日常〜夕方〜

第9話

 俺とワタルは保育園入園前からの腐れ縁だ。俺達が最初に出会ったのは、お互い一歳前後だったと言うんだから、ほとんどの人生を一緒に歩んだ事になる。保育園から高校までずっと同じ学校に通い続けた俺達は、結局また揃って同じ大学を受験し合格した。別に同じ所に行きたかった訳じゃない。少なくとも俺は。何はともあれ大学生だ。これを機に一人暮らしをする事も決まっていた。煩い両親も面倒な弟妹もそしてワタルからも、一回全部離れて新しい人生を送るんだ。そう思っていたのに……

 俺達は夕日が暮れ始めた商店街の中を歩いていた。大学から歩いて二十分程度の距離にあるのがこの『樋渡・久井商店街』だ。オレンジと緑の街灯が等間隔に並び、商店街の入り口にはアーチ看板が掛かっている、昔ながらの商店街だ。右手に八百屋が、左手には服屋がある。果物屋、花屋、塾、和菓子屋……ジャンルも様々に色んな店がひしめき合っている。この時間帯はいつも買い物客が多く、商店街は本日最後の活気を見せている。そう言う俺達も手に買い物袋を提げていた。俺の手には、ワタルが食べたいと煩いからイワシが四尾入ったビニール袋と、これまたワタルが食べたいとごねたレモンケーキが二つ入った紙袋を抱えている。ゴールデンウィークボケとでも言うのか、一度長期休みを挟んだせいで折角慣れた大学生活がまたリセットされたようだ。なんだか疲れてしまったし、そろそろ腹も減った。早く帰りたい。そんな事が頭を過る。

「あっ」

 突然ワタルが声を上げた。

「どした?」

「肉屋寄ってこ」

 そう言うとワタルは俺の返事も聞かずに肉屋に直行した。

「豚バラ二百と合挽二百……やっぱり三百とコロッケ二つ下さい」

「はいよお兄ちゃん、いつもありがとねぇ」

 ショーケースの中も見ずにワタルが注文する。寄りたいと言い出した時点で買うものを決めてあるのだ。のんびりしているように見えて実は結構せっかちである。

 この肉屋は夫婦で営んでいて店番は大体交互に行っている。商店街に通ってると何となくそう言った事を憶えてきた。例えば八百屋の親父さんは大の競馬好きで勝った翌日には色々とおまけしてくれるが、負けると接客態度が最悪になるから月曜に行くのは賭けだとか、果物屋は不愛想な中学生の女の子が店番してる事があるが、ワタルが行くと余計に不愛想になるとか。ある意味これらも生活の知恵って奴なのだろう。そして肉屋のおばちゃんは、

「はい、コロッケと豚バラ二百、合挽は百グラムおまけしといたからね」

 ワタルが一緒だと多めにおまけしてくれるんだ。

「ありがとうございます」

 にこやかな笑顔でワタルがお礼を言いつつお金を渡す。おばちゃんもそれを満面の笑みで受け取った。

「千円お預かりでおつり百円ね」

 おばちゃんが差し出す百円をワタルが受け取って小さく一礼をする。俺もそれに倣って頭を下げると、俺達は揃って肉屋を後にした。と、後ろから声が追っかけて来た。

「コロッケ熱い内がおいしいからねー」

「はい」

 振り返るとおばちゃんが身を乗り出すようにしていた。ワタルはそれに返事を返して手を振った。俺はワタル程フレンドリーに出来る性質じゃない。また頭を下げるだけだった。

 肉屋に背を向け、暮れていく商店街の雑踏に混ざっていく。

「はい」

 突然、ワタルの手が差し出された。その手の中にはコロッケが一つ。

「さっきさ、熱い内がおいしいって言ってたから」

「ありがと」

 受け取って一口齧る。熱さが口の中に充満する。本当に途轍もなく熱々だ。口の中で転がしつつ息を吸ったり吐いたりしながらコロッケを冷ましていく。そんな俺の様子をワタルが苦笑しながら見守っているのが目の端に見える。

「だから熱いんだってば」

 そう言ってワタルは自分のコロッケを息を吹きかけて冷ますと小さめに齧る。相変わらず嫌味なくらいイケメンな横顔だ。その時コロッケの油のせいかいつもより唇が艶やかな事に気付いてしまった。と、そんな俺の視線に気付いたのかワタルがこちらに視線を送り目が合った。俺は思わず口の中のコロッケをそのまま飲み込んだ。噎せはしなかったものの喉には異物感が残った。

「ちょ、今丸飲みしてなかった? 大丈夫?」

「大丈夫じゃない」

「えっ! 嘘、どうしよう。病院……は閉まってるから救急車! 救急車って何番?」

 アタフタと鞄からスマホを出そうとする。だが買い物袋とコロッケが邪魔して上手くいかないようだ。その間抜けな様子に、唇の油が滑稽さに拍車をかけている。俺は思わず吹き出していた。

「病院も救急車もいらないって」

「本当に? 本当に大丈夫?」

「うん、大丈夫」

 そう言うとワタルはホッとしたように息を吐いた。ワタルのそこはかとないダサさが俺は結構気に入っている。

「俺、お前のこう言うとこ好きだよ」

「好き!? ユータが俺の事好きって!」

 好きの一言に目を輝かせながらグイグイと顔を寄せて来る。物凄い圧だ。ついでに公衆の面前だ。俺はその顔をグーで押し返した。

「お前のそう言うとこが嫌いなんだよ」

「そ、そんなぁ」

 がっくりと肩を落とす。まったく、なんでワタルは俺なんかにこんな反応なんだろう。でも、今はこのままでも良いかな、なんて思い始めてる俺も重症だ。俺は努めて明るい声を出した。

「おら、さっさと帰るぞ」

 強めに肩からぶつかっていく。

「そうだね、早く帰ろう」

 そう言ってワタルも笑った。

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