第一話   七日前

 ネオンが眩しいほどに深い夜。新宿・歌舞伎町。欲にまみれた街で、男女がそこかしこに体を寄せ合っている。この場の雰囲気というものは数十年、何も変わっていない。けれど、世の中では大きい変化があった。


 『死刑制度の撤廃』


 二千年代から問題視されていた死刑制度が、この数年でようやく決着がついたのだ。

 世論は反発した。けれど、撤廃されていない時から一部から反発はあった。どっちに転ぼうが、反発が上がることは必須だったのだ。撤廃されたことで、死刑囚は一定期間、とある島に流されることとなる。所在は公表されていない。情報規制は強く、自衛隊でさえも知っているかどうか。ごく一部の上層部、裏の人間は知っているとされているが、それすらも予測の域を出ない。知っている人間を明らかにするというのは、それだけで情報漏洩の危険が上がるからだ。

 そして、もう一つ。死刑制度撤廃と同時に、一部の人間だけが知るイベントがある。


 ―― それが、『復讐者専門学校』である。



     ✢



 二×××年、十月。

 見た目はそれほど・・・・程度のビル。けれど地下への階段を下りれば、ピンクと紫と白に輝く蛍光灯。入り口付近の黒服を着た男たち。一歩入れば、肌を大きく見せて、視線漂う男たちを捕らえんとする女たち。金を握りしめてただ話して酒を煽るだけのその場所。


 そこに、薄汚い服を着た大男が現れた。その場を目的としてきたスーツの男たちは訝し気に見る。けれど、声はかけない。その体躯の大きさと顔にある大小多数の傷、さらには只ならぬ怒気、怨嗟、雰囲気。いくら酒が入って気が大きくなっていようとも、口を閉じるしかないほどの重圧を感じたからだ。


「おお、なり、お疲れ」


 黒服の一人が片手を上げる。なりと呼ばれた大男は頭を下げた。周囲は微かに息を吐く。店員の知り合いということは、この店に用があったのだろうと。同時に、この店では争いはほとんど起きないだろうという安心感。さらには、我々も起こすことはないと肝に銘じることとなった。


 業は客を避けながら、店の奥へと入っていく。腕を伸ばせば天井にも届きそうな巨体と長い手足。強い存在感は、瞬く間に煌びやかな世界から去って行った。


 男は金属のプレートが書けられた扉をノックして開けた。ベロアの床、本棚、ガラスのテーブルと黒革のソファー。シックながらも高級感のある一室。壁の一面が全て窓となっている。そのすぐ近くに、室内なのに帽子をかぶり、また色付き眼鏡をかけた男がいた。


「来たかパピー・・・。なんだ、話って」


 大男に気付いた眼鏡の男は、入り口近くのソファーを指さす。パピーと呼ばれた大男は、ただ体をソファーに向けるだけで手を後ろに組む。眼鏡の男は自分だけソファー座り、慣れた手つきで煙草に火をつけた。


「今日で辞めます」

「ダメだ」


 煙よりも軽く出された、否定の言葉。聞いておきながら、業の要件がわかっていたのだろう。二人はレンズ越しに、一歩も引かない瞳孔を交わす。煙草の灰がじわじわと広がっていく。本体の半分ほど。落ちるか落ちないかの寸前で、灰皿へと手を伸ばした。


「抽選結果が来ました」


 体が止まり、その衝撃で灰が落ちる。寸のところ。灰皿の上だった。手を伸ばした体勢のまま、レンズを介さず睨み上げる。


「……おめぇよぉ。それが来たらすぐ言えって言っただろうが」

「つい一時間程前です」

「ならいいわ。そんですぐ辞めるとは。そんな急なスケジュールなのか?」

「具体的な日時は書いてありませんでした」

「明日かもしれない。来週や来月かもしれない。もしかしたら――今日かもしれないなぁ」


 まだ少しは楽しめたはずの煙草を押し潰し、新しい煙草に火をつける。灰になってしまったぶんも補充するように長く吸い込み、さらに長く、細く吐きだした。男の周りに煙が漂い、姿が霞む。煙は天井まで届き、霧散する。


 夜の世界では出会いは突然。別れも突然だ。流れつくのは何かしらの理由がある。けれどその理由について深入りしないのが暗黙で絶対のルール。この世界で長く生きるには、身の程を正しく知ることも必要だ。


 また、受け止める側の人間は『来るもの拒まず、去る者追わず』の場合が多い。言い換えれば『使えるものは使う。使えないものは口を塞ぐ』となる。下っ端ならばともかく、中堅以上は内部に入り込んだ分、機密を持っている。その機密を外に流させないためにも、『念』を押す必要がある。


 業は下っ端だった。こんななり・・で、他の下っ端からも上に見られているが、上がることを拒否した下っ端だ。下っ端だが在籍が長く、仕事は真面目、堅実、上司からの評判は良い。だから眼鏡をかけた男ボスにも顔が知られていた。これまで我儘一つ、口答え一つ言わなかった業の、初めての我儘。


 眼鏡をかけた男ボスは天井を見上げる。目を細めながら、揺蕩たゆたう煙を見つめる。目だけでは煙の存在がわからない程に薄くなったところで呟いた。


「オメーは一途だなぁ」


 反応はしなかった。意味が分からなかったわけではない。否定しようと思ったわけでもない。ましてや肯定したいわけでもない。けれど、大男としては『肯定したくはないが間違ってはいない』程度の感想だった。業には、辞める目的があった。


「それが、自分の生きている目的です」


 煙草から灰が落ちた。革に穴が開き、焦げた臭いが煙に混ざる。

 眼鏡をかけた男ボスはため息を吐きながら、仰け反った背中を丸める。灰の落ちた煙草をテーブルに投げ捨て、開いた手は頭を掻いた。


「水取れ」

「はい」


 部屋の隅にある小さな冷蔵庫から、ペットボトルを取り出した。大男はキャップを緩め、眼鏡をかけた男ボスの伏せた頭の近くに「どうぞ」と置く。

 眼鏡を介さずに覗く眼光が、ペットボトルではなく業を射す。けれど微動だにしない。舌打ちが聞こえた。苛立つ眼鏡をかけた男ボスは、頭にあった手でテーブルを殴る。そのままペットボトルをとり、未だ焦げ臭い灰めがけて水を落とした。


「このソファー、俺のお気に入りだったんだよなあ」

「はい」

「テメーのせいでキズモノになっちまった」

「すみません」

「辞める? いいぜ、辞めさせてやる」

「ありがとうございます」

「だが逃げられると思うなよ。どこに逃げようが見つけ出して、このソファーを弁償するまで働いてもらう」

「わかりました」

「俺が目の前に現れるまで怯えて生きろ」

「生きて帰ってきます」

「……さっさと行けよ、バーカ」


 空になったペットボトルを、大男に向かって投げつけた。深く頭を下げた大男は、ペットボトルを拾って部屋を出る。部屋の外に響く靴音が遠ざかって行った。

 眼鏡をかけた男ボスは、三本目の煙草に火をつけた。長く吸い、軽く咽る。もう一度吸い直して、長く吐きだした。煙は揺蕩い、模様を描いて痕跡を消した。


 これが『復讐者専門学校』招集、七日前のこと。

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