第22話 【実況】#10 ワイ氏、Aランクダンジョン『死の顎』に挑戦

 死は恐ろしい。

 


 数年前、彼を騙したあの男が、突如この部屋を訪れてきた。


 ――やあ、数千年ぶりですね。ああ、そう怒らないでください。あなたの願い通り、ちゃんと不老不死にしたではありませんか


 そう。

 たしかに自分が望んだことだ。

 

 あの時はわからなかったのだ。

 死なない――いや、死ねないというのが、どれほど恐ろしいことなのかを。


 ――今日はがあり、参上いたしました。誠に勝手ながら、当ダンジョンは本日をもちまして、地球という名の異世界に転移いたします。引き続き、よろしくお願いします。


 獅子の心に残虐な響きとなって届いたのは、最後の言葉のみだった。

 というか、それ以外はどうでもよかった。


 

 だと?

 


 引き続きとはいつまでだ?

 いつまで、自分はこの牢獄のような部屋で暮らさねばならない?


 終わりはあるのか?



 

「177ぁぁぁっ!」


 ――ボォォォォォォォン!


 獅子の体に熱風と衝撃が押し寄せる。

 

 熱くもなければ、痛くもない。

 だが、彼は全身を総毛立たせ、滝のような汗を流していた。


《うおおお、177回目逝ったあ!》

《同じことを繰り返してるだけなのに、画面から離れらんねぇ~www》


「178ぃぃぃっ!」



 ――死は恐ろしい



 あの男は、一つのサプライズを彼のスキルの内に潜ませていた。


 解除できるのだ。

 

 彼に与えられた3つのスキル、物理攻撃無効、魔法無効、ステータス異常無効は、彼の意志一つで


 獅子はここに幽閉されると、すぐにそのことに気付いた。


 ステータスオープンと唱え、「解除」と言う。

 ただそれだけで、彼はただのHPが少なく攻撃力が高いだけのモンスターになることができる。


 ダンジョンマスターの制約をかけられているため、この部屋から出ることは叶わないが、例のトラップ通路にちょっと顔を出す程度なら可能だ。


 つまり、スキル解除後、首を通路に突き出すだけで、死ぬことができる。

 この無間地獄のような人生から、あっさり解放されることができるのだ。



 ――



 あの男が解除機能を付けたのは、間違っても慈悲や情けなんかじゃない。


 逆だ。


 あの男は俺が病的に死を恐れていることを知っていた。


 だからこそ、あえて解除機能を残したのだ。

 俺が、どれほど絶望しようと、無限に続く時間にどれほど心を蝕まれようと、けっしてその選択をできないことを知っていたから。

 

 ――どうです? 悪意に満ちたダンジョンの主にふさわしい、飛び切りの悪意でしょう?


 去り際にニヤリと笑ったあの男の顔は、いま思えばそう物語っていた。


 


「200ぅぅぅっ!」


《お、ボスの見た目が変わったぞ》

《毛並みが汚くなったな》

《あと、変なまだら模様が浮いてね?》


 獅子は自分の体を見下ろす。

 

 白銀の体毛が煤けた色に変じていた。

 紫色の痣も、皮膚のいたるところに現れている。

 

 自爆の被ダメージがついに出始めたのだ。

 

「ひぃぃぃぃぃぃっっっっ!」


 彼は剣を取り落とし、身体を掻きむしる。


 ――この痣……まるで死神に捕まれた跡みたいじゃないか


 頭を振って、懸命に妄想を追い払う。


 落ち着け。

 こんなところに死神などいるはずがない。

 

 …………だが、本当にそうか?

 だとしたら、目の前のこの少年はなんだ?


「224ぉぉぉんっ!」

 

《うおおおお、ついにあと30回!》

《ボスが戦意喪失してて草》

《こんな方法で倒されるなんて、夢にも思ってなかったんやろうなあ》


 ――幾度も死を繰り返して俺の命を削ってくるこいつは、死神そのものじゃないか!


 彼は、心の底から後悔した。


 こんなことなら、退屈しのぎにこいつらを部屋に入れるんじゃなかった。

 そもそも、こいつが廊下を渡ってくるのを見た時に、「よくいる再生能力の強いタイプだろう」なんて甘くみなければ……。

 いや、そもそも最初から通路を閉じておけば……。

 

「239ぅぅぅっ!」



 ――死は恐ろしい

 


 誰にだってそうだ。

 だからこそ、今まで何者もあの指輪を使えなかったのだし、俺もけして自らのスキルを解除できなかった。


 すべての存在に平等で、だからこそ万人が例外なく怯える。

 それが「死」だ。


 なのに――

 

「253ぁぁぁん!」

 

 ふと気付くと、室内に静寂が降りていた。

 ダンジョンのすえた空気の中、ときおり女探索者の立てる呼気の音のみが響いている。

 

 彼は、屈みこんで頭を抱え、子供のようにぶるぶる震えていた。


《なんか憐れだな》

《そんなに怖いなら、通路をふさいでないで、逃げりゃいいのに》

《ダンジョンマスターだから、逃げることも侵入者を見逃すこともできねーんだよ》


 コツコツコツ……。


 足音が近づいてくる。

 恐怖のあまり顔を上げることができない。


 コツン。


 彼の目の前で止まった。


「……いつも死ぬ時思うんだよ。『もし、死んだあと、何かの原因でスキルが発動しなかったらどうしよう?』って」


 少年の声は穏やかだった。

 優し気といっていいぐらいだ。


「怖いよね、死って」


 獅子の瞳には涙が浮かんでいた。

 

 顔を上げて少年を見る。

 

 二人はしばしの間、対峙した。

 

「……ごめんね」


 探索者の黒い指輪が、カッと光る。


 その瞬間、彼の数千年途切れることのなかった意識が真っ白な光に包まれた。

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