れて行ってあげたいと思ってくれたリビファスの優しさが、嬉しかった。
リビファスは十五歳で、物知りで、知的で、落ち着いていて、偉ぶったところが全然なかった。青い髪と青い瞳は美しい色合いをしていて、少年らしい顔の作りは凛々しかった。
リビファスと会ったのは、その一回きり。だけど、特別な存在になった。
わたしはまたリビファスに会いたいと願ったし、麻袋の中で死を覚悟したときも、生まれ変われるのならリビファスの近くがいいと思った。それなのに……。
「イルーシェが塔の鍵を開けて、あなたたちを招き入れたのね。そもそも、拘束されても目が覚めなかったなんて変だわ。睡眠薬を飲ませたのね? あなたとイルーシェは共謀して、わたしを殺すつもりなのでしょう?」
リビファスは口元を固く引き結び、瞼を伏せている。
わたしはリビファスに尋ねたのだけど、答えたのはガタイのいい男だった。
「アンリ姫。大変に申し訳ないのですが、死んでいただきます」
「リビファス、教えて。どうして塔を訪ねてきたの?」
リビファスはたっぷりとした沈黙ののち、うつむいたまま言った。
「塔の中をこの目で見たかったからです。あなたを、手際良く運ぶために……」
ああ、わたしは裏切られたのだ。信頼していた侍女イルーシェと、心を寄せていたリビファスに。
胸がキリリと痛む。
わたしは最初から期待などしていなかった。一生を塔の中で過ごし、寂しく悲しく死んでいくのだと諦めていた。
なのにリビファスは、外の世界の楽しさを教え、料理店に連れて行くなどと夢をみさせ、恋心というものをわたしに植えつけた。
人を信頼する気持ちも、夢も恋も、泡のように弾けた。
この日。アンリ姫は死んだ。幽閉されていた塔で亡骸が発見され、外傷がないことから病死ということで片付けられたらしい。
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