第33話 初恋の呪い

 どれだけの時間、見つめ合っていたのか。


 覚悟を決めた俺が目を離さずにいると、やがて愛凛は長いまつ毛を伏せた。


「愛凛のこと、愛してる」


 念押しするように、俺はさらに踏み込んだ。

 愛凛は、それでも口を開かない。


 じっと、返事を待った。


 そのあいだ、周囲を多くの人が通り過ぎた。

 サイクリングをする男性、犬の散歩をする女性、アットホームな親子連れ、テニスラケットを抱えたグループ、それから、俺たちのような若いカップル。


 そうした人々の動きのなかで、俺たちはまるで2体の彫像ちょうぞうのように固まったまま、同じ時を過ごした。


 そして。


「……私のこと、好きになった?」

「……うん」

「私と、セックスしたから? 私のこと、セフレにしたいの?」

「そんなんじゃない!」


 俺は思わず、鋭く大きな声を出した。

 あわてて、口調を落ち着ける。


「そんなつもりじゃないんだ。俺、そういう関係を求めてるんじゃない」

「ごめん、そうだよね……」

「俺、愛凛とただセックスがしたいわけじゃない。セックスしたから好きになったわけでもなくて。ただ、愛凛のことを守りたいし、愛凛と一緒にいたい」

「ズッ友でも、守れるし、一緒にいられるよ」

「友達じゃダメなんだよ。男として、女として、愛し合いたい」

「それなら、ズッ友兼セフレでもできるんじゃない?」

「そうじゃないんだ……」


 俺はもどかしかった。

 自分の気持ちを正しく伝えるには、俺が知っている言葉はあまりに少ない気がした。

 愛凛に、彼女に、自分の気持ちを知ってほしい。


「俺は愛凛と、恋人として、ずっと一緒にいたいんだ」


 ぱち、と愛凛のまつ毛が動いて、再び視線が交わった。

 ゆっくりと、じらしているのではないかというほどにゆっくりと、愛凛は言葉をつむぎ出した。


「ありがとう。私のこと、そんな風に思ってくれて」

「あの日からずっと、愛凛のことばっか考えてた。またもとの友達に戻ろうと思ったけど、でも俺、どうしようもなく愛凛のことが好きで、気持ちをおさえられない」

「そう……きっと、つらかったよね」


 涙が出ないように、歯を食いしばった。

 愛凛はやはり、誰よりも俺のことを分かってくれる。


 彼女はぽつぽつと、


「私、たぶんさ、自分に自信がないんだよね」

「……それは、意外」

「そうだよね。でもほんと。私、外見も性格もこんなだし、きっと本気で私のこと好きになって、愛しきってくれる人なんていないだろうって、思っちゃう。実際、前の彼氏も、私のこと好きだ、ずっと大切にする、いつも一緒にいようなんて言って、結局は都合のいい扱いをするだけで終わったからね」

「誰もが、そういうわけじゃないよ」

「もちろんそう。でも、しばられちゃうんだよね。初恋の呪い?」


 初恋の呪い、か。

 初恋で経験したことならば、忘れがたいだろうし、逆に言えばそれは、その人の手足にしつこくからみついて、身動きを難しくすることもあるのだろう。

 例えば愛凛なら、自分がどれほどの愛をささげても、相手は見せかけのがらくたのような愛しか与えてはくれないのだ、というような。


 自分はそういう呪いにとらわれているのだと、彼女は話してくれている。


「だから、私、本気で人を好きになるの、ちょっと怖いんだよね」

「前回と同じことになるかもしれない?」

「うん、無意識に頭にあるんだろうね。あんなくだらない男のこと、早く忘れた方が自分のためにいいって分かってるのに」

「なんか、愛凛らしくないな」

「そう……かな」

「そんな後ろ向きで、自分じゃないなにかに、足を引っ張られてるなんて。生意気で、わがままで、自分のやりたいようにやってるのが愛凛らしいよ」

「私のことどう見えてんだよ」

「俺、そういう愛凛が好きなんだよ」


 その言葉とともに、愛凛の瞳に宿っていた力がやわらぎ、優しい光がたゆたうのを見た。


「未来……」


 愛凛は、そう呼んでくれた。

 その瞬間、ぽろっ、と下まぶたから涙が粒となり、何度も何度もこぼれるのを感じた。


「愛凛」

「未来、泣き虫だね」


 指の腹で俺の涙をぬぐう愛凛も、笑いながら泣いている。

 あの日の、あの部屋で一緒に過ごした愛凛が今ここに戻ってきたような気がして、俺はうれしく、いとおしかった。


 もう、彼女を離したくない。


 俺は、ぎゅっと、きつく、彼女を抱きしめた。

 背中に、愛凛の意外に小さな掌を感じる。


 しばらく抱き合い、ようやく泣きんだあと、愛凛は甘くとろけるような眼差まなざしを見せた。


 俺は知っている。

 愛凛は、ツンデレだ。

 愛凛の恋人になった男しか知りえないことだ。


「ずっとずっと、私のこと、大切にしてくれる?」

「うん、大切にする」

「私、いじめっJKだから、未来のこといじめるよ」

「うん、いいよ」

「生意気だし、わがままだよ」

「そのままの愛凛でいいよ」

「私に甘えてもいいけど、私もいっぱい甘えるよ」

「そうしよ」

「隠すの嫌だから、付き合ってること、友達に言うよ」

「分かった」

「じゃあ、キスして」


 あの日から、一瞬たりとも、忘れたことはない。

 愛凛の、唇の感触。

 愛情が、胸いっぱいにしみわたってゆく。


 過ごすうち、樹間に広がる空はあっという間に暗くなって、人通りもすっかり少なくなった。


 最後にもう一度、キスを交わしたあと、愛凛はクロスバイクにまたがり、うれいの完全に消えた明るい笑顔を残して去っていった。


 俺はほてった頬と頭を冷やしながら家に帰り、それでもこみ上げる喜びをとうとうおさえがたく、ベッドの上を飛び跳ねたり、ひたすら筋トレをしたり、湯船にもぐって叫んだり、とにかく体のなかを駆けめぐるエネルギーを少しでも発散しようと、とんでもない神経病にでもかかったように異常行動を繰り返した。


 (愛凛と、愛凛と付き合える……!)


 冗談抜きで、俺にとっては人生で一番、うれしい出来事だった。


 高校入学の頃は、想像もしていなかった。

 当時は、暗黒の中学時代をたばかりで、俺はなんとか高校デビューを果たし、日の当たる世界にい出したいと望む野ネズミのような、万年三軍男子のヲタクだった。

 それが、愛凛の友達になり、ズッ友になり、そして今度は彼女と付き合うことになった。


 奇跡だ。

 本当に、夢のようだ。


 一生分の幸運と幸福を、俺は使い果たしてしまったかもしれない。

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