第31話
ボーンボーン、と壁に掛かった柱時計が二回鳴った。もう二時か。いつの間にかワタルの泣き声は聞こえなくなっている。俺は目をグイグイ拭いながら顔を上げた。と、ワタルがこちらをガン見していた。
「うおっ、な、なんだよ」
瞬きゼロで見てくる目が怖い。その目に慄いてワタルから距離を取る。泣き過ぎた事でおかしくなってしまったのか? そんな事を考えていると、ワタルの目がグッと険しくなった。
「ねぇ、ちゃんと説明して。死んだってどうして? 何があったの?」
「何があったって、話すと長くなるから手短に……」
「いいよ。長くなっていいから、ちゃんと話して」
ワタルが顔をグッと寄せる。真剣な表情に俺も思わず背筋を伸ばす。
「分かった。分かったからちょっと離れろ」
「嫌だよ。もう離れないから。今すぐ言って」
頬でも膨らませそうな勢い、と言うか膨らませてワタルが更に距離を詰める。俺は溜息を吐きつつ大体の事を説明した。あの日の夜、死出の山、五道転輪王と阿弥陀如来さん、アグリやリンさんとの出会い。俺が経験したこの数日の事を順を追ってワタルに伝えた。
ボーンボーンボーン。柱時計が三時を告げる。漸く話し終えた俺が一息吐くとワタルはすっかり黙り込んでしまった。でも普通に考えたら当然だ。死後の世界は本当にあって五道転輪王はアロハシャツのチャラ男だわ、それが生き返る可能性を約束してくれるわ、あまりにも現実感の無い話だ。俺が逆の立場だったら絶対信じない。
「まあ、こんな話信じなくても……」
「ううん、信じるよ。ユータが話してくれたんだし。それよりも俺が気になるのは、公園でユータが会った車の男の事。そいつの事さ、他に何か覚えてないの?」
「えっと、白いセダンに乗ってて声は野太くて坊主頭、くらいしか思い出せないな」
「坊主頭ってどの程度?」
「スキンヘッドだった。地肌が……」
その時、俺の脳内には、あの時助手席の窓が下がって頭が見える様子が思い出された。暗すぎて良く分からないが、明らかに毛の無い頭が見える。その頭の側頭部に、何か……
「頭にタトゥーがあった」
「タトゥー?」
「うん、車は左から来たから、俺の後ろに止まった時は助手席側だったんだけど、運転席から身を乗り出すとちょっと左に傾く形になるだろ? その時見えた頭のここ、耳の上辺りに何か模様があったんだよ」
「それがタトゥーだった?」
「そう、多分間違いない」
「柄は?」
「柄は、覚えてない。悪い」
「いいよ。そこまで思い出してくれてありがとう」
ワタルは優しく微笑むと俺の肩に手を置こうとして空振った。
「そっか、ユータにはもう触れな……」
そう言いかけたワタルの目にまた涙が溜まり始めた。マズイ、また泣く。とにかくワタルの気を逸らせるような事を言わなきゃ。
「そ、そういえばさ、ワタルはなんで俺が見えるんだ? お前って霊感とかあったっけ?」
「え? ……そう言えばなんでだろう。俺今まで霊感なんて全然無かったよ?」
「だよなぁ。霊感あるなんて言われた事無いしな」
俺はうんうんと頷いた。ワタルを見ると涙は引っ込んでいた。目的達成だ。俺は足を投げ出した。
「それにしてもちょっと疲れたな。こう言う時ってさ、お茶の一杯でも飲めるといいんだけど、もう茶碗なんて持てなそうだし」
「て言うか、お腹空いたり喉乾いたりって感じる?」
「全然。トイレにも行きたくならない」
「へぇ、それはちょっと便利かも」
真面目な顔で頷くワタルの顔を見ていたら、ちょっとだけ笑えてきた。俺がケラケラ笑うとワタルもつられたようにニコニコと笑顔になった。あぁ、良かった。ワタルが笑っている。俺はそのまま畳に寝そべった。
「それにしても本当に不思議。床に寝そべる事が出来るのに扉はすり抜けられるんでしょ?」
「そこは心の持ち様なんだってさ」
「それもリンさんって人に言われたの?」
「そ、白いワンピがめちゃ似合う可愛い女の子だよ。今度ワタルも会いに行こうぜ」
「ふーん、白いワンピース、ね」
ジトリとした目付きでこちらを見るワタルに「なんだよ」と声を掛ける。
「ううん、別に。ユータが可っ愛い女の子大好きで、すっごい惚れっぽいのなんて今に始まった事じゃないしー」
「変なアクセント付けんなよ。全部図星だけど」
ニヤッと笑うとワタルは不機嫌そうにソッポを向いた。俺が女の子の話しをすると不機嫌になるのはいつもの事だ。さて、あんまり放っておくともっと不機嫌になるからそろそろご機嫌取りでもするか、そう思って口を開きかけた時だった。
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