第一章 リオン・ムーン・ヴィエルジュ編

第3話 ただのオタクにできることなんて限られている

 ヴィエルジュ家の次期当主であり、未来の宰相とも謳われているリオン・ムーン・ヴィエルジュは義妹であるディアが大嫌いだ。傲慢我儘令嬢として有名な彼女を一家の恥だと考えている節がある。

 作中でも妹を甘やかす両親に何回も苦言を呈していた、とゲーム内で本人が語っていた。


「──と、私は今そんなお兄様の部屋の前にいるのだけれど……」


 前世の記憶を思い出してから数日後。ディアはリオンの部屋の前でゴクリと唾を飲みこむ。いつも見かけるドアのはずなのに、いざ入るとなるとやけに大きく見えた。

 何故ディアがここにいるのかというと、勿論ディアの偉大なる作戦の為だ。


(今、私がお兄様──リオンに接触を試みるメリットはいくつかある。リオンは全てにおいて優秀だけれど、特に秀でているのは魔法の才能! リオンルートでもヒロインがリオンから魔法の基礎を教わりながら仲を深めていっていた。リオンから魔法を学べば私自身の守護魔法の強化が可能。その上、リオン自身と仲良くなって、彼のクリス様の好感度を上げるように仕組むこともできる!)


 ではどうやってリオンからクリスへの好感度を上げるのか。ディアは綺麗にまとめられた書類を胸に抱いていた。これはいわゆるクリスの魅力をまとめた「プレゼン資料」である。


 前世のディアが唯一得意だったものがある。それは推しを布教することだった。ディアの手に掛かればどんなオタク友達も百発百中彼女の推し作品や推しキャラの沼に落ちてしまう──つまりは虜になってしまうのだ。

 これを利用してリオンにクリスを布教してみようというわけだ。勿論これは彼の態度次第ではあるし、本題ではないのだが。


(リオンのディア嫌いは作中でもよく描かれていた。リオンルートでは「妹は家族でもなんでもない」と言って、闇落ちしたリオンがディアを容赦なく殺す場面だってあったし。だから、もし彼に接触しようとすればきっと冷たい態度を取られるだろう。罵倒されるかもしれない。それがディアの運命なのだ。……でも、それでも、自分のやるべきことを精一杯やろう。キャラ達が死ぬ事より怖いものなんてないのだから)


 まずリオンに魔法の指導を請う。感触次第ではついでにクリスの布教を試みる。

 ディアはぐっと拳を握り締め、一歩前へ出た。震える手でノックをする。


「誰だ」


 まさにゲームで表現された通りの「氷のような声」だとディアは思った。


「ディアです。お兄様。申し訳ございません。ほんの少しお時間をいただけませんか?」

「…………。入れ」


 少しだけ間が開いて、許可をもらった。なるべく音を立てないようにドアを開け、部屋に入る。


 前世の記憶が戻ってから初めて見たリオンはやはり攻略キャラというだけあって、美しかった。ディア同様の夜空のような黒髪に、凛々しく整えられた眉、知的な眼鏡の奥から覗くどこか憂いを帯びた瞳……。まさしくインテリ眼鏡イケメンである。 


 そんな彼は例外なく秀才であり、ゲームのディアに尊敬されていた。故にリオンルートではリオンと仲のいい主人公に嫉妬して、ディアがクリスルート程ではないがちょっとした嫌がらせをしてくる場面もあった。


「何の用だ。俺は忙しい」

「あの、お兄様にお願いがあって……」

「なんだ」

「わ、私に魔法を教えて欲しいのです!」


 リオンが動きを止めた。眉間に皺を寄せてディアを見る。


「私、戴聖式で守護魔法を授かりました。だからこれをどうにか生かしたくて」

「なぜ俺に聞く。父上に頼んで家庭教師でも雇えばいい」

「それは、そうですが……これを機会に、お、お兄様と少しでも仲良くなりたくて……」

「くだらん!」


 バンッとリオンは作業机を強く叩く。ディアの身体がビクリと揺れた。


「またお得意の我儘か? お前は自分で何かを成すということを今までやったことがあるのか? 俺の貴重な時間を費やす価値はお前にはない。それにお前が守護魔法を生かしたいだと? はっ! 傲慢で我儘な一家の恥であるお前が? どうせまた俺の気を引きたくて嘘を言っているのだろう……」


 リオンの強い口調に唇を噛み締める。


(ま、まさかリオンのディア嫌いがここまで酷いなんて! ゲームでは主人公視点だったからまだ軽く見えたんだわ! これじゃあ布教なんて夢のまた夢! 今はとにかく彼の理解を得ることが最優先!)


「お、お兄様がそう言うのも仕方ありませんわ! 今までの私はお兄様の言う通り一家の恥でした。しかし今の私は違います! 本当に今まで通りの傲慢我儘娘であったならば、守護魔法なんてものを授かるはずがありません。どうかチャンスをください!!」

「……ふん。どうしても俺に魔法を習いたいというのならば、今日中にネアンの森に咲く魔花を一人で取ってこい。花の種類はなんでもいい。勿論の事だが、護衛騎士、侍女含め他人の力を使わずに、だ」

「ネアンの森……」


 それは「黎明のリュミエール」の中でも有名なレベル上げステージだった。

 勿論レベル上げステージということで主人公と戦う敵、つまりは魔物が存在する。魔法の基礎もまだ不十分なディアが準備もなしに立ち入っていい場所ではない。


 ──だが。


「今日中に魔花を取って来れば……お兄様は私に魔法を教えてくださるのですか?」

「ああ。気が済むままにお前の我儘に付き合ってやろう。ただし出来ないのならば、もう俺に話しかけるな。今後二度とな」


(なるほど。これは無茶ぶりだ。おそらく彼は私から遠ざかりたいのだろう。を考えれば、それも当然のことか。やるしかない。どちらにしろこのゲームの運命を変えるためにこれくらい乗り越えないと、悪役令嬢というハンデを背負った私はこの先進めない)


 ディアは「分かりました」とだけ呟いて、部屋を出た。一歩一歩、重い足を踏んでいく。


 己の信念のために、覚悟を決めて。




***




 最近、妹の様子がおかしい。


 従者達が次々と「戴聖式以来、ディア様が別人のようになった」と言う。近々それを確かめるつもりだったが、その前に向こうからやってきた。


 リオンはディアが去った後のドアをじっと見つめ、彼女の変化について考えていた。どうやら従者達の言葉はあながち間違いでもないようだ。

 戴聖式で守護魔法を授かったと聞いた時はリオン自身、耳を疑った。戴聖式で何かあったのだろうか。それとも本来のディアが顔を出しただけなのだろうか。しかしそれならば敢えて傲慢我儘令嬢を演じる意図が分からない。


「まぁ、あの妹がそう簡単に改心するはずもない。守護魔法を与えられたのも、神の悪戯だろう。あいつが他人を守ろうなんて思うはずがない。それにあいつは森へ行く勇気も根性も持ち合わせてはいないさ」


 ……しかし妙に引っかかる。先程のディアの強い瞳に惹かれる自分がいるのも確かだった。


「ちっ。万が一、あいつが森に行ったとしても魔花は魔物の死骸や巣に近い場所にしか咲かない。ネアンの森が弱いモンスターしかいないとしても、今のあいつが勝てる相手ではない。おそらく死ぬだろう」


 誰に聞かせることもない独り言。リオンはらしくもなく狼狽えている自分に苛立つ。


「──最悪ディアが死んでも、一家の恥が消えただけだ。どうせ俺には心から家族と思える人間なんて。俺は、もう二度と“大切な人”を作らないと決めたのだから」


(そう。だから、これでいいんだ。俺には関係ない。これで、いいんだ……)

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