第八話   一人目

 しなやかに、けれど不規則に飛ぶ鞭を、業はサバイバルナイフと短く持った薙刀で弾く。近づこうにも先回りをしたように鞭が構えている。場所は学校の通路。一本右。逃げ場も、隠れる場も、躱すのも紛れることもできない状況。

 業はただただ捌き続ける。相手は数日間戦ってきた経験値アドバンテージがある。直前の頭を弾く挙動。学科で学んだ上、戦いの場にも慣れているだろう。けれど積み重ねたのは経験値アドバンテージだけではない。


「……はぁ、っ」


 疲労も。もちろん。

 学科の達成度によって、食事が提供された。実地については食事についての説明はなく、つまりは懸念事項ではないということ。業は活動せず、食事類は何も得られなかった。達成しなければ得られない可能性があるならばアナウンスするだろう。つまり、達成事項も報酬も、ないということ。

 得られた食事は学科次第。それも数日前。実地は動く上に神経もすり減らす。食事が残っていたとしても、果たしてそれは5日間も想定していただろうか。実地試験を聞いた瞬間は5日間を想定したかもしれない。けれど、学科で食事が与えられた時はどうか。どれほどの人間が、数日間の絶食の可能性を考えていただろうか。


「やぁね、ぇ♡」


 ≪絞殺≫が足を引く。業は足を進める。距離感は変わらないが、均衡だった力の差が開いてきた。鞭を握る手に力がこもる。反対に、業の顔はピクリとも動かず、冷静に捌き続ける。最小限の動きで的確に見極めているのに対し、腕を大きく振りながら遠くまで操作する。さらには、業は参加前からきっちりと鍛えていた。経験値アドバンテージの前の事前準備セットアップが大きく違っていたのだ。

 距離が一歩分縮まった。鞭のスピードが若干落ちたと判断し、瞬きを止める。業はサバイバルナイフを≪絞殺≫目掛けて投げた。


「っ!」


 躱した際、玉のような汗が飛び散る。警戒していたとしても、疲労によって鈍らされた判断力が、回避を遅らせたのだ。ギリギリで躱したということは、それだけ危機的状況だったということ。それは注意を削ぐには十分すぎる反応。手元が疎かになったところを、業は見逃さない。

 一気に走り出した業は距離を詰める。瞬発力ももちろん鍛えてきた。一瞬でも目を離した≪絞殺≫にとっては、目を戻した時には疑惑しかない光景だっただろう。手を伸ばし、もう一歩踏み出せば届いてしまう距離まで大男が迫っていた。威圧感。それは言葉にできないほどに大きく、また、この殺し合いと言う状況が恐怖を駆り立てた。


「ぃや!」


 反射的に鞭を振るった。近い分、回避はできなかった。業は反射的に腕で頭部を守り、鞭が巻き付く。それも一つの油断。反対の薙刀を持った手は、胴体も、ごと拘束されてしまった。


「ぁ……は、はは……♡ あぶなぁい♡」


 ≪絞殺≫は息を大きく吐いた。目の前の大男は両手が拘束された安心感。一見腕だけに巻き付いている鞭も、肘を曲げているため上腕も巻き込んでいた。≪絞殺≫にとって誤算の幸運。体を折りたたんで息を着いた。


「やっぱり男の人と争うのは、ね、ひやひやするぅ。縋るような目とは違って……また別のトキメキ……♡ 私を狙おうとする肉食獣の目……きゅんとしちゃった♡」


 息を整えながら、自分の足元をみながら、高鳴っていた鼓動を落ち着けた。胸に手を当て、早すぎる脈拍を感じる。この機会に参加しなければ得られなかった高揚感。見られているのは自分。魅入られているのも自分。注目を集め得られる幸福感。舌なめずりして、含み、噛みしめ、咀嚼し、味わい、堪能する。胸から降りる手は、腹部よりも下腹部にたどり着いた。


「ああ……着替えなきゃ♡ 替え……あった、かな? そうだ。貴方のお洋服、もらうわね♡ 貴方のこと、忘れないためにも」


 上半身は下げたまま、頭部を挙げる。潤んだ上目遣いが業を視界に入れた時、≪絞殺≫の視界で何かが動いた。


「その必要はない」

「ぇ――」


 刹那。≪絞殺≫の視界は地に落ちた。

 比喩ではない。ただその言葉の通り、エレベーターが落ちるように。業の顔を捕らえようとしていた≪絞殺≫の視界は、顔から上半身、下半身、そして足元まで落ちたのだ。

 ≪絞殺≫も理解できていない現象。理解しようとする前に走る、背部の痛み。


「あ、あぁぁぁああぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁぁぁぁあぁぁぁあああぁぁぁっぁ……」


 ≪絞殺≫には見えない。けれど、≪絞殺≫は見ている。≪絞殺≫は臀部を突き出した状態で床にへばり付いている現状を。≪絞殺≫は叫ぶ。叫ぶしかない。それしかできないのだ。痛みに悶え、苦しみ、叫ぶ。立てず、座れず、捩れず。声を張り上げる。動けないまま、視界に降りてきた、≪絞殺≫の鞭。


「な、ん……で……」

「切った」


 業の片手は自由だった。≪絞殺≫が拘束したと思っていたのは腕、だけではなく。逆手に持ったサバイバルナイフもだったのだ。業が動かさずとも鞭は締め付けている。自ら刃にすり寄る鞭はその身を傷つけ、そして千切れた。千切れても≪絞殺≫は気づかない。拘束したという油断が、状況確認を怠った。サバイバルナイフを持ったままの業は大きく一歩踏み出し、学科で学んだ背骨、そして大動脈という急所にめがけて、刃を振り下ろした。


「ゃ……あ……ぉ、ねが……い……」


 瞬時に悟る、自身の死期。躊躇いなく突き刺してくる相手だ。無防備な≪絞殺≫など、赤子の手を捻るよりも簡単だろう。それでも、藻掻いた。自分は逃げれずとも、縋り、見逃してくれと、どうにかして助けてほしいと、訴える。

 ≪絞殺≫の目には、業は映らない。下半身までしか眼球は動いてくれない。必死に声を紡ぐ。次に得られた情報は、自分から離れていく足音だった。


「……♡」


 業は離れていく、それだけがわかる。自然と、口角が上に向いた。見逃してくれた。そう思って、安心したのだ。息を吐いて、目を閉じて、力なく頭を下ろす。冷たい。鉄臭い。目を開けてみれば、液体が一面に広がっている。


「ぁ……」


 血だ。どれだけ出たのかわからない。見渡して、境界がわからないほどに広まっている。≪絞殺≫にはわかりもしないが、鳩尾まで刃が届いていた。伏せた体ではわからない。刺された場所に気を取られ、気づくことすらできずに困惑するばかり。

 血溜まりに身を浸し、誰にも見届けられず、看取られず。

 ≪絞殺≫は声もなく死亡した。


 ―― ようやく動き出した≪刺殺≫が≪絞殺≫を殺害! 85ポイントゲット……といきたいところだが、死因は失血死! 残念ながらポイントは獲得ならずー! ――

 ―― おおっと! ≪模倣犯≫はポイントゲットです! 合計170ポイントとなりましたぁ! ――

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