「あいつマジで信じられない!」
「あいつマジで信じられない! これは許されざる暴挙だわ!」
アリシアはエデンヤードの館の中庭でふくれていた。
「でもセイレン様もアリシア様が自分のために買ってきてくれたと思ったと」
「あの! チーズケーキは! 私が! 食べるために! 買ってきたの!」
ミラのフォローもむなしくアリシアの怒りは収まる様子が無い。ミラは大きくため息をついた。
ミラはイシュタラ帝国の魔族の中でも特に弱い種族の一員だった。彼女は生まれながらにして呪詛力がほとんど無く、魔界の厳しい環境で生きることができなかった。
彼女は常に他の魔族からいじめられ、虐げられ、蔑まれていた。彼女にとって唯一の救いは、幼い頃に出会ったアリシアだった。彼女はミラを見捨てずに助けてくれた。彼女はミラを自分のお付きとして館に連れて行ってくれた。彼女はミラに優しく接してくれた。
ミラはアリシアに深い感謝と忠誠を抱いた。彼女はアリシアのためなら何でもすると心に誓った。それから数年が経ち、アリシアは魔王となり、イシュタラ帝国を統べるようになった。ミラもアリシアの側近として仕えるようになった。彼女はアリシアの命令に従い、人族との戦争にも参加した。
しかし、ある日、アリシアは人族の王セイレンと協力することを決めた。ミラはその理由を理解できなかった。彼女はセイレンを敵視し、疑い、嫌悪した。しかし、アリシアがセイレンを信頼し、尊敬し、そして好きになっていくのを見て、ミラは徐々に自分の考えを変えていった。彼女はセイレンがアリシアを幸せにすることを望んだ。
「もう二度と会いたくないと、セイレンに言っておきなさい!」
今のセイレンはアリシアを幸せにできないようだ。
「アリシア様、セイレン様はきっとお詫びに来ると思いますよ」
ミラはアリシアの肩に手を置いてなだめるように言った。
「ふん、来たところで許さないわ。あの人は私の気持ちを全然わかってくれないの。私がチーズケーキが大好きなのを知りながら、私が買ってきたものを勝手に食べるなんて、最低よ!」
アリシアは顔を赤くして怒鳴った。
「でも、アリシア様。セイレン様はいつもアリシア様のことを考えてくれていますよ。覚えていますか?あの日のことを」
ミラはアリシアの耳元でささやいた。
「あの日って、どの日よ?」
「あの日ですよ。アリシア様が風邪をひいて寝込んでいた日に、セイレン様がお見舞いに来てくれた日です」
ミラは嬉しそうに話し始めた。
「セイレン様はアリシア様の熱を測って、お薬を持ってきてくれました。そして、アリシア様が食欲がないと言うと、お気に入りのチーズケーキを買ってきてくれました。それも一切れではなく、一個丸ごとですよ」
「そ、そんなことあったっけ?」
アリシアは思い出そうとしたが、風邪で頭がぼーっとしていたせいか、はっきりとは覚えていなかった。
「もちろんありましたよ。アリシア様はチーズケーキを見るなり、目を輝かせて食べ始めました。セイレン様はそれを見て、笑顔で見守っていました。そして、チーズケーキを食べ終わった後、セイレン様は優しく言いました」
ミラはセイレンの声を真似して言った。
「『おいしかった?』
『うん、おいしかった』
『よかった。でも、甘いものばかり食べちゃだめだよ。栄養バランスも大事だからね』
『うるさいわね。私は好きなものを好きなだけ食べるのよ』
『わかったわかった。でも、僕も好きなものを好きなだけ食べたいんだけどな』
『何が好きなの?』
『君だよ』」
「まあまあ似てるわね」
「恐縮です」
「でも嘘は良くないわね」
「少し誇張しました」
「もう、分かったわよ。いつまでもこんなことで怒ってても、しょうがないものね」
アリシアは椅子から立ち上がり、セイレンのいる執務室へ向かって行った。
「セイレン、いる?」
ドア越しにアリシアが語りかけると、ドアの向こうからバタバタと慌ただしい音が聞こえた。
アリシアがドアを開けると、そこには床に四つん這いになったセイレンがいた。
「あ、あの……アリシア。おかえりなさい」
セイレンは緊張した面持ちでアリシアに笑顔を作ろうとしたが、どこかぎこちなかった。
「……何をしていたの?」
アリシアはセイレンの部屋を見回した。机の上には紙とペンが散らばっており、壁には魔法陣の図が貼られていた。
「えっと、これは……呪魔法の研究をしていたんだ。君と一緒に使えるようになりたくてね」
セイレンは慌てて説明した。
「へえ、どんなことを書いてたの」
アリシアは机の上の紙を手に取った。セイレンは慌ててそれを取り返そうとしたが、間に合わなかった。
「ちょっと、それは……」
アリシアは紙を広げて、セイレンの字で書かれた内容を読み上げた。
「『アリシア様へ。先日は大変申し訳ありませんでした。あのチーズケーキは、アリシア様が大切にとっておいたものだとは知らずに、私が勝手に食べてしまいました。私はチーズケーキが大好きで、机にあるものは誰でも食べていいと思っていました。しかし、それは大きな間違いでした。アリシア様がお怒りになるのも当然です。私は自分の軽率な行動を深く反省しております。どうか、お許しくださいませんか。私はアリシア様を失いたくありません。私はアリシア様が大好きです』」
「大変興味深い研究ね」
「きょ……恐縮です」
「ふむ、呪魔法の研究か。それで、どんな成果が出たの?」
アリシアは尊大な調子でセイレンに質問した。彼女は紙を手に持ったまま、セイレンの顔を見下ろした。
「そ、それは……」
セイレンは顔を赤くして言葉に詰まった。彼は紙を取り返そうとしたが、アリシアはそれを高く掲げて、彼の手の届かないところに置いた。
「あら、恥ずかしいの? でも、これは大事な研究だわ。私も参考にさせてもらおうかしら」
アリシアは紙を読み上げる振りをする。
「『アリシア様へ。私はあなたのことを考えると、胸が苦しくなります。あなたの美しい瞳、麗しい髪、柔らかい唇……すべてが私の心を奪ってしまいます。私はあなたに触れたい、抱きしめたい、キスしたい……』」
「アリシアはそうしたいのか?」
「えっ! いやこれはこの紙に……」
「そう書いて欲しいなら、続きを書こう」
「『あなたと一緒にいると、時間が止まったような気がします。あなたの笑顔を見ると、私の心は暖かくなります。あなたの声を聞くと、私の耳は甘い音楽を聞いています。あなたの香りを嗅ぐと、私の鼻は花の香りを嗅いでいます。あなたは私のすべてです。私はあなたに捧げます。私の命、私の魂、私の愛……』」
セイレンは紙に書き加えると、アリシアに渡した。
「詩人ね」
「そうとも、うまいもんだろう」
「センスは無いわね」
アリシアは笑って言った。
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