Escape from 底辺(EFT)

一条 千種

第1話 天敵との再会

 俺の高校生活について話すなら、まずは高岡たかおか愛凛あいりの存在からだ。


 名はたいを表す、と言う。

 例えば俺は、高杉たかすぎ未来みらいという名前で、これはそのまま、素晴らしい未来が訪れるようにという願いが込められている。


 我ながら、誇らしい名前だ。


 子どもの頃は男か女かよく分からない名前で、妙な見栄みえもあり、ぶつくさと文句を言っていたが、今では気に入っている。


 確かに今の俺には、輝かしい未来が待っているだろう。

 全国でも最高峰と言っていい高偏差値の高校に合格し、性格は誰からも好かれて、顔だって悪くない。運動神経は、実技は苦手だがゲームなら得意だ。背が少し低いが、これは成長が遅いだけで、これからぐんと伸びるに違いない。弱点があるとすれば、童貞で、ヲタク気質で、少しばかり陰キャだということくらいだ。


 まぁこのあたりは人には見えづらい弱点だから、たいしたことじゃない。

 とにかく、名前の通り、未来は明るい。


 その意味では、愛凛という名前もなかなかいい。愛らしく、凛としている、か。

 しかし彼女の場合は、いわゆる名前負けだ。

 なるほど顔は抜群にきれいだが、愛らしくはないし、凛としているわけでもない。

 とにかく生意気で、お調子者で、かわいげがない。何かにつけて俺をバカにして、あおってくる。


 ぶっ飛んだ女だ。


 そして、俺が何より腹が立つのが、俺はそんな彼女のことが気になってたまらないということだ。


 手始めにこの、目の前に座るクソ生意気でクソ図々ずうずうしくてクソわがままな、ダルがらみと煽りを一生繰り返してくる女をとことん分からせることでしか、俺にとっての輝かしき未来、底辺オブ底辺からの脱出は達成できないだろう。




        *        *        *




 ともかくも、俺は都内どころか日本全国でも最難関である国立T大学付属高等学校に入学し、華々しい高校デビューを狙っていた。

 この学校は制服もなければ校則もない。個性全開だ。


 それだけに、一度落ちこぼれたら、目も当てられない。

 勉強だけの話じゃない、学校生活すべてにおいてそうだ。

 特に学校のクラスというのは閉鎖的な身分社会だ。一軍はずっと一軍だし、三軍もどうにか二軍に上がりたいと切望しつつ、結局は卒業するまで三軍という現実がある。

 江戸時代の士農工商のような、厳格な身分制度だ。スクールカーストとも言う。

 しかも、この高校にはクラス替えがなく、3年間同じメンバーで過ごすことになる。


 だから、最初が肝心かんじんだ。最初にしくじれば、俺もまた中学の頃と同様、みじめな三軍生活を3年間続けなければならなくなる。


 (とにかく、さっさと友達をつくろう)


 これが、充実した学園ライフを送るための第一のミッションだ。

 まず友達をつくり、それからすべてが始まる。

 そして心に余裕ができたら、女子にも臆せず話しかけよう。暗黒の中学時代に経験したような、女子と話したことのない三軍男子などという不名誉な記憶は一刻も早く抹消まっしょうしたい。


 入学式の次の日。

 最初の登校日、初めて教室に入るこの日が、高校生活で最も重要な一日になる。


 案内に従って教室の各席に座った同級生たちは、最初こそガチガチに緊張していたが、徐々にぽつぽつと話し声が聞かれるようになった。そうだよな、誰でもスタートダッシュは決めたいよな。


 (したら俺も、まずは隣の見るからに陰キャそうな奴に声をかけてみるか)


 数は力なり、とはまさによく言ったもので、ぼっちより陰キャ連合の方がまだマシというものだ。


 そう思った瞬間、目の前に座る女子がくるりと向き直って、俺をじっと見た。


「……んっ?」


 俺は内心でひどく動揺しつつも、ごく自然で爽やかな微笑を浮かべて、彼女の言葉を待った。両隣のクラスメイトを差し置いて、この俺と友達になりたいということか。かわいこちゃんだな。


 表情は硬く、やや上目遣いの瞳が透き通るようだ。化粧っ気の薄い肌は白い紙粘土のようにみずみずしく、つやがある。黒く光沢こうたくのある髪をばっさりと切ってボーイッシュなイメージながら、一方で赤い口紅を乗せた唇には魅惑的なふくらみがあり、真っ赤なネイルに、右耳には合わせて5ヶ所ほどにピアスを入れている。上は黒のTシャツ、下はカーキのミニスカートから組んだ脚がまぶしくのぞいて、思わず目のやり場に困った。


 いくら校則がない自由な校風とはいえ、高校1年生の初日にしては恐ろしく攻めたファッションだ。

 けしからん。ただ、嫌いじゃない。嫌いじゃないよ。


 (こんな美ギャルの、高校で初めての友達になれるのか俺は……)


 俺が野獣だったら、とんでもない量のよだれを垂らしているに違いない。


 が、彼女の次の言葉が、俺の心臓を氷づけにした。


「低すぎ未来」


 悪夢の再来だった。


 低すぎ未来。


 それが俺の小学校高学年でつけられた悲惨なあだ名だ。苗字みょうじの高杉を高過ぎにもじって、高過ぎる未来ではなく、低過ぎる未来。

 背が低く、学校の成績が良い以外は男子としてのスペックも総じて低いことから、心無い女子たちから浴びせられた残酷な面罵めんばだ。俺はそのあだ名の考案者であるいじめっ子女子の名前と顔を忘れたことはない。


 俺はパニックにおちいったこともあって、とっさにとぼけた。それでも瞬間的に目は見開き、全身の毛穴から臭そうな汗が流れ出ている。

 彼女はなおも不気味なほどに静まりかえった表情で俺の目を見つめている。


「……うんと、なに?」

「低すぎ未来って、呼んでいい?」

「や、ちょっとそれは」

「なんで、カワイイよ」

「へっ」


 女性とまともに話したこともない俺が、イケイケの美ギャルにカワイイ、などと言われたものだから、思わずの反応が出てしまった。

 俺氏、生来キモいと言われることが多い。


「できれば、別のあだ名が」

「んー低すぎだとイジメみたいだもんね。じゃあみーちゃって呼んであげる。カワイイじゃん」

「ありがとう」


 女子とコミュニケーションをしたことがない男子の悲しさだろう。どう返事していいのかが分からず、なぜか舌が勝手に回って、意志に反することを言ってしまう。美少女JKというのは俺にとっては本来、アニメやイラストのなかの住人で、そういう存在とリアルに接するということで、脳がバグるのかもしれない。


 このとき、俺のあだ名はみーちゃで決定してしまった。


 (くそ、このままで終わらせねぇ)


 俺はナメられたままでなるものかと、胸を張り、悠々と彼女を見下ろすようにした。


「君、名前はなんていうの?」

「私、ラブリーって呼ばれることが多いよ」

「ラブリー……?」

「でも、みーちゃはラブリー様って呼ぶこと」

「ま、まさか……」


 俺はただならぬ予感とともに、手元のプリント群からひったくるようにして座席表を探し出して、彼女の名前を確認した。


『高岡愛凛』


 とある。


 忘れたこともない。

 小学校の頃、「低すぎ未来」などと手ひどいあだ名を俺に与え、散々にからかった、あの鬼畜女だ!


 俺はというと、その思い出がしばしばフラッシュバックして、人間不信と対人恐怖をこじらせ、中学3年間は永遠に浮上することのない、ある意味で安定感抜群ばつぐんの底辺男子だった。


 すべてはこいつのせいだ。


 だからこそ、高校では人格をすっかり入れ替えて、一軍とは言わないまでも二軍のレギュラーくらいの立ち位置におさまって、最高の未来へと歩みを進めたかった。


 しかし、どうだ。


 今、目の前には天敵と言っていいあいつが、いかにもふてぶてしい目つきで、またしても俺を風下かざしもに立たせようとしている。

 いったいこれはなんだ、底辺の中高一貫教育か。


 そんなことにさせるものか。

 夢の高校生活を、俺の未来を、奪わせてなるか。

 底辺からの脱出だ。

 必ず、場合によってはボコってでもこの女を服従させて、世の中の道理を、地獄からい上がった俺の魅力を分からせてやる。


 そして、あわよくばだな……。

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