第69話 菊一文字と震命流

「くっそ、痛ぇなぁ……。まったく、お前ってやつは……思いっきり斬りやがっただろ……ほんと一度こうと決めたら、容赦ってもんをしやがらねぇんだからよ……」


「わ、悪い」


「謝る必要はねぇよ……むしろ誇れ。これでお前の剣は、全てを斬る真なる剣に、なったんだからな……。神明流の剣士がたどりつく、最後の境地に、お前は達した……。もう今のお前に、斬れないものは……ない……」


「全てを斬る真なる剣――」

 その言葉を、リュージは心に深く刻むように繰り返した。


「神明流・皆伝奥義・十ノ型『不惑』」


 サイガからリュージへと温かい『気』が流れ込んでくると、リュージの傷だらけだった身体を癒していく。


「お、おい師匠、なにしてるんだ! バカなことは止めてくれ!」

「怪我を癒してやってるのに……バカとはまた、酷い言われようだな……」


「だってそんな身体で、『気』の消費の大きい十ノ型『不惑』を使ったら、死んじまうだろうが!」


「ははっ……使わなくたってどのみち俺は死ぬさ。これだけ派手に腹を斬られたんだ……。あとはもう、早いか遅いかの違いだ……。だったら最後に残った力で、可愛い愛弟子の怪我を、少しでも癒したいと思うのが……親心ってもんだろう?」


「なら俺が十ノ型『不惑』を使って、師匠の傷を治す」


 既にタイガの命の灯火が燃え尽きようとしていることは明白だった。

 リュージはなんとかタイガの命を繋ごうとして、


「まだ肝心のカイルロッドが残っているだろ……。ここでお前が力を使い果たして、どうする……。やるべきことを、見誤るな」

「ぐっ――」


 タイガに諭されて、言葉を詰まらせた。


「それと、こいつは餞別せんべつだ。おまえにやる」

 サイガが震える手で、最後の力を振り絞るようにして自分の刀をリュージに差し出した。


「これって師匠の愛刀……」


「神明流が奥義とともに、代々受け継いできた『菊一文字』――って言っても分かんねぇよな……。つまり超がつくほどの名刀さ……。今のお前が振るうには、これほどの名刀こそがふさわしい……げほっ、えほっ。代わりに、お前の刀は置いていけ……。そいつはオレの、冥土の土産にする……」


「この刀は、師匠の形見ってことかよ」


「そんな後生大事にする必要はねえさ……いかに名刀とはいえ、しょせん刀は刀だ……。どんな名刀も、折れる時はあっさり折れる……。ま、オレは折らなかったけどな……」


「分かったよ師匠、一生大事にするから」


「ばーか、こほっ……気色わるいこと言ってんじゃねえよ……。それともう一つ」


「なんだよ師匠」


「神明流はもともと『震命流』、震える命と書く……。命を、心を、己の生命を震わせて戦う剣術だ。さっきお前が、やったみたいにな……」


「命を、心を震わせて戦う剣術――」


「あの感覚を忘れるんじゃねえぞ……。命を極限まで震わせろ……。そうすりゃ、皇子だろうが魔人だろうが、なんだろうが……お前に斬れないものは、ない……」


「ああ、しっかりと心に刻んだよ」


「じゃあ行け……これでもう、オレがお前に残すものは、なにもない……。かはっ……。振り返る必要もない……。なによりお前の宿願は目の前にある。はやく大切な……人の、かたきを……取ってこい……」


「師匠……」


 腕の中のサイガの身体から命の灯が急速に失われていくのを、リュージはどうしようもないほどに感じ取っていた。

 あれだけ猛々しかったサイガの『気』を、リュージはもうまったく感じることができない。


 もう助からない。

 これがサイガとの――師匠との最期の別れなのだとリュージは理解する。


「お前の復讐が……全部終わったらよ……。お前と一緒に……酒でもみ交わそうって……思っていたんだ……。とある王様から貰った……大事に大事にとっておいた、とっておきの逸品でよ……」


「し……しょう……」


 だがもう、その未来は二度とやってくることはない。


「くそ……、お前の顔がよく見えねえな? 声も聞こえないぜ……。リュージ、リュージ……」

「師匠っ! 俺はここにいるよ!」


 腕の中で冷たくなっていくサイガに、リュージは必死に呼びかける。

 しかしサイガにはもう、リュージの声も姿も認識できてはいなかった。


 命が消えゆく中で、サイガは最後の最後の力を懸命に振り絞って言葉を紡ぐ。


「リュージ……。神明流は、あらゆる魔を絶つ、勇者の剣だ……。願わくば……リュージ、お前の剣が……、世界を救う……、勇者の、つるぎと……、ならん、ことを――」


 サイガの身体から完全に力が抜ける。


 それっきりサイガは何も言わなくなった。

 務めを果たしたとばかりに、満足そうに、眠るようにして亡くなっていた。


 サイガ=オオトリ。


 かつて魔人を討った勇者の剣――神明流の28代目継承者は、次代の担い手たるリュージに覚悟と願いを託し、その波乱の生涯を終えたのだった。


 サイガの魂を天に運ぶかのように、一陣の風が吹き抜ける。


「師匠、今まで俺を育ててくれてありがとうございました」


 リュージは大切な師を失った悲しみを胸の奥にそっとしまうと、自分の刀をサイガの亡きがらの上に、手向けの花のごとく置いて立ち上がった。


「あの世でも好き放題に剣を振るってくれよ――なんて俺が言わなくたって、師匠のことだから好き放題やるだんろうけどさ。ああでも、酒は少しは控えろよな? 身体を壊すぞ」


 リュージはサイガの形見の刀を――菊一文字を鞘ごと腰に差す。

 そして馬車の中にわずかに見え隠れしているカイルロッド皇子の姿を視界に捉えると、ゆっくりと馬車に向かって歩き出した。


 リュージの最後のかたき討ちが、ついに始まる――。

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