第28話
「ユータ!」
鋭く名前を呼ばれて俺は今まで意識を手放していた事に気がついた。
「すいませ……」
俺が謝罪の言葉を最後まで言う前にリンさんが俺の肩を強く掴んだ。
「ダメだよ。今、何か考え事してて意識無かったでしょ?」
「そ、そうですけど、何が駄目なんですか?」
もしかしてリンさんが俺に惚れてて『私だけ見てなきゃダメ』とかそう言う事か?
だが、そんな甘い想像はリンさんの吐く重い息で打ち砕かれた。
「そうだったね。ユータ君は幽霊の赤ちゃんなんだったよ。最初にしなきゃいけない話があったんだ」
独り言のようにリンさんが呟くと腕を組み頷く。俺はなんだか居た堪れない気持ちになった。
「あのね、今私達がいるこの世界は生きてる人の為にあるんだよ」
「それは、分かります。さっきの考え事もそこが入り口でしたから」
「そっか……うん、やっぱりユータ君は筋が良いよ。それが分かるなら話は早いね。この世界が生きてる人の世界なら私達は世界からはみ出した存在なんだよ。ユータ君は行き当たりのおじさんとか触ろうとして触れなかったでしょ? 幽霊はね、生きている人に干渉する事は出来ないんだよ」
「え? ホラー映画だと普通に幽霊が主人公に取りすがったりしませんか?」
「うん、そう言うシーンはあるよね。でもそれが出来る人はもう幽霊じゃなくなってるんだよ」
「幽霊じゃなくなっているって。どういう……」
「そのままの意味。人に触れるようになる人間は幽霊とは呼ばないんだよ」
「それって悪霊とかそう言うのですか?」
「そう、そう言うの」
「でも悪霊って、それも幽霊の一種なんじゃないですか?」
俺がそう言うとリンさんはうーんと声を上げて顎に手を添え、目線を上に泳がせた。
「さっき私がさ、人殺し願望のある幽霊に遭った話をしたの覚えてる?」
「はい、確か祓われちゃった人ですよね?」
あれ? 一瞬にして頭が違和感で一杯になった。さっきリンさんはそいつに寄り添ってやったせいで危ない目に遭いそうになったと言う話をしていた。でも、幽霊が人に触れないなら心配する必要なんて無いのでは?
俺はその疑問をそのままリンさんに伝えた。リンさんは数回頷くと俺の顔を覗き込んだ。
「幽霊はね、突然悪霊になる事は無いんだよ。生きていた時の恨みとか死んでからの孤独とか、そう言うものが心にどんどん積もっていっちゃう人がいるんだよ。そうして心に積もったものが凝り固まって、最後には自分の心に飲み込まれてしまうの。それが悪霊。悪霊は恨みの塊。人でも幽霊でもない存在」
俺は小さく喉を鳴らした。もしリンさんに会っていなかったら、もしアグリに会っていなかったら、俺はどうなっていただろう。この孤独の中でひたすらに待ち続ける日々に俺は耐えられていただろうか? 生き返れるかもしれないと言う希望だけで孤独を飲み下し続けられただろうか?
リンさんは寄り添うように俺の手にそっと自分の手を乗せた。
「私達幽霊はね、魂だけの存在なんだ」
そう言われ俺はリンさんの顔を見た。リンさんは目を瞑ると、俺の手に乗せた手に少しだけ力を込めた。
「魂はね、心って言い換えられると私は思ってるの。そしてこの体は魂そのもの、だから心の影響をダイレクトに受けるんだよ」
つまり病んだら悪霊一直線、と言う訳か。そんな事になったら俺は生き返る事が出来るのか? なんとなくだけど、出来ないような気がする。悪霊になったら俺は俺じゃなくなるんだろう。そんな存在に生き返る資格なんてあるはずがない。
「だからリンさんは幽霊が悪霊にならないように寄り添っているんですね」
「ただの自己満だよ。自分の見える範囲、手の届く範囲だけだもの」
「例えそうであってもそれで救われた人がいるんだから、リンさんは凄いです」
リンさんが大きく目を見開いた。
「そっか、うん、ありがとう」
ゆっくり噛み締めるようにリンさんが言った。
俺のこんな言葉でもリンさんの心が救われてほしい。そう思った。
ざぁ、と風が強く吹いた。頬に吹き付ける鋭い感覚をあえて真正面から受けてみる。目に掛かる長さの前髪が風に大きく揺れる。今までなら風と髪のダブルパンチで涙が出る程目が痛いのに、今は問題なく目を開けていられる。また一つ、俺の頭は自分を幽霊であると受け入れている。溜め息が漏れそうになる唇を噛んで、鼻からゆっくり息を吐いた。俺の手にはまだリンさんの手の感触がある。その小さな手から細い腕へと目線を動かす。綺麗に伸びた背筋と肩、白い首。横顔は何処か遠くを見つめている。その髪や柔らかい素材のワンピースは全く風の影響を受けていない。その事が彼女の死をまざまざと俺に見せつけてくるのだった。
「……あの」
「何?」
「あ……えっと、すみません。喋りたい事がまとまって無くて」
「何それー」
そう言ってリンさんは笑顔を見せた。
まとまって無いなんて嘘だ。本当は聞いて欲しかったんだ。『俺は生まれ変われる約束を五道転輪王としています』って。俺の話を、聞いて欲しかった。でもそれは絶対にやってはいけない事だ。俺の存在はきっとリンさんに、全ての幽霊に対する裏切りだ。
「ね、ユータ君に面白いもの見せてあげる」
リンさんがこちらに笑顔を向けた。
「面白いものですか?」
「うん、見てて」
そう言って立ち上がり俺の前に立った。その姿を見て俺はポカンと口を開けた。そこにいたのはリンさんじゃなかった。ウェーブの掛かった茶色の長い髪と細面の色気が全面に出た顔つき、服はチューブトップの上にスカジャンを羽織り、下は黒のミニスカート。なんだか見覚えがあると思ったらエイミーが良くしているような格好だ。全然知らない誰かがニッコリと笑いかけてくる。
「どう? こう言うのも似合うでしょ?」
「どうって、顔もリンさんじゃないじゃないですか。と言うかリンさんなんですか?」
驚く俺に気をよくしたリンさんが俺の前でくるりと回る。今度は小さな女の子がそこにいた。
「こんな感じで見た目を変える事が出来るんだよ」
「すごっ、幽霊になるとそんな事も出来るんですね」
「そうなんだよ。そもそも幽霊はね、魂の存在だから心から信じた事はなんでも実現させる事が出来るんだよ。だから今私達は翼も飛行機もなくて空を飛べてるでしょ?」
「あー、幽霊になったら空が飛べるのってそう言う理屈なんですね」
荒唐無稽な話だけどそもそも今が荒唐無稽な状態だ。こんな話しでも俺はアッサリ信じてしまっている。
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